もはや、旅から2か月近くの日々が流れ、「じれったいゾ!」の声も聞こえてきそうですが、もう少しお付き合い願います…m(__)m

新型コロナウイルスの影響で旅行を控えている方も多いでしょうが、せめて本ブログで旅気分を味わって頂けたら幸いです。

 

さて…1月4日ですが、『瀬戸瀬から志布志ゆきの旅』本篇としては最終日となりました。前夜、芸備線の人身事故による運転見合わせの影響をモロに受け、九州入りする事ができず広島で足止めされる事になってしまったのですが、気を取り直して鹿児島中央行の新幹線に乗り込みます。鹿児島中央からは日豊本線の特急きりしまで宮崎へ移動し、そこから日南線を乗り通して志布志へ到着します。

今回は、1月4日の前半として宮崎までの行程を紹介します。

 

思わぬ形で広島泊を余儀なくされてしまいましたが、トレインビューのホテルに泊まれた事が、せめてもの慰めです。

2枚目の画像は『ハローキティ新幹線』の500系による博多発新大阪行こだま730号。

 

 

 

ホテルの無料朝食を頂きます。

朝食後に読んだ中国新聞には今回の足止めの原因となった人身事故の記事が掲載されていました(前回のブログ参照)。

 
 
 

身支度を済ませてチェックアウトし、広島駅に向かいます。

 

 

 

 

 

広島駅といえば、1965年にいわゆる『民衆駅』として建てられた南口駅ビル『ASSE』が3月いっぱいまでの営業を以て55年の歴史に幕を下ろし、巨大な新ビルに建て替えられる事になっています。

また一つ、姿を消してゆく民衆駅の姿を、目に留めておきました。

 

 

 

広島といえば、路面電車天国の広島電鉄(広電)。

広島駅前停留所も再開発によって移転され、新築の駅ビルと直結になるそうです。画像の電車は広電オリジナルのボギー車800形805号。

 

 

 

 

改めて新幹線口に戻り、乗車券が出札補充券のため有人改札をくぐるのですが、昨夜改札に当たっていた女性駅員が私の顔を覚えていて「昨日は大変申し訳ありませんでした…」とお詫びしておりました。人身事故や天候による輸送障害でも客によっては暴言を吐くような輩も少なからずいるので、対応する駅員や車掌も気苦労が絶えませんからねぇ。現場で対応に当たる方々には同情させられます。しかし…どこかのJRは責任事故にも関わらず、列車の接続を尋ねただけでキレられた事がありますからね…。どこのJRとは言いませんが!

 

 

 

 

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第19ランナー

広島8:46→鹿児島中央11:29

山陽・九州新幹線 545A さくら545号

編成/幹ハカ N700系7000番台 S16編成(固定編成のため各車両の形式番号は省略)⑧(指)782-7016☆

 

今回の旅は、新幹線は景色の楽しめない夜間に利用する事にしていたのですが、予定の大幅変更により朝から乗る事になりました。

まぁ、山陽・九州新幹線もトンネルは多いですが、景色が全く楽しめないワケでもありません。今工事中の北海道新幹線のほうがもっと悲惨ですから…。

後続の9:14発みずほ603号ならホテルの滞在時間が30分近く延ばせて、鹿児島中央への到着時刻もさくら545号の8分後と差が縮まりますが、宮崎へ向かう特急きりしま10号への乗換時間が13分と短くなってしまうので余裕を持つ事にしました。

 

 

 

今回乗車の車両はJR西日本所属の7000番台車で、車内チャイムは『いい日旅立ち・西へ』のメロディが流れます。

 

 

 

九州新幹線の車両は指定席が2+2アブレストと、まさに新幹線の『プレミアムエコノミー』ともいうべきか。

私は山陽区間のみの利用であっても好んで利用します。

さくら545号は比較的すいていたお陰で快適な新幹線の旅を満喫できました。

 

 

 

広島駅を発車後は市街地を構成する『広島デルタ』を形作った太田川水系の河川を3つ渡ります。

まずは猿猴川。

 

 

 

次に旧太田川(本川)。

 

