今回、ようやく4日目の後半として広島までの行程を紹介します。
当初の予定では広島までではなく、その日のうちに九州入りするハズだったのですが、行程の途中で一大アクシデントが起こってしまいます…。
それでは、旅行記の続きをどうぞ。
瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第17ランナー
府中15:05→三次16:52
福塩線・芸備線 普通 1729D
編成/広ヒロ キハ120 17☆(単行)
府中からは電車から気動車の旅となりますが、ここから先の区間は列車の運転が朝夕に偏っており、8時台の次は15時台と7時間弱に渡って府中から先の列車がなく(※学校の終業時間に合わせた特定日には12時台の臨時便も運転)、この1729Dのダイヤに合わせてプランを組むしかありませんでした。
福塩線のみならず、中国山地を走る過疎ローカル線は大体こんな感じで、まさに『乗り鉄泣かせ』な路線であります。
今回乗車するキハ120 17は3年前に乗った時と同じ車両でした。福塩線と芸備線の三次~備後落合で使用されているキハ120(青紫と赤の帯)はオールロングシート仕様でBOX席はありません。時節柄か、18キッパーの利用が多いようで、アジア系の女性グループ(多分、沿線に住む外国人労働者)の姿もありました。
発車時刻まで時間があるので、一旦改札を抜けて駅舎を撮影。
府中駅も国鉄時代からの旧来の駅舎が残っています。
ネット上でアダルト動画や画像が容易に手に入る昨今ですが、駅正面には『悪書追放』と書かれた白ポストが設置されています。
府中を出ると、しばらく車窓から遠ざかっていた芦田川を渡り、この川の右岸に沿って進みます。
芦田川を渡る辺りで遠くに見えるのが府中が誇る大企業・リョービの本社ビルです。一般に知られていた釣り具やゴルフ用品、電動工具の事業は売却され、現在はエンジンブロックなどの自動車用ダイキャスト部品の製造が主力となっています。
府中までの平野部から一転、芦田川沿いの谷間に沿って進むようになります。
画像の右側が赤みがかって見える場合がありますが、隣の乗客のコートの色が映りこんでいるからです。
最初の停車駅・下川辺を過ぎ、右に見えるのが北川鉄工所の下川辺工場です。
一般的にはリョービより知名度が低いようですが、北川鉄工所も府中に本社を置く大企業で、東証1部上場の金属・機械工業です。
列車は深い山あいに入っていきます。
芦田川を何度か渡り、周囲が少し開けてきた処で河佐駅に到着。
比較的まとまった集落があり、キャンプ場などがある行楽地の河佐峡の最寄り駅でもあります。
再び芦田川を渡り、諸毛トンネルに入ります。
この福塩線の非電化区間も、他のJR西日本の過疎ローカル線の例に漏れず徐行区間が多く、トンネルの手前には25㎞/hの速度制限標識がありました。
右側に河佐峡が見え、再び芦田川を渡ると八田原トンネルに入ります。
八田原ダム建設によるルート変更で山側に迂回するために掘られた延長6123mという長いトンネルで、旧線は中間の八田原駅とともにダム湖に沈みました。
八田原トンネルを抜けて備後三川駅を過ぎ、そのお次が備後矢野駅。
ホームには石仏を祀った辻堂が建てられており、木造の古い駅舎内ではうどんとそばの店が営業しています。
(駅舎の画像は2017年3月撮影)
備後矢野のお次は、ユニークな駅名である上下。その名の由来は諸説あるようです。
この上下にて、上下列車が交換します。対向列車は三次発の1728D。
上下の次は甲奴駅。ここも素朴な木造駅舎が残っており、旧事務室部分ではお好み焼きの店が営業しています。
上下~備後安田の間に並行する川、その名も上下川(江の川水系)で、梶田~備後安田の間で2度渡ります。
なお上下の地名の由来として、町の中に芦田川水系と江の川水系の分水嶺があり、上下に水が分かれるからという説もあります。
吉舎駅の近くには県立日彰館高校があり、普段は学生の利用が多い駅です。
(駅舎の画像は2017年3月撮影)
吉舎を出ると江の川水系の馬洗川(ばせんがわ)と並行し、福塩線としては最後の一駅である三良坂駅を過ぎた処で渡ります。
右に馬洗川を眺めながら、備後庄原方面からの芸備線が合流します。
そして福塩線の終着駅・塩町に到着。列車はそのまま芸備線に直通します。
そしてこの列車の終着駅・三次に到着です。
三次といえば、2018年3月31日限りで廃線となった三江線が接続していましたが、同線で活躍していた浜田鉄道部のキハ120 309(リニューアル車)が1番線ホームに停車しており、方向幕には『府中』の文字がありました。この列車は私が乗ってきた1729Dと入れ替わりに発車する福塩線の1730Dで、車両そのものは芸備線(広島~備後落合)と福塩線(非電化区間)を担当する下関総合車両所広島支所(広ヒロ)に貸し出しされているようです。
