人吉鉄映会です。
先週まではSL人吉三昧をお送りしましたが、本日は再び懐かしシリーズで「肥薩線大畑駅のスイッチバック」の風景をお送りします。
肥薩線は熊本県八代駅から球磨川沿いを通って人吉駅を経由、九州山脈を通過し鹿児島県隼人駅までの124kmの路線です。
そのうち、八代駅から人吉までの球磨川沿線を通称「川線」と呼び(SL人吉も八代駅以南はこの路線を運行)、対して人吉駅から吉松駅までの九州山脈を越える路線を通称「山線」と呼んでいます。
この「山線」は矢岳駅の最高標高536.9m(人吉駅との標高差約430m)を越える山岳路線で、それゆえにそのための工夫、「スイッチバック」・「ループ線」などの一般路線では見られない風景があり、古くから多くの鉄道マニアに親しまれています。
矢岳駅の標高を記した柱。劣化して字が読めなくなって来てます。 2019 11月撮影
このスイッチバックやループを駆使して矢岳越えをする路線の面白さを全国区にしたのは、当方「人吉鉄映会」の祖である「福井 弘」が鉄道雑誌に投稿し続けたのがきっかけであるとも言われています。これにより「人吉鉄道の福井弘」「肥薩の福井弘」の名も全国区になりました。正にここが原点です。人吉鉄映会もその意志を継いで活動していかなければならないと思っています。
さて、今回はそのうち大畑駅にあるスイッチバックの風景です。
熊本県球磨地域振興局発行のパンフレットより
人吉駅から下り方向(吉松方向)に進む列車は、まず大畑駅を目指します。一旦大畑駅に停車したあと、バックで転向線に入り、また方向を変え矢岳駅を目指してループ線へと進んでいきます(ループの風景はまた改めて)
ここでの風景はいさぶろう・しんぺい号やななつ星が通行している綺麗な写真が多くのメディアなどに掲載されているのでご覧になった方も多いでしょう。大畑駅近くの「賽神様の岩」と言われる鉄板中の鉄板の撮影ポイントから撮影されています。ここは私有地ですが、撮影のために開放されています。撮影者の方はマナーを守って、所有者の方や管理されている方にも敬意を払って撮影しましょう。
当方は懐かし写真で。スイッチバック風景 くまがわ1号と同2号
写真右側が大畑駅方向。写真上部にカーブしているのが矢岳を目指すループ線方向
そもそもこのスイッチバックが出来たのは、この場所に大畑駅を作らなければならなかったという、肥薩線(造成時は鹿児島線)を通した時の事情があります。ここに来られた方はわかると思いますが、この駅周辺には人家がなく、生活での人の乗り降りはほとんどありません。現在大畑駅に到着する列車は「いさぶろう・しんぺい号」が主で正に観光客のかたばかりです。駅の近くに大畑梅園があるため2月はそれを目的のお客さんもいます。囲炉裏キュイジーヌLOOPも有名ですね。降りる理由はそれぐらいです。
従ってこの駅が作られた目的の一つは人の乗り降りための駅でなく、蒸気機関車のための給水駅という位置付けで開設されました。
現在の給水塔跡。凝灰岩製の石台だけ残る。奥はレストランLOOP
S40 4月当時の大畑駅。ディーゼルカーの後ろに給水塔が見られるが、石台の上に現在は失われた鉄製水筒が見られる。
開業当時この路線を走っていた列車はアメリカ製の3100型という蒸気機関車で、大正時代になって国産の4110型の蒸気機関車が運行していました。山越え、下りのために大量の石炭・水を使用したのですが両車両ともタンク式の蒸気機関車のため、どうしてもこの位置に補給箇所を設定しなければならなかった事情がありました。そこで山登りの途中の給水のための平坦地という位置づけで大畑駅がこの位置にあります。ここからまた下りは山登りですがこの位置からループを目指すためには一旦バックして、改めて方向を変える必要があるので、スイッチバックが出来ました。
人吉から大畑を目指す列車は写真左から手前に進行する。ここに62Kのキロポストがある。写真右は転向線。奥まで行ってまた方向転換してループを目指す。見つらいが、転向線の右端に1/2の乙号票があり、甲号票との直線距離では30mほどだが、路線距離では0.5Km進むことになる。
この給水塔は矢岳方向から流れてきた山水を鹿児島産の海岸砂でろ過して綺麗にして使用されていたそうです。大畑駅のもうひとつの歴史遺産、ホームにある蓮華水盤の水もここから採られていました。ただし、4110型からテンダー型のD51に変わると給水の必要はなくなったため、そのタイミングで使用されなくなったそうです。
結果的にタンク式の運行のためだけに作られたような駅になったため、山登りも何のそのの馬力がある急行ディーゼルカー(例えば昔は82系おおよど号等)も客の乗り降りがなくても、スイッチバック路線のため必ず停車しなければならない運命となりました。ただ単線の肥薩線ではこの駅は上り下りの入れ替え駅としての必要性は残していました。
現在では走行本数も少なくなって入れ替え自体もなくなってしまいましたが、観光遺産としての価値が残されました。大畑駅に着いて運転手さんがブレーキハンドルを持ったまま運転台を変える、そして転向線へ。その後また運転台を変えループに入っていく。ディーゼルカーならではの風景です。蒸気機関車、ディーゼル機関車時代は正にバック運転でした。
スイッチバックを過ぎ、一路矢岳を目指す車内から。奥が大畑駅
今回はスイッチバックの説明が長くなってしまったので懐かし写真は3枚で
転向線からループを目指すD51 545 手前の転向線とループに行く線路には高低差がある。(S44 9月)
大畑駅に進むDD51と矢岳から山を下って転向線へ向かうDD51のすれ違い(S52 7月)
えびの1号と2号 (H6 10月)
今では上り・下りの列車が揃う姿も見られなくなりました。いい時代でしたね。
それでは次回もお楽しみに!
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