 

そしてコチラは洪水対策として掘られた太田川放水路。

画像中央に見えるトラス橋梁は、横川から分岐した可部線。

 

 

 

いきなり飛びますが、新下関駅を通過後すぐに新関門トンネルに入り、抜けると九州に入ります。

 

 

 

そして小倉駅に停車。

 

 

 

日本製鉄(旧・新日鐵)の工場群と、関門海峡につながる港を見ながら小倉を後にします。

 

 

 

遠賀川を渡ります。

 

 

 

山陽新幹線(JR西日本)と九州新幹線(JR九州)の分界点・博多駅に到着し、2分停車の間に乗務員が交替します。

 

 

 

博多駅を発車後しばらくして博多南線が分岐。

私は山陽・九州新幹線は既に完乗済みなのですが、この博多南線はまだ未乗のままなので、500系が引退する前に博多南~新大阪を直通するこだま号に全区間乗車したいと思っているのですが…?

 

 

 

九州新幹線は山陽区間以上にトンネルが多いですが、このように遠くに海を望める区間もあります。

(新水俣付近・八代海)

 

 

 

列車はついに鹿児島県(出水市)に入りました。

建設中の橋梁は、南九州西回り自動車道のもの。経営環境が厳しい肥薩おれんじ鉄道にとっては新たなライバル出現となりそうです…。

 

 

 

いよいよ、九州最初の下車駅です。

 

 

 

当初の予定より14時間程遅れて、新幹線の南の終着駅・鹿児島中央に到着しました!

ホーム先端が短いため、車両の顔はこんなアングルでしか撮る事ができません…。

 

 

 

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第20ランナー

鹿児島中央11:50→宮崎14:02

鹿児島本線・日豊本線 6010M 特急きりしま10号

編成/分オイ 787系BO106編成 ①クロハ786-6(G/指)②モハ787-21(指/自)③モハ786-102(自)④☆クハ787-6(自)→宮崎

 

『瀬戸瀬から志布志ゆき』乗車券は、日豊線を経由して南宮崎から日南線に入る事になっていますが、乗り継ぎに時間があるため終着の宮崎まで1駅だけですが区間外乗車します。今回の行程が大分経由でないのは、日豊線の国分~南宮崎が私にとっての未乗区間になっていたからです。

私の乗車券を見て「いっぱい乗り継いでますね~!」とベテランの改札氏が物珍しそうに私の乗車券をチェック。彼はさすがに瀬戸瀬駅の存在を知らなかったようで、北海道の石北線の駅である事と、今回の旅の趣旨を教えてあげるのでした。

 

 

 

4番線ホームに降り、きりしま10号の車両は既に停車中なのですが、乗客はドアの前に並んだままで乗車はおあずけ。どうやら、11:27に到着したきりしま7号からの折返し運用のようで、まだ車内清掃の最中でした。

787系といえば、一部車両がD&S列車『36ぷらす3』に改造の真っ最中ですが、個人的には博多→鹿児島中央を肥薩おれんじ鉄道経由で結ぶルートが気になっております。同区間は在来線の直通列車が存在しない事から、多分いちばん人気になるのは必至で予約が取りにくいとは思いますが。

 

 

 

4・5番線の間にある中線には、鹿児島地区で朝夕のみ活躍する415系(Fk513編成)が留置中。

方向幕が『都城』と表示されているので、同駅に1往復のみ顔を出す6950Mまでのひと休みでしょうか。同系(鋼製車)も821系の増備に伴って全車引退もそう遠くないと思われ、大分配置の車両共々できるだけ乗っておきたいものです。

 

 

 

車内清掃が終わり、ドアが開いて乗り込むのですが、席を確保した後に一旦改札を出させてもらい、構内の物販店『PATIO鹿児島』で駅弁を買い込んで再び乗り込みます。

 

 

 

きりしま10号の車内。

4号車自由席は半分以下の乗車率で、わざわざ指定席を取らなくて正解でした。

 

 

 

今回乗車したクハ車は、元々有明用として製造された車両でした。

 

 

 

