2014年9月 山陰、九州一周旅行⑪ 日本最大規模の遺跡 吉野ヶ里 の巻
こんばんは!
夜遅くなりましたが更新していきます。
前回は少しテーマを変えましたが再び旅行記に戻ります。
まずは前回の旅行記から。
西大山に到達し旅もいよいよ後半戦です。
この日は鹿児島中央から肥薩おれんじ鉄道経由、途中吉野ヶ里遺跡に立ち寄りながら小倉を目指します。
九州を縦断する大移動になります。
ここに来ての九州縦断は鉄道に興味のない友人にとっては相当しんどいものだったようです。
しかし名古屋に帰るために進みます(笑)
肥薩おれんじ鉄道は九州新幹線開業の先行開業により第三セクターに転換された路線。
JR時代は鹿児島本線として幹線でしたが今では単行の気動車が走るローカル線に。
しかし貨物輸送は盛んなため電化設備は残されています。
肥薩おれんじ鉄道は当然18切符で乗れませんが、18切符を提示することでおれんじ18きっぷなるフリー切符を買うことができるため今回、購入しました。
HSOR-100形
地方の鉄道では標準的な気動車です。
新しい車両ですが、よく見ると貫通扉のところがボロボロに・・・
第三セクターの厳しさを感じます。
こちらはオレンジ一色で顔が描かれています。
肥薩おれんじ鉄道の車窓について。
海沿いを走る区間が多いので車窓は素晴らしいです。
なかなかここまで海沿いを走る路線はないです。
路線に関しては元は鹿児島本線というだけあって長大なホームの主要駅がいくつかありますが走るのは単行の気動車。
かつての栄光はどこにもありません。
終着の八代でJRの列車に乗り換えです。
おそらく783系の画像も八代だと思うのですが、なぜ783系がいるんでしょうか?
それとも記憶違いなのかな・・・
815系に乗り鳥栖まで一気に北上てす。
815系のデザインはイマイチ好きになれません。
811系と813系が好きだったので特にそう思うのかもしれませんが・・・
鹿児島本線を北上すると途中西南戦争の最後の地である田原坂を通ります。
歴史の授業で誰もが一度は聞いたことのある場所でしょう。
しかし本格的に発掘調査がされたのは平成になってから。
驚くほど最近なのです。
墳丘墓
弥生時代のお墓がそのまま残っています。
弥生時代というと2000年ほど前の時代。
気が遠くなるほど昔です。
主祭殿
吉野ヶ里遺跡で1番大きな建物。
クニ全体の重要な決め事や重要な祀りが行われる場所だったそうです。
物見櫓
弥生時代は他のクニと争いが絶えない時代。
そのため周りを環濠や柵で囲み、物見櫓を作るなど常に争いに備えていました。
吉野ヶ里遺跡の全体像
こうやって見ると非常に広大であることがわかります。