瀬戸大橋、岩黒島高架橋上の岩黒島バス停より第5便の下電バスに乗車して与島へ向かいます
 
瀬戸大橋線の路線バスには
 
本日第3、4、5便と児島駅、櫃石小学校、岩黒島バス停と3度目の乗車ですが・・・
 
この便も同じ運転手さんと車両で貸切(^▽^;)
 
15時21分に発車、岩黒島橋と与島橋を渡り与島高架橋へ
 
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15:22
与島パーキングエリアは緊急時の避難所としても活用するために信号機(本線信号と流出信号)が設置されており、異常気象などで通行止めになった時は赤信号で強制流出させるようになっております
 
15:22
流出線に入ると東側の車窓に塩浜地区の塩田跡の埋立地が広がります
 
ここには与島PAの第二駐車場が設けられており
 
瀬戸大橋開通に合わせて京阪電鉄が開業した観光型商業施設瀬戸大橋京阪フィッシャーマンズ・ワーフが駐車場に隣接しておりました
 
開通当初の1988年には、年間516万人の利用者があり、予想を上回る年間103億円を売り上げ、与島を周遊する観光船やヘリコプターも運行され、レーシングカート場も作られました
 
翌年の1989(平成元)年も774万人の観光客を集め、隣の小与島に建設されたリゾートホテルアクア小与島との間にロープウェイを建設する計画まであったそうな(°o°;)
 
ご訪問頂きましてありがとうございます
 
前回のクマゼミの島 岩黒島から続きます(。^_・)ノ
 
与島PAへ続くランプを下ります
 
15:22
急カーブのランプを下り、与島パーキングを経由して第二駐車場への連絡道路を進みます
 
連絡道路の途中にある与島インターチェンジへの分岐を右折してゲートを潜り島内一般道路へ
 
15:27 A
塩浜バス停を過ぎて、オアシスパーク瀬戸大橋跡前にある与島第二駐車場前バス停が下電バスの終点
 

オアシスパーク瀬戸大橋跡
 
15:27 A
坂出方面へバスを乗り継ぐには、ここで浦城からやって来た琴参バスに乗り換えますが、
 
バス整理券に乗換の印を押して貰うみたいです(坂出から児島方面へも同じ)
 
全く人気のない廃墟の中のバス停
 
あるのはたったひとつのベンチのみ
 
与島PAの第一駐車場のバス停には屋根と囲いもあったので、
 
待ち時間は長くなってもそちらで乗り換える方が良いかと思いますが、乗換え扱いにして呉れるのかどうかは未確認です
 
運転手さんに訊ねてみると良いかと思います
 
いくらなんでもここでは猪に襲われるか、犯罪に巻き込まれそう(⋟﹏⋞)コワイヨォ~
 
15:28 A
オアシスパーク瀬戸大橋はレーシングカート場跡に作られた足湯施設だったようです
 
2003年に撤退した京阪電鉄から施設を買い取った鳥取県の建設会社八幡建設
 
2004年よりボーリングによる温泉の掘削を開始して、当初は滞在型のリゾートホテルを建設する予定だった様です
 
2006年7月にはベコニア海花園という温室庭園もオープンしてベコニアを中心に約1万株の花々が植えられ、アンデス山脈の標高3000m付近の植生を再現し、温室は3000㎡の広さで西日本最大級の規模だったそうな
 
これらの新規観光施設開設によって年間20~40万人の入園を見込んだが、2007年実績で3万人で、2008年11月にどちらも閉鎖
 
跡地には太陽光パネルが並んでいました
 
15:29 A
オアシスパーク瀬戸大橋跡の向かい側は与島PAの第二駐車場で、島内道路とは柵で隔てられております
 
15:30 A
駐車している車は殆ど無く、瀬戸中央自動車道の現役のパーキングと説明しても誰も信じないかも
 
15:31 B
約2000席のレストランや土産物店などが入居した京阪フィッシャーマンズワーフは総工費40億円をかけてオープン
 
年間売り上げを約50億円と予想していましたが
 
1988年の開通初年度は100億円を超える売り上げを記録し、与島は観光ブームに沸きました
 

1988年岡山・香川ローカルCM 

 

15:32
幕末の咸臨丸を模した帆船風の観光船「咸臨丸」は約30分のクルーズが人気で初年度は117万人が乗船
 
2008年で運航を終了し、ジョイポート南淡路株式会社に売却され、現在は鳴門海峡で観潮船として活躍しているそうな
 
15:32 C
それにしてもこのフィッシャーマンズワーフ跡地の状態は酷い
 
更地にするでもなく、廃材も散見する荒れ地となってます
 
ここが一般車両進入禁止の島でなかったら不法投棄が絶えないかも
 
15:33 D
塩浜泊りの周辺は寂れてはいますがすっきりとしており、浮桟橋がふたつありました
 
見た目では右の桟橋は今でも使われているように感じましたが、左は放置されているのかな
 
15:35
ここからの瀬戸大橋の眺めは今でも素晴らしいです
 
15:36 E
使用されていないように見える浮桟橋上から南北備讃瀬戸大橋方面
 
フィッシャーマンズワーフの建物が無くなって見通しが良くなってます
 
15:37 F
椰子の木の並木が往時の繁栄(といっても僅か2年)を偲ばせてます
 
15:39
羽佐島とトラス橋の与島橋
 
同じトラス橋の与島橋(611m)と羽佐島高架橋(266m)が開通後一本化して与島橋(877m)となりました
 
15:40 G
美しい風景を眺めながらベンチでまったりしたかったけど・・・(ー∀ー;)
 
