9年目の3.11を迎えて~明日を紡ぐ常磐線再開通の感慨と戸惑い~ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

今日は、平成23年3月11日に発生した東日本大震災から9年となる日です。

 

新型コロナウィルス騒ぎで、それどころではなくなってしまいましたけれど、追悼集会などは開催できなくても、僕たち1人1人が、あの日以来、被災地や僕らの国で起きたことをきちんと振り返るべきだろうと思っています。

 

9年間、交通機関を中心に被災地の様子を追ってきた僕にとって、最大の関心事は、3月14日に全線が再開通するJR常磐線です。

今回、最後の不通区間として残されていた冨岡-浪江間が開通することで、震災以来9年の長い歳月を経て常磐線が全線で運転を再開することになり、直通の特急列車「ひたち」も、上野-仙台間で1日3往復の直通運転をすると発表されました。

  

 

 

震災の2年後に初めて常磐線の不通区間を訪問して、原ノ町駅に放置されて錆びついている特急「ひたち」の姿に胸がつまり、孤島のように取り残された原ノ町-相馬間で運転されている列車の健気さに心を打たれ、訪れるたびに「広野」「竜田」「冨岡」と列車の行先表示が先へ伸びていることに言い知れぬ感動を覚えてきた僕は、この日をどれだけ待ち望んできたことでしょうか。

代替バスが運行されていたとは言え、鉄道の開通には、未来を切り拓く力強さと希望に、雲泥の差が感じられます。

 

復旧にこれだけの長期間を要したのは、無論、津波により線路が駅や付属施設もろとも流失してしまうという甚大な被害を受けたことが挙げられます。

しかし、何よりも、福島第一原子力発電所の事故が起きたことで、沿線地域が立入制限を受けたことが最大の理由と言えるでしょう。

夜ノ森駅と浪江駅の間では、平成27年の初頭まで被害調査すらままならない状況で、当初は復旧まで数十年を要すると言われていました。
それでも復旧工事は少しずつ進められ、相馬駅と浜吉田駅の間では、線路を内陸に移設し高架化するという新線建設と同様の工事が行われたのです。

 

  

再掲になりますが、その時の様子を記したブログを読み返すと、改めて様々な感慨が込み上げてきます。

 
 
『仙台を発ってから見聞きし経験した様々な出来事は、僕にとって、予想以上に衝撃的だった。
一刻も早く、この地を離れて、心の奥底に沈みっぱなしの重石を取り払ってしまいたかった。
 
坦々と丘陵を上り下りする国道。
震災の津波浸水区間を示す標識。
夕暮れを背景に、黒々とした稜線が連なる阿武隈山地。
何も植えられていない田畑の向こうに臨む太平洋。

1度見た絵巻物を逆から巻き戻しているような2時間が過ぎ、とっぷりと日が暮れた仙台駅前でバスを降りると、僕は大きく吐息をついた。
静から動へ。
止まっていた時間が不意に動き出したかのように、仙台駅前の雑踏は僕を一気に現実へ引き戻した。
 
初夏の週末に出かけた、わずか4時間半あまりのささやかな旅のことを、僕は一生忘れないだろう。
車窓から見つめ続けた景色と、ともに乗り合わせ、すれ違った人々のことも。

いつの日か、長期運休中の東京-南相馬間高速バスと、乗り残した原ノ町-福島間特急バスを乗り継いで、または甦った常磐線の列車に乗って、失われた国土を再び行き来が出来る日が来ることを、心から祈ってやまない』
  
†ごんたのつれづれ旅日記†

 

 
『原ノ町駅と広野駅。


2つの望まざる終着駅を訪れた旅で目の当たりにしたのは、この地を見舞った災害の大きさと事態の深刻さだった。
取り返しがつかないことになってしまったと思う。
何とかしなければ、という焦燥感がつのる。

同時に、以前と変わらず四季折々の美しい表情を見せる山河と、原発事故で揺れる町に住みながらも逞しく生活を立て直している人々の姿から、未来を信じる強さを教えてもらった気もするのだ。

