いよいよ展示室の中に入っていきます。この井笠鉄道記念館の展示室は、大正2年に造られたかつての旧新山駅の待合室です。



展示室内には、当時の鉄道用品や資料、写真などが所狭しと飾られています。



このガラス窓の向こう側が駅員のいた執務室です。今は、記念館の事務所と受付、売店になっています。左側の小さい窓が切符を販売していた窓口です。

右側の大きい窓の下にあるパンフレットなどが置かれている場所が、60年近くに渡って使われてきた作りつけのベンチです。



井笠鉄道の沿線図と、開業から廃止までの模様が説明パネルにて紹介されていました。
 


井笠鉄道は、大正2年(1913)に岡山県南西部の笠岡と井原を結ぶ路線(井笠本線)で営業運転を開始しました。昭和15年(1940)までに、路線は東が矢掛(矢掛支線)、西が広島県の神辺(神辺支線)まで延長され、総延長37kmと県下有数の私鉄になりました。



軽便鉄道というレールの幅が狭く小型の車両を使う鉄道で、その車両は“マッチ箱”と呼ばれ、地元の人たちに親しまれていました。通勤・通学の手段としてはもとより、沿線で開催される縁日の参拝客、桃や柿といった特産品の輸送など、地域の観光や産業の発展にも貢献しました。



昭和20年代から30年代にかけて、年間200万人以上の乗降客を運んだ年もありましたが、昭和40年代になって自動車が普及したこともあり、利用者が減少していきました。昭和42年(1967)には支線が、昭和46年(1971)には本線が廃止になり、およそ60年の歴史に幕を閉じました。



当時の鉄道用品や資料、鉄道模型なんかが展示されていました。




かつての執務室(今の事務所)には、当時の手書きの時刻表も飾られていました。昭和45年10月1日改正と書かれていましたので、廃止直前の時刻表みたいです。けっこう本数ありますね。

列車番号の上に書かれている“客”は旅客列車のみの編成ですね。また、“混合”は貨車も併結されていたみたいです。最終列車の欄には“不定期”の文字も。



また、この執務室の中には、かつて駅と駅の連絡に使われていた磁石式電話機も残されていました。

現役時代と同じ場所に設置されているみたいです。電話機の下に貼られた紙には、各駅の呼び出し番号が書かれています。これも、現役時代のままみたいですよ。




タブレット機器も置かれていました。



廃止されてから50年近くになるんですが、これだけきれいに残っているのには驚きでしたね。そして、嬉しかったですね。井原市や保存会の方たちが、保存展示に向けた活動をしてくれているのでしょうね。





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