一間空けて、青森からの続きです。
青森で、1便遅らせたことで、時間に余裕があり、ダッシュすること無く升席の窓際隅っこをキープできました。
ちなみに、昭和63年2月11日朝の津軽海峡はこんな感じです。
船内アナウンスでは、穏やかな方だということでした。
中央に青森行きの連絡船が見えます。
トリミングをしてみましたが、石狩丸か桧山丸ではないかと思われますが・・・。判別難しいです。
あまり自分の写真を載せないのですが、一番痩せていた頃の私です。
間もなく函館入港、こちらでは桟橋ダッシュの準備をしなければ・・・なのですが・・・。
これから乗車する網走行き3027D特急「おおとり」の写真を撮っていて出遅れ・・・。
自由席の1号車は140m前方で、車内に入るとすでに満席・・・。
9時間22分耐久レースは座れずにスタートしましたが、何とか長万部で座席を確保できました。
乗ったのは、試作車のキハ183-904でしたが、食堂車のあったキハ82系で乗りたかった列車です。
網走からは、21:32発の釧網本線の最終斜里(現知床斜里)行き普通列車645Dに乗って、無事母方の実家に到着となりました。
ちなみに、82系当時の函館発網走行き15D特急「おおとり」は、10時間11分でしたから、キハ183系は、良い脚してました。