101系による快速電車。 「川崎」 の行き先からも判るように、南武線の快速電車です。

南武線快速については、当コーナーのNo.156で一度、取り上げていますので、詳細はそちらを参照していただくとして、その時もお伝えしたのですが、旧形電車の天下だった南武線に 「新しい電車を」 の機運が高まったのがこの快速電車ということになります。昭和44年12月のことですが、その時は中央線快速からオレンジの101系を借りて川崎-登戸間で運行しました。

当時の停車駅は・・・

 

川崎武蔵小杉武蔵溝ノ口登戸

川崎鹿島田武蔵小杉武蔵中原武蔵新城武蔵溝ノ口登戸

 

因みに、下部は現在の南武線快速の停車駅です。国鉄時代の南武線快速は、昭和53年10月のダイヤ改正で廃止されましたが、平成23年に復活して現在に至っています。その時も川崎-登戸間で快速運転を行い、登戸以北は各駅停車になりましたが (国鉄時代は登戸折り返し) 、平成26年3月に稲城長沼まで、その翌年には立川まで運行区間が延びて全線で快速運転を行うようになりました。

国鉄時代と比べて随分と本数や停車駅も増えましたし、登戸以北も快速運行はあります。また、当時はデータイムのみの運転で1時間に1本程度というダイヤでしたが (現在は30分に1本) 、登戸までの所要時間は現在と大差ありません。電車の性能の差ですかねぇ~?

 

画像は何処で撮ったのでしょう・・・って、ホーム端の柵に 「のぼりと」 って掲げられている。あと、反対側のホームの端で何やら写真を撮っているであろうお子ちゃまは何を狙っているんですかねぇ~? ED16牽引の貨物列車を狙っているのかな?

因みに、南武線に 「きいろいでんしゃ」 が入線したのは昭和47年10月のこと。ですから、この画像も昭和47年10月から同53年10月の6年間に撮ったものであるのは間違いなさそうです。もしかすると、 「快速運転の終焉が近づいているから、記念に撮っとくか」 と、狙っているのはこの快速そのものかもしれませんね。

 

この頃の南武線はまだ 「田舎の電車」 というイメージが拭えませんでしたが、今や沿線人口が増えて、横浜線や青梅線などとともに 「発展途上路線」 として赤丸急上昇の南武線。しかし、川崎-立川間を全線通しで乗る人はあまりなくて、川崎 (JR東海道線など) 、武蔵小杉 (JR横須賀線と東急東横線など) 、武蔵溝ノ口 (東急田園都市線) 、登戸 (小田急小田原線) 、稲田堤 (京王相模原線) 、分倍河原 (京王線) 、府中本町 (JR武蔵野線) 、そして立川 (JR中央線など) と要所要所で都心へ向かう路線と乗り換えられるので、乗換駅まで行って都心へ通勤という乗り方が9割以上じゃないですか? 沿線は自然たっぷりだし、バカに出来ません。

 

そうそう、今も南武線のラインカラーは黄色ですけど、走っている車両の陣容はすっかり様変わりしてしまいました。

 

【画像提供】

マ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアル No.888 (電気車研究会社 刊)

ウィキペディア (南武線)

 

「THE JNR LEGEND」 アーカイブス】

南武線の快速についてはこちらもどうぞ。

http://ameblo.jp/mohane5812002/entry-12488041967.html