私にとって3度目の訪問となる三次駅。
2017年春に福塩線で当駅まで乗車した後、三江線に乗り換えて同線最後の乗車を果たしたのでした。
瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第18ランナー
三次17:18→広島19:14(定時の場合)
芸備線 普通 1873D
編成/広クチ キハ47 149+キハ47 3009☆→広島
昨年10月に、西日本豪雨災害による不通が解除してようやく全線での運転再開を果たした芸備線。
私が同線の三次~広島の区間に乗車するのはちょうど3年振りで、江津から三江線に初乗車した後に乗り換えて広島へ向かった時以来です。
『志布志から瀬戸瀬ゆきの旅』としては3度目の乗車となるキハ47形。
吉備線で乗車した岡山の車両と同様、朱色塗装で窓周りを大きく改造した延命40N工事施工車です。
山陽本線の広島エリアや可部線が227系に全て置き換えられた昨年3月ダイヤ改正以後、キハ40系(40・47)は広島駅に定期運用で入線する唯一の国鉄型車両でもあるのです。
今回乗車したキハ47 3009は、ロングシートを延長したためBOX席が中央の4区画のみという車内レイアウト(もう1両の149は従来通り)。
但し、乗客はあまり多くなく、三次発車時点でこの車両にはわずか数名という少なさでした。
三次駅には豪雨災害からの運転再開を記念する横断幕が張られていました。
私が前回芸備線の三次→広島を乗車した2017年のこの日は、ちょうどUターンラッシュと重なって激混みだったのですが(快速みよしライナー)、今回乗車した普通1873Dはガラガラ…。不通になっていた間に高速バスなどに乗客が転移した事も考えられるのでしょうか…?
それでは、三次駅を発車します。
旧・三江線が右に分かれていきます。廃線から2年近くが経過し、レールはまだ残っていましたが、橋梁部は柵で封鎖されていました。
夕闇迫る安芸路を行く…。
前回乗車した時は混雑で、今回は日没で満足に車窓を楽しめなかったのが残念です。
列車は、井原市(いばらいち)駅から中国地方最大の都市・広島市に入ります。
次の志和口駅で普通1856Dと交換。ここまでは順調な旅だったのですが…?
志和口駅発車後、車内放送で「列車がお客様と接触したため、この先の中三田駅にて運転を見合わせます」という知らせが…。
つまり人身事故が発生したのですが、『お客様と接触』の表現がどうも引っ掛かります。駅構内ならわかりますが、駅間での発生ですし…。
そんなワケで、18:25到着の中三田駅で足止めとなってしまいました…。
中三田の駅舎。
一応飲料の自動販売機はあるのですが、駅周辺にはコレといった店もなく、最寄のコンビニまでは約1㎞も離れているため食事の買い出しに行く事もできず、ひたすら運転再開を待ち続けるしかありませんでした…。
実は、この日の旅の予定は広島までではなく、そこから新幹線に乗り換えて一気に鹿児島中央まで移動する予定でした。
広島から乗り継ぐ予定だった山陽・九州新幹線みずほ619号は19:46発。当然、乗り継げるハズもなく、広島から鹿児島中央へ行けるのは21:20発みずほ613号が最終。
なお、若い男性車掌が車内を回って広島から新幹線に乗り継ぐ予定の乗客を尋ねていたのですが、先頭車には私の他にもう一人、名古屋方面へ向かうと思われる30歳前後の男もおり、彼は車掌に対して悪態をついていました。
予定が狂ってしまうのは困りますが、怒りをぶつけたからといって何も解決しないのだから、JRに非がない事に対してクレームを付けるのはハッキリ言って大人げないです!!
本来乗り継ぐハズだったみずほ619号の特急券は、当初えきねっとで予約していたのですが、うっかり切符の受け取りを忘れたままサンライズ出雲に乗車してしまい、気付いたのが岡山を出て宇野線に乗車した後というマヌケ振り…。東京駅で駅舎の撮影や食事の場所を探してウロウロしているうちに忘れてしまったようです。
他社の列車のため『えきねっと特典』の適用も受けられず、寄りによって他の『えきねっと特典』対象外の列車から変更をした予約だったため他の列車にも変更もできず、やむなく払い戻すしかありませんでした。しかも乗車当日の払い戻しのため30%の手数料を取られるという始末。仕方がないので、福山駅で同じ列車の特急券を改めて買い直したのです。
キチンと切符の受け取りをしておけば、乗り継ぎ不可による補償を受けられたのにねぇ。
さて…人身事故の内容はこの新聞記事の通り(中国新聞2020年1月4日朝刊より)。
列車は広島17:45発の3860Dで、記事では心肺停止とありますが、その後死亡が確認されたようです。
高齢女性の線路内立入なので、認知症による徘徊なのかと思われますが、広島口の芸備線では人身事故が結構な頻度で発生しているようで、ある意味呪われているのかも…?