それは、根拠のない楽観主義なのかも知れない。
原発事故がこれからどうなっていくのか、今の僕には想像もつかない。

しかし、旅を終えた今、パンドラの箱から最後に「希望」が飛び出したように、僕らの国がこの厳しい災厄を乗り越えて復興を遂げる日が必ず来ることを、信じていこうと思っている』

 

 
 
『常磐線不通区間の相馬や南相馬、そして広野を訪ねた時にも強く感じたことであるが、この日のように、被災地を大きく迂回する高速バスに乗っていれば、やはり、僕らの国は、原発事故によって貴重な国土の一部を失ったのだと強く実感されるのだ』
 
$†ごんたのつれづれ旅日記†
 
 
『福島と南相馬を結ぶ特急バスや、相馬と東京を結ぶ高速バスの窓から目の当たりにした惨状は、繁栄するこの大都会から、僅か250kmしか離れていない地域の現状である。

取り返しがつかないことになってしまったと思う。
そこに、今も続く災厄をもたらしたのは、紛れもなく、僕らが住む街を支える電力を供給するために建設された原発なのだという罪悪感を、どうしても頭から拭い去ることができない。
 

彼の地の復興が1日も早く達成され、平穏を取り戻すことを、心から祈る』
 

 

 
『震災と原発事故から5年。

この地域の時間は止まったままである。
住み慣れた故郷を追われた人々は、今もなお、戻ることができない。

僕らの国は、見る影もなく荒廃した遺跡を、国土の真ん中に生み出してしまったのである』

『町から離れた山中に建設された高速道路であっても、 震災後に初めて原ノ町から広野まで通過することが出来るようになったという画期的な事実に、僕らの国は、原発事故によって失われた国土を取り戻したのかも知れないと感じたのである。

しかし、それは大きな間違いであった。

空調を内気循環にして窓も開けられず、外界と全く遮断された状態で、途中駅の富岡、夜ノ森、大野、双葉、浪江、桃内、小高、磐城太田は全て通過し、乗り降りすることも出来ない竜田-原ノ町間鉄道代行バスは、放射能汚染地域の上空を飛び越えていく航空機と何ら変わりはない。
これで、常磐線が全線開通したと言えるのだろうか。
代行バスから帰還困難地域の惨状を間近に見れば、僕らの国は、失われた国土を取り戻すどころか、未だに収束の目途が立たない厳しい放射能災害との闘いの真っ只中にあると思わざるを得ない』

『常磐線の全線開通イコール被災地の完全な復興や原発事故の収束ではないのかも知れないけれど、終始、胸に重石を乗せられたようだった今回の旅で、初めて希望が湧いてくる光景であった。
僕らの国は、この災害を必ず乗り越えることができる、と確信する。
それほど、復旧されつつある常磐線の姿は力強く感じられたのだ』

『ずたずたになってしまった常磐線だけれども、今回の旅では、地域の人々の貴重な足としての役割を懸命に果たし続けている様子と、粛々と進められている再建の槌音を、確かに見聞きすることが出来た』

『苦難を乗り越えて復興成った被災地を、再び、特急列車が颯爽と走る日が来ることを、心から祈りたい』
 
†ごんたのつれづれ旅日記†
†ごんたのつれづれ旅日記†
 

数々の不安や懸念を抱きながら足を運び、被災地の惨状を目の当たりにしたあの頃、常磐線不通区間に鉄路が甦り、特急列車が運転される日が来ようとは、想像も出来なかったことでした。

 

同時に、原発事故による放射性汚染のために、長期間に渡って避難地域に指定されていた帰還困難区域の指定が解除されています。

 

『東日本大震災からまもなく9年。原発事故で全ての住民が避難を余儀なくされている福島県双葉町で、一部の避難指示が初めて解除されました。

4日午前0時、福島第一原発のある双葉町ではバリケードが撤去され、避難指示の一部が初めて解除されました。放射線量が高く、立ち入りが制限される帰還困難区域が解除されるのは震災後、初めてです。

