みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「近鉄特急で令和最初の伊勢志摩を巡る」と題して、先月に伊勢志摩を日帰りひとり旅した際の様子をシリーズでお送りしています。

 

 

ただいま「五十鈴川駅(いすずがわえき、三重県伊勢市)」です。 

「近鉄電車の中で最も伊勢神宮内宮に近い駅」という位置付けながら、意外にも閑散とした雰囲気のこの駅をあれこれと観察しています。

 

 

ところで、この駅は昨年(2019年)12月に「開業50周年」を迎えたのだとのこと。

 

 

駅の窓口で、いまや貴重な存在になった「硬券(こうけん。ボール紙を材質にした、自動改札機に対応していない、昔ながらの厚みのあるきっぷ)」の記念入場券を見つけました。

 

 

余談ですが、わたしの小学生くらいまでは、これが地元の駅でも普通に売られていて、改札の駅員さんがハサミでパチンパチン…と切ってたな…などと思い出します。もう30年以上前のことです(苦笑)

 

しかし、偶然なのか「開業五十周年記念の五十鈴川駅の入場券」です。縁起がいいですね。

 

 

 

付属の台紙には、開業直後の駅の様子を捉えたショット。

駅前のロータリーに停まるクルマや、長いホームで折り返しを待つ、旧型の特急列車の姿は現在では見られないものですが、山に囲まれた周辺の様子は思いのほか、あまり変わりがないようです。 

 

 

ところで、この「五十鈴川駅」が所属しているのは、ひとつ東の「宇治山田駅(同)」から延びる「鳥羽線(とばせん)」という路線です。 

 

 

「宇治山田駅」ホームから「五十鈴川・鳥羽方面」を望む。

「伊勢中川駅(同松阪市)」からこの駅までは「山田線」、この駅から「鳥羽駅(同鳥羽市)」までは「鳥羽線」。

 

昭和年の開業以来、戦争をはさんで「伊勢神宮の玄関口」として長い間終着駅だった「宇治山田駅」ですが、昭和も半ばを過ぎた頃から、この先への路線延伸計画がたびたび持ち上がって来たようです。

 

 

近鉄電車 ホームページより。その右下(赤い□)付近が、今回旅している「伊勢志摩」なのですが… 

 

 

「宇治山田駅」から先には「内宮」に近いこの「五十鈴川駅」、そして、真珠島や水族館があり、海の自然豊かな「答志島(とうしじま)」や「菅島(すがしま)」に近く、また「渥美半島(愛知県)」へ向かう「伊勢湾フェリー」が発着する、古くからの名勝・観光地として人気を博す「鳥羽(とば)」があります。 

 

さらにその先には、当時まだ開発途上で、リアス式海岸が美しい志摩半島の「鳥羽~賢島(かしこじま)間」に「志摩電気鉄道」という、ローカル私鉄が走っていました(昭和4年全通。「三重交通」などを経て、昭和40年に近鉄の路線となる)。

 

 

都合、伊勢志摩・鳥羽方面での大規模なリゾート開発を計画していた近鉄は、「宇治山田」で途切れている路線をさらに延伸し、「鳥羽・賢島方面」への直通計画を進めることになりました。

 

 

まず「宇治山田~五十鈴川間」が1969(昭和44)年12月に暫定開業。 

 

 

その翌春、1970(昭和45)年3月に残りの「五十鈴川~鳥羽間」が開業。

これにより「宇治山田~五十鈴川~鳥羽~賢島間」がつながり、「大阪・名古屋・京都方面」から「鳥羽・賢島間」へと、特急列車が直通する運転形態が構築され、現在に至りました。

 

 

これは、同年に開催された「大阪万博」の観客を、伊勢志摩・鳥羽へ誘致する目的が主なものであったとされています。

近鉄電車ホームページ「路線の履歴書」より。

 

 

殊に、大阪・名古屋方面からですと、国鉄(現在のJR東海)でしかアクセス出来なかった「鳥羽」へは、近鉄の開業で各方向から多数の特急列車が直通するようになり、観光地としても多大な発展を遂げるに至ったようです。

 

 

そういったことで、「鳥羽駅」と「宇治山田駅」で途切れていた「志摩線」と「山田線」、そしてその先の「大阪線」「名古屋線」とを結節するという、大きな役割を果たすことになったのが「宇治山田~鳥羽間」の「鳥羽線」開業だった、ということが窺い知れます。

 

距離にするとわずかなものですし、なにより、特急列車では直通運転がなされているので、「途中で線名が替わっている」と意識する機会は少ないのでしょうが、近鉄にとっては重要な「鳥羽線」だったのですね。

 

 

ところで、今回のひとり旅で活用しているのはこの「伊勢神宮初詣割引きっぷ」なのですが… 

 

 

ありがたいことに、きっぷのフリー区間(松阪ー賢島間)を走る特急の、特急券引換券が2枚付いていました。

せっかくなので、これを使ってみようかと思います。

 

次回に続きます。

今日はこんなところです。