結局、夜のため事故処理に時間を要したようで、2時間以上経過した20:29にようやく中三田駅を発車。
広島まではあと1時間近く掛かるので、鹿児島中央への新幹線に乗り継げないのは確実となってしまいました。
乗降客が多い下深川駅で上下列車が交換します(上り狩留家方面の列車番号は不明)。
広島からの乗客もさぞかしお疲れだったかと…。
人身事故の発生現場に近い安芸矢口駅の電光掲示板には『大幅遅れ』の表示が…。
結局、大幅遅れを引きずって21:23頃(?)終着の広島駅にようやく到着しました。
鹿児島中央行の新幹線の最終便は、数分の差で乗り継ぐ事ができませんでした…。
とりあえず、新幹線乗換改札口に向かいます。
この後は熊本行きの便しかありません。
改札口で待っていた助役の方が、この後の乗り継ぎについての相談を受けてくれたのですが、鹿児島での宿を取っている旨を伝えた処、「広島で泊まられるのでしたらコチラでホテル代負担しますので…」という提案をされたので甘んじて受け入れる事にしました。平身低頭でお詫びしていたので「コレばっかりはどうしようもないですよ。おたくの会社は何も悪くありませんから…」とフォローしておきましたが。
本来、人身事故はJRの瑕疵にはならないので輸送障害による切符の払い戻しや変更以外の補償は対象外なのですが、夜間で目的地に到着できない事を考慮して頂いたのでしょうか。しかし、あくまでもケースバイケース。補償対象外の法外な請求でゴロつくのは絶対にやめましょう!!
広島泊が決まり、持っていたみずほ619号の特急券を翌朝の新幹線に変更するためみどりの窓口へ。
当初の予定では、翌朝に鹿児島中央から特急きりしま4号で宮崎へ出て(南宮崎~宮崎は区間外乗車)、宮崎からはD&S列車の海幸山幸に乗車して終着の南郷で2時間程度観光の後、最終ランナーとなるハズだった1935Dで志布志に到着するのは14:50の予定でした。
広島からの九州新幹線の始発便が6:44発さくら451号なのですが、鹿児島中央着が9:35なので海幸山幸には間に合いません(熊本泊なら不可能ではないが深夜到着、早朝出発なのでスケジュールがキツくなる)。志布志には夕方までに着けば良いので、朝はのんびりと8:46発のさくら545号で広島を出発する事にしました。
海幸山幸に乗れなくなったのは残念ですが、またの機会にリベンジを果たしたいと思います。
特急券の変更を済ませ、JRが用意したホテルに泊まるため広島駅を後にします。
画像は新幹線口。
先程みどりの窓口へ案内した方とは別の助役さんの案内で向かった今夜の宿は『グリーンリッチホテル広島新幹線口』。
なお、芸備線で車掌に盾突いた男も結局は新幹線に乗り継げなかったようで、私と同じくこのホテルに宿泊する事になり一緒に向かいました。男の後に私もチェックインを済ませ、エレベーターに乗り込む処までお見送りして頂いた助役さんに一礼し、客室に向かいます。
客室は一般的なビジネスホテルという感じで、必要にして十分な設備が整っています。
ここで鹿児島で泊まるハズだったホテルにキャンセルの電話を入れたのですが、『交通機関の遅延』が理由という事で本来掛かるハズだったキャンセル料を免除して頂きました。その上広島のホテル代も無料になり、えきねっとの払い戻し手数料以上を取り戻せたようなので、『災い転じて福となす』が現実のモノとなりました。
今回泊まった客室は比較的上の階でしたが、窓からは行き交う新幹線を眺める事ができる『トレインビュー』のお宿なのでした(^^)
荷物を置いて、まだ夕食を摂っていなかったため一旦外出します。
せっかく広島に来たのだから、お好み焼きでも食べようと思ったのですが…。
結局、手っ取り早いコンビニ(ファミマ)で広島風お好み焼きを買って食べる事に。
いつか、のんびりと広島観光して、店でお好み焼きをタラフク食べてみたいなぁ…。
記事の最後にもう一度言います。輸送障害に対する補償はあくまでもケースバイケースです。列車の遅れによって他の列車に乗り継げなかった場合の補償の範囲は通常、運賃と料金に対してなので、今回のようなホテル代の補償が受けられるとは限りません。もしも輸送障害に巻き込まれた場合、鉄道会社が提示する補償内容以上の法外な請求は絶対なさらないようにお願いします。
次回は九州篇、いよいよ『瀬戸瀬から志布志ゆきの旅』も終盤に入ります。
つづく。