同型車は今も辛うじて生き長らえていますが、やはり 「リゾート21」 の存在感は圧倒的でしたよね。観光を主軸にしたからこそ可能にしたその外面とホスピタリティは、 “伝説” と呼ぶに相応しいのではないかと思います。画像は、 「1985年7月14日に撮影した」 と記録されていますが、実際の営業運転は同年7月20日からなので、お披露目の試乗会かなと思います。まぁ、いずれにしても、鉄道マニアはもとより、沿線住民も度肝を抜かれたことでしょう。

 

伊豆急行は開業時からフロンティア精神に溢れた鉄道で、大手私鉄でもなかなか出来ないような戦略に打って出た会社でした。例えば、一等車 (以下、 「グリーン車」 とします) の連結。伊豆急が開業した1960年代、私鉄では特急用車両を中心にグリーン車に似たホスピタリティを持つ車両はありましたが、まんま 「グリーン車」 を名乗る車両はありませんでした。特急用車両ではあるけど、伊豆急以外では名鉄のキハ8000系で “ロ” の付く車両があったぐらいで、それも1970年に普通車に格下げされてしまい、以降は私鉄で “ロ” を付与する車両はまさに伊豆急だけになってしまいました。

グリーン車は1986年に廃止されてしまいますが、1987年にリゾート21に似た車内設備を持つ特別車両 「ロイヤルボックス」 が登場し、これが 「リゾート21」 のロイヤルボックス製造に大きなきっかけになります。

 

それと食堂車の存在。

厳密に言えば、伊豆急が所有する車両ではなくて、酒造メーカーのサントリーが製造して伊豆急に寄与した車両になるのですが、サントリーの製品を利用者に多く知ってもらう目的で製造した、私鉄唯一の食堂車でした。でも、販売したのは当たり前の話ですがサントリーの製品ばかりで、加えて国鉄に乗り入れられなかったことから、10年ちょっとの稼働で休車に追い込まれ、後に普通車 (サハ191) に改造されてしまいました。でも、営業距離が50kmに満たない一ローカル私鉄で食堂車を営業するなんざぁ、普通の感覚では考えません。

 

そして極めつけはやはり 「リゾート21」 でしょうね。伊豆急のみならず、鉄道車両界にとって大きな革命をもたらした車両でもあります。

従来の概念を取っ払い、 「乗って楽しい電車」 をコンセプトに、開発には鉄道にあまり興味が無い素人が携わったのも話題になりました。まぁ、ある意味、 「素人だから」 「利用者目線だから」 、大胆な発想が生まれたのだと思いますが、もっと凄いのがそれが 「普通列車用の車両」 であるということ。東京の山手線や中央線とかではこの車両は全く使い物になりませんが、朝のラッシュといってもたかが知れている地方線区だからそういう使い方もありなんだなと、その時は思いました。

 

バブル景気が最盛期を迎える1980年代後半は伊豆にとっても 「我が世の春」 でした。それまでは温泉と海水浴にのみ頼ってきた観光事業が、民宿に変わる宿泊施設としてペンションの建設ラッシュに涌き、伊東を中心にしてミュージアムが雨後の竹の子のように建ち並び、それに既存の温泉や海水浴を取り込んで、伊豆半島は一大リゾート地として発展を遂げます。そのリゾート施設に伊豆急の 「リゾート21に乗って向かおう」 というスタイルが伊豆旅行のスタンダードになり、JR東日本も 「スーパービュー踊り子」 を登場させるなど、伊豆は活気に満ちていました。また、伊豆急とともに伊豆半島の輸送を担っていた東海バスも、観光向けの奇抜なバス (リンガーベル号など) を積極的に導入して輸送に大きく貢献。伊豆急は東伊豆や南伊豆がメインですけど、東海バスはJR東海やグループ会社の小田急とタッグを組み、新宿-沼津-西伊豆ルートを確立。それで登場したのがJR東海371系と小田急20000系を使った 「あさぎり」 で、沼津駅に東海バスの特急バスが接続して西伊豆へ短時間で結んでいました。そういえば、伊豆急でも西伊豆ルートを開拓していて、下田市の蓮台寺駅に 「踊り子」 を停車させて、蓮台寺から松崎や堂ヶ島へ行くバスを接続させていました。

 

2100系は5編成製造されましたが、現存するのは3編成24両。しかし、画像のようなオリジナルカラーの車両は一つも無く、 「リゾート21EX」 として登場した四次車 (R4編成) は、車体を真っ黒にした 「黒船電車」 として、私鉄車両として初めて営業用車両が東京駅に乗り入れる快挙を成し遂げた三次車 (R3編成) はハワイアンブルーの 「伊豆急カラー」 を纏った 「リゾートドルフィン」 号を経て、現在は車体を真っ赤に塗った 「Izukyu KINME Train」 となり、 「アルファリゾート21」 という愛称を持つ最終増備車の五次車 (R5編成) は、東急長津田工場で大規模なリニューアル改造を行い、親会社の東急電鉄がプロデュースする 「THE ROYAL EXPRESS」 として運行を開始、2020年8月には北海道へ “単身赴任” することも決定していますが、新コロの影響によっては、その企画や計画に大きな変更が予想されますがね。

 

画像の一次車 (R1編成) と二次車 (R2編成) は2006年と2009年にそれぞれ廃車されてしまっています。これほどの看板車両が車歴20年そこそこというのが意外なんですけど、伊豆急ならではの事情で短命に終わってしまったんですね。逆に言えば、開発 (設計?) の段階における誤算とも言えるのですが、伊豆急は海岸線ギリギリを走る区間がいくつか存在します。2100系は鋼製車体ですが、鋼製車体は如何せん、海に弱い。そう、塩害で車体が思いの外早く腐食が進行したんですね。もう一つの短命理由が足回りを100系電車の廃車発生品を使っていたこと。100系は1960年代に製造された車両が大半ですので、老朽化が懸念されていました。 “タラレバ” ですが、もし、2100系がステンレス車体だったら? そして足回りも新品に交換したら? R1とR2はもう少し、生き長らえていたかもしれませんね。2100系は全て東急車輌製造 (現、総合車両製作所) で製造されています。東急車輌といえばステンレス車体ですが、あの当時のステンレス加工技術では2100系のボディは製作出来ず、やむを得ず鋼製車体になったのかもしれません。

また、 「下回りを新しくする」 といっても、伊豆急にはそんなお金はありません。何せ、R5編成以降、オールニューの新造車両は現れていませんから。JRから113系や115系を購入したかと思ったら、東急から8000系を購入したりと、今の伊豆急は 「セコハン王国」 です。113系も115系もあっという間に姿を消し、8000系が主力になっていますけど、その8000系も結構な後期高齢車両。 「この先どうすんだよっ!?」 って言いたくなります。

 

とは言うものの、2100系は今もなお、伊豆急の看板車両であり、フラッグシップです。残念ながら 「スーパービュー踊り子」 は廃止されてしまいますが、新たに登場する 「サフィール踊り子」 をどう迎え入れるか、ここんところ、明るい話題が無かった伊豆半島にまた活気が戻れば良いなとは思います。私にとって 「伊豆の明るい話題」 は、やっぱり伊豆急の新型車両かな。計画の俎上にも上がっていないと思いますけど、JRに負けない話題性豊富の新車を開発して欲しいなと思うのは、私だけではないと思います。

 

【画像提供】

キャ様

【参考文献・引用】

ウィキペディア (伊豆急行2100系電車、同100系電車、ROYAL EXPRESS)