3/14駅名変更の京急3現行名駅を回ってきました! 仲木戸/花月園前/新逗子駅 | 湘南陽光電しゃ館 鉄道館

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明日、3/14から仲木戸/花月園前/新逗子駅京急3駅の名称が変更になります。

↑となります。

花月園前は本来の「花月園」が無くなってすでに70年、その跡を継いだ競輪場も無くなって早10年が経って、駅名と現状がそぐわなくなったから?。

仲木戸は以下に出てきますが、JR東神奈川駅とのスムースな乗り換えが駅前間広場にペデストリアンデッキが完成して実にスムースに可能になったけれど、一向に乗り換え接続点として認識されないことから?。

新逗子は、葉山を駅名に取り込むことで印象のさらなる向上を図り、駅格の嵩上げを図ろうとしたとか?。

あくまでも私感ですけれどもね。

京急って近年は駅名がもたらすインスピレーションと駅周辺地の整合性を揃えイメージ向上につなげることで利用者に駅立地をわかりやすくして、鉄道周辺地のさらなる付加価値UPを図ろうとしているように思えます。

意外と駅名変更が多い線区でもあります。チョイとネットで調べましたら1987年から今年分までを入れると20駅もあります。

昨年、駅名のイノベーション?のため??に新駅名の公募が行われた時は、ちょっと???と違和感にとらわれた小生は古い人間なんでしょうが、結局、今のところは3件にとどまってホッと一息、でしょうか。

さて今日の状況は・・・。

まずは仲木戸駅。明日からは京急東神奈川駅。古もくそもない実にビジネスライクな駅名になっちゃいますねぇ~。

確かにコレ↑を見れば乗り換えは楽でしょうけれど、果たしてここで乗り換える乗客がどれくらいいるのか、小生は??です。

階段等を介さずに乗り換えできるのは京急線は上りホームだけ。下り側へは階段を下りてまた上ってですから。

ちょっとフライング気味の鶴見区設置の駅来歴。これ、すでに設置されてましたから。作り直すのも面倒でしょうしね・・。

で、この駅来歴に京急初めての高架化駅とあります。その理由は↓です。

むか~し昔のその昔、ハマ線が私鉄だった頃のお話。

横浜鉄道として線路が敷設された時は旅客は省東神奈川駅の隣接駅が終点でしたが、本命の稼ぎ頭、貨物は駅手前から分岐してこの先、横浜港北の瑞穂ふ頭まで線路を伸ばしてジャンジャン輸出品の生糸を輸送しようとしていました。

そのため、後発敷設の横浜鉄道が便宜上、軌道免許で拙速敷設を目論んだ京浜電車を軌道免許だから、っうことで上に押し上げたのが、このあたりの高架と築堤とこのガードです。

写真右側のガードしたを線路がアンダーパスしていたようです。

線路跡はガード先、今の東神奈川電車区へ向かって緩く右カーブしていった跡が見られます。

ガード橋脚はこのとおり↑レンガ積のままですが、ホーム増築のため基部はコンクリで挟み込むように強化してあります。

ホームで電車待ちをしているときに蒸気が通ると結構、ケムかったのではと。

ちなみに、来月4月にくる横浜大空襲では、このペデストリアンデッキの下の駅前広場で四方から猛火に追われた物凄く多くの避難民の方々がここに集まってしまい脱出することもできずに犠牲となって、翌日には死屍累々の遺体が積み重なっていたという場所だそうです。