15:40 G
川の向こうの採石場跡へ行ってみたかったけど・・・
 
荒れ果てていて藪化しているので断念しました
 
15:41 G
与島橋をマリンライナーが高松へ向けて駆け抜けて往きました
 
15:41 G
煉瓦敷きと芝生も・・・
 
野生動物が飛び出して来そうな雰囲気に変わり果てています(゚A゚;)
 
15:44 H
塩浜泊りの防波堤の先端まで歩いて来ました
 
15:45 H
塩浜泊りには浮桟橋がふたつ
 
15:45 H
岩黒島橋、櫃石島橋の二つの斜張橋と下津井瀬戸大橋、鷲羽山まで広がる美しい風景
 
かつて観光船咸臨丸はこの辺りを運航して賑わっていましたが・・・
 
今はもう紅葉
 
誰もいない海♪~ Toi et Moi
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15:51 I
藪の中に今も鎮座する北備讃瀬戸大橋ケーブル模型を眺めていると・・・
 
遠い昔にグアム島で見かけた
 
 
遠い南の島で、雨曝しのまま天空を仰ぎ続けていましたが
 
呉海軍工廠の刻印はしっかりと残ってたっけ
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15:51
 
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与島パーキング第二駐車場は柵で仕切られて元の広さの3分の1になっています
 
瀬戸大橋、大きな夢の跡・・・
 
塩浜地区を後にして
 
与島南部の鍋島へ向かいます走る人
 
16:01 J
塩浜バス停
 
このお店ももう営業してないのかな
 
16:01 K
 
2008年3月廃校
 
16:03 L
与島高架橋の橋脚に夥しい足場が架設されています
 
順番に全部やっていくのだろうか、それとも何らかの理由でここだけ?
 
16:13 M
下から見上げると小高い尾根に立派なコンクリートの建物が見えてました
 
琴参バスの路線バスが浦城へ向けて通る県道274号線の坂道を上ると
 
ちょうど峠の稜線に広場があってこの建物が建ってました
 
なんだろう?
 
建物は古くないのですが、内部まで蔦が蔓延ってる
 
与島小学校の体育館だったようです
16:14 M
校舎は既に取り壊されていたようで体育館と校庭跡が残ってました
 
これだけ立派な建物と高台で県道も隣接してるのに避難所とかに利用しないのかな?
 
櫃石島は同じ敷地に建ち、岩黒島は小中学校が併設されていましたが与島は全く別の場所に離れているのは何故だろう
 
16:14 M
体育館の南側を一段下ると北備讃瀬戸大橋を背に二宮さんが読書中
 
16:15 M
立派な二宮金次郎像です
 
16:15 M
金次郎像の正面には立派な幼稚園跡の建物
 
元の小学校の校舎跡に建てられたのでしょうか?
 
取り壊された小学校の新しい校舎は一段上の体育館横に建っていたようです
 
16:16 N
この辺りで大きな犬を散歩中の方に鍋島への道を尋ねました
 
16:17 N
どこからでも行けるけど・・・
 
との事ですが法輪寺へ下って浦城港へ出る道を教えて頂きました
 
空き家ばかりが目立ちますが・・・
 
石仏には花と涎掛けが供えられていますニコニコ
 

16:19 O

細い路地を下って浦城港に出ました

 

今は陸続きとなった鍋島が南北備讃瀬戸大橋の左に現れました

 

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2018年8月26日マリンライナー47号から撮影した鍋島と小与島

下津井電鉄線跡を辿る⑥

 

そうです!鍋島には灯台があるのですキラキラ

 

青のラインはGPSトラックログ

 

現在地はO地点で時刻は16時19分

 

このあと、鍋島上陸作戦を敢行したのち与島PAへ撤収

 

与島PAバス停より下電バスの上り最終便(第6便)17:29発で児島駅に向かう予定です

 

与えられた時間は70分

 

与島PAへ続く道が在ることは確認済みですが、詳細は判らず・・・

 

微妙な時間帯ですねアセアセ

 

今回も長くなりましたがお立ち寄り頂き、最後まで見て頂きましてありがとうございました

 

 

次回も見てねヾ(^∇^)

 

では、またバイバイ

 

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