今回は2002年10月の韓国鉄道の旅です。この2年後のKTX運行開始後にも韓国を再訪しましたが、2002年の段階では韓国鉄道公社(*)(KORAIL)の特急列車はセマウル号でした。このときは最初期の韓流ブームよりも前のことでした。
(*)厳密に書くと2004年までは韓国鉄道庁でした。
まだ仁川の空港鉄道がなかったため、仁川国際空港からタクシーを利用して最寄りの地下鉄駅に行き、そこから鉄道を乗り継ぎました。
画像は、当時のKORAIL塗装の1000系です。日本の旧国鉄の301系のような車両です。
これは東仁川駅だったと思います。今は複々線化されており、駅舎も立派なものに変わっているようです。
仁川の自由公園の展望台から見た風景です。
朝鮮戦争のときの1950年9月15日に仁川上陸作戦を成功させ大韓民国の首都ソウルを朝鮮民主主義人民共和国軍から奪還したダグラス・マッカーサーの銅像です。
自由公園から見た仁川の街並みです。
仁川駅です。当時は駅舎が派手な色に塗られていましたが今は平凡なクリーム色に変わっているようです。
始発駅の仁川駅ホームとKORAILの1000系です。
日本の通勤通学電車と客層は同じでしたが、軍服姿の若者が乗っていたのが日本と違う点でした。
今は新しい駅舎に移転しているソウル駅ですが、この当時は昔のソウル駅舎でした。日韓併合時代の1925年9月30日の竣工した駅舎です。
2020年3月15日現在、Wikipediaに「アムステルダム中央駅(ペトルス・カイペルス設計)とヘルシンキ中央駅(エリエル・サーリネン設計)を参考にしたといわれている」と書いてありますけれども、私は、どちらの駅舎にも似ていないと思います。
韓国の人々はソウル旧駅舎のモデルは東京駅だと思っている人が多いそうです。これも全く似ていません。その東京駅も規模はともかくとしてデザインそのものは、日本人の多くが信じているらしい「東京駅はアムステルダム中央駅に似ている」という話が誤りに近いことと同じです。
東京駅は辰野式フリー・クラシックの様式とも言われるもので、中近世の欧州の様々な建築様式を取り入れたものです。傾向としては辰野金吾の師であったジョサイア・コンドルが得意としていた『ヴィクトリアン・ゴシック』に近いのかもしれません。
ヴィクトリアン・ゴシック様式のロンドンのセントパンクラス駅(2016年撮影)
東京駅(2014年)
オランダのアムステルダム中央駅
アムステルダム中央駅は、ネオゴシックとネオルネサンスを融合した建築です。(2015年撮影)
ネオゴシック様式の大丸心斎橋店(2015年撮影)
ネオルネサンス様式のウィーン国立歌劇場(2009年撮影)
東京駅丸の内駅舎が、この駅の何かを参考にしたのかもしれませんけれども、外観などのデザインが東京駅とはそれほど似ていないアムステルダム中央駅です。『参考にした』というのは『似ている』ということではないのです。(2015年撮影)
ルネサンス・バロック様式を基調とする旧ソウル駅舎です。
韓国内の報道によりますと、2016年に公開された昔のソウル駅舎の図面から推定したところ、旧ソウル駅舎は1896年に完成したスイスのルツェルン駅に一番似ていたということです。私も旧ルツェルン駅舎(1971年に焼失している旧駅舎)と旧ソウル駅舎を見比べてみました。たしかに旧ルツェルン駅舎が旧ソウル駅舎に似ているようではあります。
翌日に乗車するセマウル号の特室(1等車)のチケットをソウル駅の当時の外国人用出札口で購入しました。日本語は通じず、駅員とは英語での会話でした。
ボールペンの文字は韓国鉄道公社の職員が書いたものです。ドイツ語?と思われる「gute(いいね)」の文字はどういう意味だったのかは謎です。
韓国ではソウルでも釜山でもロッテホテルにしか泊まったことがありません。これはロッテホテルの部屋から見たソウルの夜景です。
夕食は明洞まで骨付きカルビを食べに出かけています。
当時の時代を感じさせるロッテホテルの部屋にあったデスクトップパソコンです。パソコンOSのWindows98も懐かしいです。
ソウルのロッテホテルの外観です。今、同じホテルの外観をストリートビューで見ると下側の窓やテラスの部分が改修されているような感じでした。
朝のソウル市内です。
一般には南大門と呼ばれている崇礼門です。大韓民国の国宝第1号でした。このときに撮影した崇礼門は2008年2月の放火事件で焼失しており、2013年に復元されています。
KTXの運行に合わせて工事中だった新しいソウル駅舎です。完成後の新駅舎は、この撮影の2年後に利用しました。
2002年のソウル駅の内部です。
旧ソウル駅のコンコースです。1988年のソウルオリンピックに合わせて日本の民衆駅のような感じのショッピング街(民資駅)が増築されていました。
2002年に撮影したソウル~釜山間(京釜線)のセマウル号です。京釜線が全線電化に至っておらず、セマウル号はディーゼル機関車が牽引・推進するプッシュプル運転の客車列車でした。
2002年当時のソウル駅プラットホームとセマウル号です。セマウルというのは「新しい村」という意味の農村近代化運動の合言葉のようなものです。列車の上の工事中の建物は建設中だった現在のソウル駅舎です。
ソウル駅を後にするセマウル号です。プラットホームは日本の在来線よりも大陸的な感じがしました。
セマウル号の特室です。特室は日本のグリーン車です。
この乗車のときに、まだセマウル号に連結されていた食堂車を利用しました。
セマウル号の食堂車の導入時のメニュー決定には、昔は「日本の旅のレストラン」であった旧・日本食堂の協力を得ています。
このため、当初は洋食が中心でしたが、サービス開始後、次第に韓国料理も提供されるようになっていきました。
全州ビビンバとCassビールを注文しました。韓国の町のレストランとは違って、食堂車なので、注文外の小皿が並ぶということはありませんでした。左側の大根のカクテキだけがサービスの皿のようでした。ビビンバは石焼きではありませんでしたが、結構美味しかったと思います。
食堂車の営業はソウルプラザホテルが担当していました。
この韓国鉄道公社の食堂車はカフェに転換する形で2008年頃に廃止されたようです。
京釜線の車窓です。10月下旬でしたが日本の12月上旬ぐらいの寒さでした。
釜山駅に着いたセマウル号です。
これもKTXの運行に向けて大改築中の釜山駅です。
釜山のロッテホテルにチェックインしました。
釜山名物のテジクッパプ(テジ=豚、クッパプ=汁飯)を食べてみたいので、ホテルを出て、屋台や大衆料理店が並んでいる裏通りに入っていきました。
私は後にも先にも、日本では「クッパ」と呼ばれている料理を食べたのは、この1回だけです。
味のベースは「アミ(アミエビ)の塩辛」であることを店員さんからボディランゲージで教えてもらいました。
これは釜山のロッテホテルから見た朝の釜山の風景です。
釜山空港から関西国際空港まで搭乗したJAL機です。このときの釜山空港ではパッセンジャーステップ(オランダ語の「タラップ」)による搭乗で、機材も懐かしのDC10でした。
【付録】2004年の韓国再訪時に乗車したKTXです。
新しいソウル駅の駅舎です。
2004年のKTX乗車時に利用した日韓共同きっぷです。2015年に全廃(最後まで販売していたJR東海・西日本・四国・九州も廃止)になりました。
2004年にソウルから釜山までフランスのアルストム製だった初期編成のKTX-Iに乗車しました。
これも新しくなっていた釜山駅の駅舎です。
(おわり)