田川後藤寺にとうちゃこ。
ここにも平成筑豊鉄道の路線が。
元のJR糸田線である。3セクの平成筑豊鉄道糸田線として今日も列車が走る。
キハ40系。47形なのか147形なのかよくわからん。
時間があるので改札の外へ。
ここに来たらいつもこのアングルで写真を撮る。
ここに来るのは何回目かねぇ。
記憶にあるのを数えると4回目。
気動車好きにはたまりませんな。
駅舎。昔はここにキヨスクが入ってたような記憶があるんだが。今はただの待合室になっていた。
北九州とか筑豊ってその昔は炭鉱だったり製鉄所だったり4大工業地帯の一角を占めたり国の重要な部分を担っていたので、そのこともあって鉄道の方も人口の割に密集して敷かれていた。だから福岡は東京や大阪と並んでJ国鉄の大都市近郊区間というのが設けられた。今はだいぶ線路がめくられたり3セク化されたのでだいぶスカスカになったけどそれでも最近設定された新潟や仙台近郊とは年季が違う。
田川市はこの後藤寺駅と伊田駅の2トップが中心駅となっている元々後藤寺町と伊田町が合併して出来た街。お互いが田川駅の名を獲りあったものの折り合いがつかず、結局元の駅名の頭に「田川」をつけ両者が田川市の中心駅になるという意地の張り合い歴史がある。田川伊田は3路線が乗り入れる駅であるがここ田川後藤寺も日田彦山線・後藤寺線・平成筑豊鉄道の糸田線の3路線が乗り入れる駅である。この規模の街で隣り合った駅で鉄道路線が3本づつ乗り入れるところなんて他にないと思う。
宮脇俊三さんの「時刻表2万キロ」「最長片道切符の旅」なんかを読んでいると当時の入り組んだ当時の路線をしのぶことができる。
さぁ行きますか。
ここからは後藤寺線の旅である。
今回はこれから向かう駅がメインの撮り鉄旅の目的地となる。
もう一つは筑豊線の折尾以北。折尾ー若松間で撮る予定だ。
そう言えば折尾駅の工事が終わったらしくもう立体交差じゃなくなったらしい。
「上もゆくゆく下も行く」ではなくなった折尾駅も見てみよう。
そして列車は目的地の駅にとうちゃこ。その駅の名は
船尾。この後向かうのが折尾。「ふなお」と「おりお」。似てると思ったけど思ったほど似てないな・・・。
鉄ちゃんの業界では有名な駅である。ここは初めて通った時に独特というかなんというか、ある種異様な光景にとても驚いた駅である。
砂埃みたいなの舞ってるでしょ?
これ、砂ではないんですよ。
石灰の粉なんですよ。
石灰の粉が風で舞い上がる駅、船尾に到着した。 続く