旅行で使う「旅客事務用線路図」には、熊野市から延びている紀南線が載っています。

 

紀南線は紀伊木本から矢ノ川峠を越えて、尾鷲までを結んでいましたね。

昭和34年に紀勢線が新鹿から三木里を結んで全通するまで、連絡自動車線の役目を果たしたのは周知の通りです。

https://youtu.be/D665mu7x_jw

 

(画像は無断転載)

 

国鉄バスは私鉄系バスと違って、鉄道線路の扱いだったと聞いています。

それで、停留所は「駅」と呼び、発車のときはクラクションを鳴らしていたそうです。

さらに車内でも車掌から東京行きの切符を買えたと聞けば、鉄道と変わらないですね。

 

現在の矢ノ川峠は廃道になっていますが、かつての路線を偲ぶツアーが催されています。

大阪からは遠すぎますが。

 

さて、ここで我が家にある書籍から丸写しで、皆様と昭和28年9月の紀南線に乗りましょう✨

 

新宮7時7分発の362レで紀伊木本に8時17分到着。

ここから西線と東線を結ぶ国鉄バス紀南線に乗車だ。

8時20分発車、45㎞、2時間40分のバスの旅が始まった。

暫くは海岸線の漁村の点在する地区を走る。

左窓から紀勢線の延長工事中の築堤が見える。

山間部に入り、熊野路最大の天険と言われている標高808mの矢ノ川峠に向かって、どんどん高度を上げて行く。

無人の山峡に達すると、両岸急斜面で谷は深く、谷底が見えない。

道路は山肌に忠実にへつらうように続きUカーブの連続である。

当時は未舗装、ガードレールもない。

道路幅も一車線、所々に交換できる待避場所がある。

急カーブの箇所では車体後部が空中に浮くようでスリル満点。

山肌を縫う白い道はかなり先まで見え、砂ほこりを上げて走行してくる対向車がいることがよくわかり、待避所で待っていると杉の原木を積んだトラックが通過していく。

しかしほとんど対向車はなく、1時間半ほどでやっと峠に到着。

車掌が「ここで休憩します」と言うと、運転手をはじめほとんどの乗客が外に出て手足を伸ばす。

まさに正真正銘の峠、ちょうど三角形の頂点のようでほとんど平坦部が無く、道はすぐ下り坂、山頂をわずかに切り取った所に今にも吹き飛ばされそうな茶店がぽつんと建っていた。

交通量から見て利用者はいかばかりかと心配になる。

視界は緑の木々に覆われた熊野の山の稜線が幾重にも連なりまさしく「木の国」だ。

反対の尾鷲側から荷物満載の国鉄のトラックがやってきた。

これもここで小休止だ。

車掌に「すごい道ですね」と話しかけると「開業以来一度も事故を起こしていないです」と誇らしく教えてくれた。

「出発します」の一声で全員が車中の人となり動きだす。

すると「ブレーキのテストをします」との声で急停止する。

道端に「制動試験」「少しの注意が大事を防ぐ」という標識が立っており、無事故の度量がかいま見られる。

今度は逆にどんどん下る。

途中にはループ線を描く珍しい箇所を通過し、山間から海岸線が見えてきて、11時5分尾鷲に到着しここで昼休み。

12時48分発の18レで紀勢東線を出発。

 

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