次、花月園前駅。

湘南新宿ライン横須賀線/東海道線/京浜東北線/高島貨物線/貨物本線相鉄乗り入れ線、が真横に広がり、海側には二国が通る狭い場所にある下町の風情の残る駅です。

おかげで山側からはこの↑長い跨線橋を渡って駅東口にアクセスします。このこ線橋は「花月園跨線橋」と言う名です。

競輪でオケラとなって、電車賃どうしよう~・・、なんて途方に暮れた方も居られたのでは。

仲木戸駅とともに、結構皆さんが訪れてまして、なら皆さんが撮影するのと同じ構図ではと思い、ちょいと工夫して撮ってみました。

↑これ撮ったあと、通貨電車が来て2100だったので連続窓でしたから、こんな構図↓のインスピレーションが沸きましてね!。

これ↑っす。ステンの1200?なのが玉に瑕・・・。

で西口(海側)の階段を下りてましたら、「お、ここ撮れるじゃん!」と思いまして。

ついでですから、この↓方向幕を掲げて走る列車も見納めですから。

おおー、新1000のトップナンバー。でもLEDは旧型なのでチョイ切れ。

1607は新しい車ですからLEDも新型なので、小生の腕でも切れず綺麗に撮れました~。

匠師匠が睨んだ通り、跨線橋下の長いJR線踏切※お年寄りが渡り切れない!で問題の周辺踏切の一つっす、実は今日危うく小生も渡り切れませんで、焦りました~、はちょっと面白いポイントでしてね。相鉄乗り入れ電車も12000で2本見れましたし、高島貨物を下ってきたPF2016タンコロも眺められましたし、金太もフルコンで下って行きました。撮ろうと思えば長玉持ってれば面白い写真が撮れますね。

で、たまたま、神奈川新町で乗り換えましたら川崎方の留置線にこんなの↓が留まってました!。

ん~今流行りの新しい顔だな~~、京急の新車なんて聞いてないぞぇとよく見ると、お顔にイチョウマーク。

都営浅草線の新車、5505の第一編成でした~。京急線内での完熟運転の合間の昼寝、ですかね。

で、最後、新逗子駅。

ホームで電車あたまの「新逗子行き」表示を撮ろうと思ったんですが、ホームに入ってくる前に行き先表示が変わっちゃうんですよね、あの駅。

なので、一端下車して再入場して神武寺駅へ行きましてね、これ↓を撮ってきました。

フロントガラスが光っちゃって、ちょっと見ずらいですが・・・。

で、新逗子に戻って。

もたもたしてたら、車内ディスプレイの上り路線図が日本語から英語と繁体字表示になっちゃった~。

繁体字でも「新逗子」は「新逗子」なんですね。

新逗子駅南口?。普段、こっちの出口は使いませんでしたので初めて出ました。

湘南電鉄の当初予定ではここから南に線路を伸ばして葉山を経て三浦半島一周+北に伸ばして逗子名越から鎌倉まで線路が伸びるはずでした。小生の私想鉄道ではちゃんと開通させてますけどね。

ただ、実はこの⑥新逗子駅、今回で初めての改名と思いきや、結構、関連駅としては駅名が複数回変わってるんですよね。

この駅舎のある場所は統合前の旧逗子海岸駅、実は湘南電鉄逗子線開通時に⑤湘南逗子駅葉山口駅として開業してます。

一度廃駅となって戦後、④逗子海岸駅として再開業したあと、旧京急逗子駅と統合されて現在の新逗子駅となってます。

さらに、小生の記憶にもありますが、現新逗子駅の北口、JR逗子駅に近い方の出口は元の京急逗子駅があったところですよね。

複線線路が踏切手前で単線になってすぐのところに京急逗子駅はあったと思います。

この③京急逗子駅も前は②京浜逗子駅と名乗り、その前は①湘南逗子駅として開業しています。

両駅併せれば6回も駅名が変わってたんですね。で、今回の「逗子・葉山駅」で7回目となるわけですか。

図らずも1931年の初代駅開業から90年※正確には89年、で駅名に「葉山」の名が戻ったわけですね。

そうなると初代、湘南逗子駅葉山口駅にも「逗子」「葉山」が入っていましたから、先祖返り名かもしれませんね。

改名に際しては現葉山在住の方々からは賛否両論あったそうですが、湘南電鉄時代からの夢を今でも京急は引き継いでいますよ~っと、暗に示しているのかもしれません。

なお、空港線羽田関連2駅と大師線産業道路駅は改名後、取材してきますので今しばらくお待ちを!。

実は産業道路駅は地下化前に取材してあるんですが、旧名新駅になってからは出向いてませんので。

では、次回をお楽しみに!。