『瀬戸瀬から志布志ゆき』乗車券と、広島駅であらかじめ買っておいた自由席特急券。

特急券が南宮崎までなのは、宮崎~南宮崎~宮崎空港の区間が乗車券のみで特急の自由席に乗車できる特例区間だからです。

 

 

 

それでは、鹿児島中央駅を発車します。

市街地のビル群と、その間に桜島を見ながら、鹿児島本線の末端区間を進みます。

 

 

 

鹿児島駅前電停に停車中の路面電車を見ながら、鹿児島駅に到着。1駅だけの鹿児島本線の後は、日豊本線の旅が始まります。

ちょうどこの時は駅舎の建て替え工事中で、仮駅舎による営業でしたが現在は新駅舎が開業しています。

なお、動画からの切り出しのため車窓の画像が不鮮明な場合があります。ご了承ください。

 

 

 

鹿児島駅を出ると、錦江湾とその対岸にそびえる桜島の車窓風景を楽しむ事ができます。

 

 

 

そして竜ヶ水駅を通過。

同駅といえば停車中の2本の列車が巻き込まれた1993年の土石流災害であまりにも有名になってしまいましたが、この時の災害復旧を記念する記念碑がホームに建立されています。

 

 

 

錦江湾と別れ、重富駅で運転停車し、6009Mきりしま9号と交換します。

 

 

 

隼人に続いて国分に停車。

当駅から志布志まで続いていた大隅線(1987年廃線)のホームが、柵で封鎖された状態で残っています。

 

 

 

国分を出て田園地帯を通り、やがて山間部に入っていきます。

 

 

 

ここで駅弁タイム。

松栄軒謹製『豚しょうが焼きと唐揚げ弁当』。同社はお肉系の駅弁が充実しているので、『リアル肉食系』の私にとっては嬉しいです。

 

 

 

列車は山間部を抜けて宮崎県に入り、都城盆地に入ります。

西都城駅の手前から右側から突如合流してくるレールのない高架橋が、大隅線に続いて国鉄最末期に廃線となった志布志線の跡です。

 

 

 

そして西都城駅に到着。

ここから1駅、都城までの間は元々志布志線として開通した区間で、国分からの日豊本線がつながった事によって同線に編入された経緯を持っています。

 

 

 

次の都城駅では、6011Mきりしま11号と交換のため4分停車します。

 

 

 

都城を出て、この列車の愛称名の由来となった霧島連山が左側に見えてきます。

(餅原駅付近)

 

 

 

山之口駅を通過後、『青井岳越え』の峠道に入っていきます。

 

 

 

その山間部の中間にある青井岳駅を通過。

SL時代は撮影の名所としても知られていました。

 

 

 

列車は県庁所在地の宮崎市域に入り、山間部を抜けて清武川を渡ります。

 

 

 

特急きりしまの旅もそろそろ終盤に入り、清武駅を通過後再び清武川を渡ります。

 

 

 

この後志布志へ向けて乗車する事になる日南線が右側から合流し、宮崎車両センターに留置されている車両群を見ながら南宮崎駅に到着します。先述の通り乗車券は当駅から日南線に入る経路ですが、終着駅宮崎まで乗り通します。

なお、既に小倉~南宮崎は2年前に完乗しているので、今回の乗車を以て日豊本線も私の完乗路線の一つに加わりました。

 

 

 

南宮崎駅を発車後、日豊本線では最長となる大淀川の橋梁を渡ります。

そういえば、かつて博多から熊本を経て肥薩・吉都線経由で宮崎へ通じていたキハ80系特急『おおよど』がありましたが、キハ185系で復活運転しないかな…と思っているのですが。

 

 

 

大淀川を渡った後は高架区間に入り、終着・宮崎駅に到着です。

 

 

 

改札口で乗越精算を済ませて駅の外へ。

駅前広場には、県木のフェニックスなどヤシ科の樹木が多数植えられており南国ムードを盛り上げます。

 

 

今回はここまで。

次回、本篇としては最終回となる日南線乗車篇で、いよいよゴールの志布志へと向かいます。

つづく。