対象は、JR双葉駅周辺の、人が住めるように除染する「特定復興再生拠点区域」の一部と放射線量が比較的低い「避難指示解除準備区域」で、町の面積の4.7%です。

双葉町は4日、双葉駅の隣りにある施設で震災後、初めて町内で役場業務の一部を再開しました。

 

「この避難指示解除が我々の目標ではありません。住民の皆さんが以前のように戻って生活できるというのが我々の目標です」(双葉町 伊澤史朗 町長)

 

インフラの整備などがまだ終わっていないため、避難解除はあくまで住民の帰還を前提としたものではなく、町は2022年に住民の帰還開始を目指しています(令和2年3月4日 TBSニュース)』

 

『今月11日で東日本大震災から9年を迎えるのを前に、福島県富岡町では駅周辺などで新たに避難指示の一部が解除されました。

避難指示の一部が解除されたのは、富岡町の「JR夜ノ森駅」や「夜の森の桜並木」などの周辺道路です。

この場所は、これまで放射線量が比較的高かったため、帰還困難区域となっていましたが、除染作業が進んだことから、今回、避難指示が解除されました。

 

「ここまで9年間、長い月日だったが、全ての帰還困難区域が解除できる足がかりだと思う」(富岡町 宮本皓一町長)

 

これで常磐線の駅周辺に出されていた避難指示は全て解除されたことになり、今月14日に9年ぶりに全線で運転が再開されます(令和2年3月10日 TBSニュース)』

 

地元の人々にとって、どれだけ長い道のりだったことでしょう。

ごく一部に過ぎなくても、原発事故のために失われていた国土が戻ってきたのです。

  

  

一方で、戸惑いを感じてしまうのも事実です。

 

苦難を乗り越えて復興成った被災地を、再び、特急列車が颯爽と走る日が来ることを、心から祈りたい

 

この文で4年前の被災地訪問を締めくくった僕の脳裏には、常磐線が全線復旧して特急列車が走り出す頃には、原発事故も、もう少し何とかなっているのではないか、という淡い期待がありました。

 

ところが、少しずつ事態は前進しているのでしょうが、福島第一原発の状況に、目に見える改善や収束の見通しは伝わって来ません。

果てしなく増え続けていく汚染水を処理する目算も立たず、トリチウムだけならば海洋放出も可能と言われながら、地元の反対で実行に至っていないのです。

それどころか、大半の汚染水には、放出可能としているトリチウム以外の放射性汚染物質が、基準値を超えて含まれていることが判明しています。

 

『東京電力は28日、福島第1原子力発電所で生じる汚染水について、浄化処理後の約8割にあたる水に基準を超える濃度の放射性物質が含まれていたと発表した。海洋放出などで処分する場合は再浄化する。処分方法を議論するため10月1日に開く経済産業省の有識者会議で報告する。

福島第1原発の汚染水は分離が難しいトリチウム以外の放射性物質を取り除いた後、タンクで保管している。東電の推計によると9月時点で約100万トンの処理済み水のうち75万トンに、排出基準を超えるヨウ素やストロンチウムなどの放射性物質も含まれていた。

本来は浄化に使うフィルターで取り除けるはずだったが、フィルターの交換時に汚染水処理が滞るため、汚染水の濃度低減を優先させたためだとしている。

排出基準を超えてもタンクでの保管に法的な問題はない。東電は、再び浄化装置を通すなどして放射性物質を基準以下に抑える。

有識者会議は8月、汚染水を海洋へ放出するなど処分方法について国民の意見を聞く公聴会を開いた。処理済み水にトリチウム以外の放射性物質が含まれていることに関して政府や東電の説明が不十分だという指摘が相次いでいた(平成30年9月28日 日本経済新聞)』

 

首相が、原発事故は「under control」と強調して誘致した東京オリンピック・パラリンピック開催の年を迎えても、この有様なのです。

 

下記のような気になる報道もあります。

 

