機   番:47号機

新   製:昭和27年11月21日

製   造:日立製作所

製造番号:No.191050-3

         (現車標示は191052-3)

新製配置:長岡第二機関区

最終配置:宮原機関区

廃   車:昭和56年6月1日

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS14

前照灯:原型+ハチマキ状ケース

尾灯:原型内バメ式

正面窓:大型

正面ヒサシ:大型

デフロスタ:なし

正面手すり:あり

正面飾り帯継ぎ目:タイプ |

列車電話:あり

電源車制御装置:なし

元空気ダメ引き通し管:なし

スノープラウ:なし

スノープラウ取り付け台座:あり

ステップ:スノープラウ台座取り付けタイプ

汽笛カバー:大型

常磐線用列車無線:なし

乗務員ドア:原型

側面ハシゴ:切り欠きタイプ

側面エアフィルター:鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:SG

 

【転配履歴】

昭和31年11月13日:浜松機関区

昭和32年 1月31日:宮原機関区

昭和33年 4月10日:東京機関区

昭和34年11月 1日:高崎第二機関区に貸し出し

昭和35年 8月 7日:東京機関区に返還

昭和37年 8月 5日:高崎第二機関区に貸し出し

昭和37年 8月19日:東京機関区に返還

昭和38年 5月24日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和38年 6月 2日:東京機関区に返還

昭和38年12月28日:高崎第二機関区に貸し出し

昭和39年 1月 7日:東京機関区に返還

昭和39年10月 1日:下関機関区

昭和43年10月 1日:宮原機関区

昭和46年10月 5日:竜華機関区に貸し出し

昭和46年10月21日:宮原機関区に返還

 

新製配置が長岡第二機関区だったことから、つらら切り装備という厳めしいスタイルになった47号機は、東海道本線全線電化を機に浜松機関区に転属し、この時特急用淡緑色、いわゆる 「青大将」 色に塗り替えられました (施工工場は鷹取) 。しかし、1年おきに浜松→宮原→東京と目まぐるしく配置転換され、東京在籍中もその仕様から宇都宮や高崎によく貸し出されていました。

東海道新幹線開業を機に下関へ転配、さらに43.10改正で古巣の宮原へ約10年ぶりに戻り、ここが終の棲家になります。

この間、側面エアフィルターを鎧戸タイプしたり、側面ハシゴを切り欠き式に改造するなど、細かな改造がなされていますが、大がかりな整備工事は実施されず、廃車まで大窓+つらら切りというスタイルは変わりませんでした。

 

 

貴重な青大将時代の47号機。いわゆる 「ブルトレ色」 っぽくも見えなくもありませんが、 「はと」 のヘッドマークを掲げていますので、青大将で間違いないだろうと。 「宮」 の区名札からも判るように、昭和32年1月から同33年4月までに撮られたものと思われます。可動式スノープラウを付けているので、撮影は冬場でしょうか? 撮影場所は大阪駅っぽいですね。

【画像提供:ウ様】

 

 

これも大阪駅。 「宮」 の区名札が掲げられているので、宮原に返り咲いた昭和46年以降の撮影と思われます。既に側面ハシゴは切り欠き式に、エアフィルターは鎧戸式に改造されています。牽引される20系ですが、これだけだと特急か急行か、はたまた臨時かは判別が難しいです。ヘッドマークが無いことを考えると、急行 「銀河」 の可能性があります。であれば、昭和51年以降の撮影になります。

 

 

これも大阪駅っぽいですね。

上の画像と似たような時期の撮影でしょうか。

隣のホームにはEF60牽引の貨物列車が。本来、東海道本線の貨物列車は新大阪から宮原操車場を経由する北方貨物線を通るので、大阪駅には入線しない筈なんですが、何らかの理由で大阪駅を経由する珍しい (?) シーンなのかも。工臨説もありますが。

 

 

こちらも大阪駅ですね。

14系座席車は 「阿蘇」 「くにさき」 といった、大阪対九州の夜行急行列車か、団体臨時列車かは定かではありませんが、この頃の14系座席車は定期列車から臨時列車までオールマイティに使用された車両。荷物列車を除く客車列車ではこの組み合わせが一番多かったのかもしれませんね。

(3枚ともタ様提供)