みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「近鉄特急で令和最初の伊勢志摩を巡る」と題して、先月に伊勢志摩を日帰りひとり旅した際の様子をシリーズでお送りしています。
三重県・中勢地方南部の中心都市、「松阪駅(三重県松阪市)」にやって来ています。
「近鉄電車」と「JR紀勢本線(きせいほんせん)・名松線(めいしょうせん)」が発着する主要駅で、名古屋方面からつかず離れずで並走して来た「近鉄」と、県南部方面への「紀勢本線」が接続する最南端の駅ということで、乗り換え客の利用も多いようです。
さて、駅に通じる目抜き通りに出て来ました。
ただし、散策出来るあまり時間はなくて、さらに昼食もまだです。
古くから、歴史と文学の街として知られている
ここ「松阪」。駅近くにも、訪問してみたい史跡がたくさんあるのですが、どうも時間が足りなさそうです。別の機会に、ぜひゆっくりと散策してみたいと思えるところです。
せめても?というと何なのですが、この「松阪駅」についてこのシリーズではたびたび登場、
「各駅停車全国歴史散歩21 三重県」
(中日新聞三重総局編・河出書房新社刊 昭和56年10月初版 絶版)から、拾ってみます。
文人と商才と食通 松阪
近鉄が営業で軍配
松阪市は、国文学者・本居宣長(もとおり・のりなが、一七三〇‐一八〇一)と三井財閥の創始者・三井高利(みつい・たかとし、一六二二‐九四)を生んだ、文学と商人の町である。
駅は表玄関と言われる西側が国鉄、東玄関が近鉄。これを跨線橋で連結したアベック駅だ。
国鉄は明治二六年に参宮鉄道会社の松阪駅として開業。駅の位置を決めるのに機関車の煤煙・振動害を予測して大もめした末、やっと落ち着いたという。同三九年に国鉄に買収され、そのままいまに引き継がれている。
現在の駅舎は鉄筋コンクリート三階建て、昭和三七年改築の二代目。近鉄の方は同五年に併設の形で営業を開始した。
一日の乗降客数は国鉄の約三〇〇〇人に対し近鉄が約八倍。今や”庇を貸して…”の観だ。
早朝に伊勢から大阪(宇治山田→大阪上本町間)、夕方に大阪から伊勢(大阪上本町→松阪間)で運転されている、近鉄の「鮮魚列車」。
「鶴橋駅(大阪市生野区)」にて。
急いでスマホを向けたので、お見苦しいショットで申し訳ありません…
近鉄駅の朝は、一番電車に、鮮魚の入ったブリキ製容器を肩にした”魚屋”さんが、どっと乗り込んで明ける。駅前の市場で仕入れ、大阪方面へ売りに行く人たちだ。(後略、出典同 P30)
早朝に伊勢湾で揚がったばかりの新鮮な魚介類を、奈良や大阪方面へ売りに行く行商の人々を乗せるために、長年にわたって「鮮魚列車」という専用列車が、近鉄では運転されています。
しかし、行商に携わる人が年々減少していることなどを受けて、今春のダイヤ改正でこの「鮮魚列車」は廃止されることになりました。
以降は、定期の「大阪ゆき快速急行(早朝)」「松阪ゆき急行(夕方)」のうち1両を「行商人専用扱い」にし、存続はされるようです。
(参考)「NHKニュースWEB」
近鉄「鮮魚列車」来月運行終了へ 50年以上の歴史に幕(2020年2月16日配信)
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200216/k10012287701000.html
さらに朝日大阪朝刊 2020(令和2)年2月19日付け 32面(社会面)より。
くだんの「鮮魚列車」運行終了についての記事が載っていました。
運行が開始されたのは、1963(昭和38)年だったとのことなので、60年近くの歴史があったのですね。
「匂いのする魚介類を運ぶ」ということから、専用の「鮮魚列車」の運行が始まったとのことですが、これに乗車出来るのは特定の行商人組合に所属している人に限られていて、さらに、3両編成を専用に仕立てた車内では、誰がどこに荷物を置いたり、どのシートへ横になったりするのが決まっているのだそうです。
先ほども触れましたが、専用列車としての運行は来月13日に終了することが決まっているのですが、以降は、定期列車にこの「伊勢志摩で獲れる魚のラッピング」を施した車両を増結し、これが「行商人専用車両」になるそうです。
そういったことで、長年にわたって親しまれて来た、いわば「近鉄の名物列車」もひとつの区切りを迎えることになるようです。
ところで「鮮魚列車」の方向幕はというと…
「貸切」や「団体」などではなく、そのものずばりの「鮮魚」というのも興味深いものです。
これもあと3週間ほどで、見納めです。
次回に続きます。
今日はこんなところです。