原発事故で設けられた空間放射線量が比較的高い「帰還困難区域」。

双葉、大熊、富岡の3町の一部で来月、同区域で初の避難指示解除を迎える。

ただ、政府は先月、大熊町の一部で空間線量が解除要件の値を下回ったか確認しないまま、解除を決めていた。

その後、空間線量が要件の値を下回ったことを確かめたが、異例の決定の背景を検証すると、JR常磐線の全線再開が迫る中での判断だったことが浮かんだ。

今回、帰還困難区域で避難指示が解除されるのは、不通だったJR常磐線の夜ノ森(富岡町)、大野(大熊町)、双葉(双葉町)の3駅周辺など。解除対象区域内に住宅はない。3月14日の再開に先がけ、同月4日以降に順次解除される。

政府は、解除の要件の1つとして「空間線量率で推定された年間積算線量が20mSv以下になることが確実であること」としている。

政府は、1時間あたりだと3.8μSVに相当するとする。(令和2年2月18日 朝日新聞)

 

『東日本大震災から11日で9年となるのを前に、安倍晋三首相は7日、福島県を訪れ、同日開通した常磐自動車道の常磐双葉インターチェンジや14日に全線開通するJR常磐線などを視察した。

夏の「復興五輪」に向け、インフラ整備の進展を国内外に発信する狙いだが、東京電力福島第一原発の長期に及ぶ廃炉作業などの課題について語ることはなかった。

 

「五輪のための見せかけの復興アピールだ」

 

地元からは反発の声が上がった。

 

「いよいよ聖火リレー。この双葉からの発信が、復興のシンボルになる」

 

この日朝、試運転列車で常磐線双葉駅ホームに降り立った首相は笑顔であいさつすると、まっすぐ車でインターの開通式会場へ向かった。

福島県の被災地視察は昨年4月以来。

第一原発が立地する双葉町は、4日に双葉駅前など一部の避難指示が初めて解除されたばかりで、町民全員が町外に避難したまま。

駅周辺は塀が崩れた家々が広がる。

 

「町全体が復興したようにとられかねない。五輪に間に合わせるため駅の周りだけ解除しても、俺たちは住めないのに」

 

避難先でニュースを見た同町の男性は憤る。

6日夜に福島入りした首相は第一原発の南5~15キロにある富岡町で地元出身者ら8人が起業した「富岡ホテル」に宿泊。

翌朝に「車座」形式の懇談を行った。

ホテルからは社長の渡辺吏さんら2人が参加したが、懇談は計10分で、渡辺さんの発言は2分足らずだった。

震災前に営んでいた食料品店を津波に襲われた渡辺さん。

自宅周辺の避難指示が解除された2017年には既に町外にマンションを買っていた。

 

「震災からの時間が長すぎて、単純に戻れない人もいる。首相ともっと心の通った話をしたかった」

 

と残念がる。

政府主催の追悼式典は新型コロナウイルスの影響で中止に。

政府は式典について丸10年の来年までとする考えを示している。

 

約180人が亡くなった浪江町。

首相は3年前に建てられた慰霊碑を初めて訪ね、花を供えた。

おばを亡くした男性は、その姿を避難先のテレビで見た。

男性が腹を立てるのは、首相が13年の五輪招致時に福島の状況を説明した「アンダーコントロール」という言葉だ。

 

「原発が近くになければ俺たちはとっくに戻っている。何を見てそんなことを言えるんだ」

 

この日、同町内に開所した世界最大級の水素製造拠点で視察を終えた首相。

地元の記者から「今でもアンダーコントロールだと考えるか」と問われ、こう答えるしかなかった。

 

「間違った報道もある中で、正確な発信をした。その上でオリンピックの誘致が決まったものと思います」(令和2年3月8日 西日本新聞)』

 

「避難している方々にとどまらず、日本中の多くの方々に、この浜通りに移住をしていただきたい」

 

と、会見で首相は言いました。

 

