この日(3/11)が来るたびに、できうる限り被災地関連の記事を掲載してきました。
ですが、一通り撮影した画像はUPし終えてしまいましたので、今年はちょっと毛色を変えて掲載してみます。
あの日の前日、小生は相棒のBARさんと出来立てホヤホヤ、いまだ正式オープン前の名古屋にできたJR東海が造ったリニア・鉄道館の先行内見会ツアーに出かけていました。
現在、同じ職場で仕事している同僚のS氏は、やはり北陸へ出かけており残念ながら帰京が3/11の予定でしたので、交通機関が全て止まってしまい、かなり帰ってくるので苦労したようですがね小生とBARさんは寸でのところで、10日のうちに帰京できましたのはラッキーでした。
あれが、もし名古屋一泊のツアーでしたら、多分小生らもあの交通機関大混乱に巻き込まれて、しばらく帰京できなかったと思います。
2011/03/10撮影 JR東海リニア・鉄道館 117系クハ116 229+モハ117 59
内見会にしては来場招待者が一杯で、なかなかうまく写真撮影できずに苦労したのですが、コレ↑とケ90はあまり人気が無くてサラッっと何の苦も無く撮影できました。展示も屋外でしたし、塗装も西日本の新快速色ですから、はなっからあんまり大事にされていなかったんでしょうかね。残念ながら昨年5月末に撤去解体されちゃいました。でも、御覧の通り開館当初はもうピッカピカでとっても綺麗でしたよ、ホント!。
まさか、その翌日にあんな大参事が起こるなんて・・・。
実は3/11当日もBARさんと一緒に今度は仕事で一緒にいまして、川崎市の2国元木町交差点のローソンで発災に遭遇しました。
その時の話はまた明日書くことにしますが、前日の3/10、ちょうど今日は東京大空襲の当日ですし東日本大震災発災の前日です。
どちらの災難でも、まさかこれらの事が翌日に起こるなんて考えもしなかった人々が翌日には生死が分かれてしまう。
明日何しようかな、あれしなきゃいけないなぁ、なんて普通に家族や知り合いと話していた人が翌々日にはもういない。
きちんとしたお別れが出来なかった、お別れなんてするつもりなんてサラサラなかったのに・・・。
慟哭があふれ出し、胸が締め付けられる思いです。
「神はサイコロを振らない」とも言われますが、何とも切なくいたたまれない気持ちがこの時期になると込み上げてきます。
人の一生と電車を並び称するのも不謹慎かもしれませんが、この↑117系2両も少なくともこの日は引退後解体されて鉄くずに戻らずに、安住の地を得られた~っと喜んでいた、と思うと人も物(例えば電車)も一寸先は闇、という点では同じなのかもしれませんね。
両災害で命を亡くされた犠牲者の方々、こころよりお悔やみ申し上げます。合掌。。