Kさん撮影series、今回は現役時代に戻りまして、昭和49年春休みの山陰撮影行、5回目でラス前です。代理投稿by D51338(^^)
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Kです。1974(昭和49)年の春休みに撮影した、山陰撮影行の5回目。山陰本線に戻り五十猛、仁万付近のD51と、最終4日目の朝に撮影した倉吉線C11の写真をお届けします。
① 三江北線を撮影した翌日、撮影行3日目の最初の写真は、どこかの駅に進入してくるところを撮影したD51488牽引の貨物列車です。
この後同じ機関車を出雲市、松江付近でも撮影しているので、貨物取扱駅ごとに貨車の入換えをしつつ時間をかけて走るダイヤの貨3970レではないかと思われます。D51488は福島、熊本などを経て新見機関区(伯備線)で後藤式集煙装置を装着。
伯備線無煙化後は浜田区に所属し、昭和50年1月の山陰本線さよならSL列車(D51重連)の先頭に立ったカマだそうです。
② ②-⑤は同じ下り貨物列車を撮影。場所は、五十猛駅から1km少し仁万方向に行ったところの踏切ではないかと思われます。
追記:今日もまっ晴れさんコメントより引用:②~⑤は田儀駅東側の国道とのオーバークロスした所にあります小高い丘の麓から小田側を向いて撮影しておられるようですね。(④の後追いは田儀駅のほうを向いてですが)
機関車はD51869。このカマも新見機関区時代に後藤式集煙装置が取り付けられています。背景は山陰のきれいな海ですが、モノクロなので残念ながら海の色がわかりません。
③ 機関車が真下に来たところで1枚。
④ さらに後追いで。上り坂で少し煙が上がってきました。
「国鉄コンテナ」の文字も懐かしいですし、背後も実に昭和な風景です。
⑤ 同じ築堤を海側から写した1枚です。
貨車の組成からして②-④と同じ列車のようで、おそらく母親に頼んで別カメラのシャッターを押してもらったのでしょう。でも海が写っていないこの絵はモノクロでも十分で、②-④の方をカラーで撮るべきでしたね。
⑥ 今度は場所を変えて撮影。これは五十猛―仁万間ですが仁万駅から近いところの、有名な大築堤をサイドから撮影した写真かと思います。
やはりカマボコドーム、集煙装置付きのD51ですが、番号はわかりません。
⑦ この後午後は田儀駅近くの海沿い区間などで撮影したのですが、それは次回に。
翌日朝、このときの撮影行の最後(かどうか記憶は定かでないのですが、この後のネガがないものですから(笑))に、倉吉線を訪ねました。
倉吉線は山陰本線の倉吉駅(市街の中心から外れたところにあります)から中心市街の打吹を通り、関金を経て終点山守までの20kmほどのローカル線で、国鉄時代の1985(昭和60)年3月末をもって路線廃止となりました。蒸気機関車列車の廃止は1974(昭和49)年4月末だったようで、私はその1ケ月ほど前に訪ねたことになります。
最後までC11が途中関金までの客車列車を牽いていましたが、撮影機会は事実上早朝の一往復の列車に限られていたようです。
この写真は早朝5時台倉吉発の始発列車を逆向きで牽引してきたC1141が、機回しをして折返し列車の先頭に連結されたところだと思います。
画面左側の車の車庫の柱の看板で関金駅だとわかります。
⑧ 関金から気動車列車で先行して、C11牽引の客車列車を撮影しました。短いトラス部分がある橋梁ですので、場所は上灘-倉吉間の天神川橋梁で間違いないでしょう。
C1141は倉吉線のサヨナラSL列車を牽引(本シリーズの記事に貴重なコメントをいただいてます、まっ晴れ!さんのブログに当日の模様が掲載されています。ぜひご覧ください。)した後、南九州の志布志機関区に転じ、昭和49年末まで活躍しました。
約2カ月にわたりお届けしたK少年の九州・山陰撮影行シリーズ、いよいよ次が最終回となります。
最後は山陰本線の田儀付近と、出雲市近くの斐伊川橋梁。
どちらも1974(昭和49)年に撮影した蒸機列車と、同じ場所で2008(平成20)年にキハ58系を撮影した写真との「ダブル堀り鉄」(笑)でお届けします。お楽しみに。