原発事故の汚染状況は、周辺地域に住む住民の生命や健康に直結する、無視してはならない問題です。

「Under control」であること、被災地の復旧が進んでいることを世界に誇示するため、常磐線の再開通を最優先にして、地域の汚染の実態をなおざりにしていたのでなければ良いのですが。

  

 

悲観的な報道ばかり取り上げてしまいましたが、一方で、下記のような、着実に被災地で新たな生活を踏み出している力強い人々を取り上げたニュースも見受けられたのは、救いでした。

 

『東京電力福島第一原発が立地する福島県双葉町で、県内で唯一全域で続いていた原発事故による避難指示が4日午前0時、初めて一部で解除されました。

県内の別の自治体に避難している住民からは喜びの声があがりました。

このうち、福島県いわき市の災害公営住宅「勿来酒井団地」では、入居しているおよそ140世帯のうち、7割近くを双葉町から避難している住民が占めています。

4日は午前6時半から、住民ら8人が集まってラジオ体操を行ったあと避難指示の一部解除について伝える新聞記事に目を通しました。

今回の解除に伴って双葉町に戻る住民はいませんが、集まった人たちは、

 

「いつでも町に入れるようになるのは喜ばしい」

 

などとほっとした表情で話していました。

 

勿来酒井団地自治会の國分信一会長は、

 

「双葉町では初めて避難指示が解除され、まずは第一歩を踏み出したと感じています。今後、生活環境が整えば、将来的には双葉町に帰りたいです」

 

と話していました。

福島県双葉町役場の連絡所が開所されたあと、伊澤史朗町長は「事故のあとはこの日が来るとは想像できなかった。原発の水素爆発、放射線の被害にあった自治体がいまだにこうして残っているということに不思議な気持ちもある」と述べました。

そのうえで、避難指示の一部解除について、

 

「双葉町の『復興の具現化の始まり』だ。この避難指示解除が私たちの目標ではなく、住民が以前のように戻って生活できるのが目標だ。町は元の形とは少し変わっていくと思うが、町民に現状をしっかりと見てもらい、人が戻って生活するために何が必要か真剣に考えながら復興の取り組みを進めていきたい」

 

と述べました。

 

避難指示が一部で解除された4日は町を訪れる住民もいました。

このうち看護師の志賀隆貞さんは、双葉町の自宅を震災の津波で流され、現在は福島県西郷村に避難しています。

自宅があった中浜地区に出されていた避難指示は4日解除され、志賀さんは今月末に看護師の仕事をやめ、双葉町に戻って生活する準備を始めることにしています。

4日は解除に合わせて町を訪れ、久しぶりにJR双葉駅の駅舎を見たあと、定期的に訪れている津波で流された自宅や先祖代々のお墓の跡地に行き、手を合わせていました。

志賀さんは、

 

「駅が新しくなり、規制の看板もなくなるなど、目に見えて一歩進んだ印象で、ようやくスタート地点に立てたという思いです。7人いる孫に私のふるさとだと自慢できる場所を取り戻したいので、将来は住民が集まれる居酒屋を町内に作るつもりです」

 

と力強く話していました。

 

双葉町でガソリンスタンドを経営する吉田知成さんは、町の復興が加速すると期待しています。

吉田さんは3年前、帰還困難区域の中にあるガソリンスタンドの営業を特別な許可を得て再開させ、周辺の復興工事の現場に燃料を供給する仕事を続けています。

ガソリンスタンドがある国道6号線は一般車が通過することは認められていて、周辺の工事現場にガソリンを運ぶには国道から脇道に入るのが近道ですが、これまではゲートが設けられていて、遠回りをする必要がありました。

今回の規制緩和に伴ってゲートは撤去されたということで吉田さんは、

 

「これまではすぐ目の前にある復興工事の現場へ行くにも、遠回りをする必要がありましたが、自由に通行できるようになり仕事が楽になります。これをきっかけにますます復興事業が進んでほしい」

 

と話していました。

 

事故後、福島県いわき市で業務を行っている町役場の連絡所が駅前のコミュニティーセンターに新たに設置され、伊澤史朗町長らが入り口に看板をかけて開所を祝いました。

伊澤町長は、

 

「双葉町は、原発事故による避難指示が唯一、町内全域で続いていた自治体で、町の一部とはいえ、解除が実現したのは万感の思いです。きょうを契機に復興の歩みを着実に進めていきたい」

 

と挨拶しました。

この連絡所は午前9時から午後4時まで年末年始を除いて毎日開かれ、平日は5人の職員が常駐します。

いわき市にある町役場の本庁舎とはシステムがつながっていて、戸籍や被災証明などの受け付けや交付を行うほか、一時帰宅で訪れる住民からの相談にも応じるということです。

連絡所で業務にあたる双葉町総務課の井戸川俊主事は、

 

「町内で業務ができると気持ちも違います。ここから町の現状を住民に発信していけるような場所にしていきたい」

 

と話していました。

 

双葉町の帰還困難区域の一部では立ち入り規制が緩和され、内閣府は4日午前、区域内に入る人たちのために「線量計貸出ステーション」を設置しました。

「線量計貸出ステーション」はJR双葉駅に隣接する町のコミュニティセンターに設けられ、担当者が設定を行ったうえで被ばく線量を調べる線量計を貸し出します。

4日午前は、震災前に住んでいた自宅を見に訪れた、福島県郡山市の男性が貸し出しを受けていました。

男性は、

 

「5年ぶりくらいに双葉町の自宅の様子を見に行きます。町の復興は遅れていますが、きょうは一歩前進だと思います」

 

と話していました。

「線量計貸出ステーション」では、名前や電話番号を書類に記入し、運転免許証など顔写真つきの本人証明書を提示することが必要です。

受け付けの時間は午前9時から午後4時までで、線量計はその日のうちに返却することになっています。

 

双葉町の中野地区では、4日午前7時ごろ、津波で大きな被害が出た防潮堤の復旧工事が行われていました。

この地区の防潮堤の工事は大部分が終了し、帰還困難区域をのぞいて、来年度中に完成する見通しだということで、4日午前は作業員が重機を使って、土砂を運んでいました。

また、ことし夏のオープンを目指す、震災と原発事故の教訓を伝える福島県のアーカイブ施設や復興祈念公園の整備も進められていました。

一方、海岸沿いにあった海の家「マリンハウスふたば」は、津波で壁が流されドアが押しつぶされた震災直後の状態をとどめていました(令和2年3月4日 NHKニュース)』 

 

 

4年前の被災地訪問の旅で、代行バスから乗り継いだ亘理駅のホームに、「スーパーひたち○号車乗車口」と書かれた案内表示が消されることなく残っていたことを、僕は忘れることができません。

それは、地元の人々の復興への強い意志のように感じられたのです。

曲がりなりにも、震災後9年目にして、鉄路が往年の姿を取り戻しました。

それを、形だけのことにしてはなりません。

後で振り返った時に、令和2年の「3.11」は、真の一歩前進だった、と言えるようにしなければならないのです。

 

 

同時に、僕は、その旅で目にした国道6号線沿いの帰還困難地区に連なる無人の廃墟と、所々に積み上げられている汚染土が詰まった土嚢の山のことも、忘れてはならないと思っています。

帰還困難区域は未だに7市町村に渡り、被災地の自宅に戻れない住民は9万5000人、また震災前に比して生産高は農業88.8%、林業80.6%、漁業43.6%しか戻っていないと聞きます。

9年目を迎えて、なお、苛烈な原子力災害に曝されている被災地の苦難は続いているのです。

 

僕らの国は、力と知恵を集めれば、必ずやこの災害を乗り越えていくことが出来るはずです。

そのためには、僕らが「3.11」を過去として忘れてしまうようなことなく、被災地とともに未来を切り開く決意を新たにしなければなりません。

亡くなった方々の御冥福を祈るとともに、沿線に人々が戻り、名実ともに常磐線が往年の姿を取り戻す日が来ることを、心から願っています。

 

 

 

 

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