書いてる今日は、実は2月7日です。
時事ネタを載せるにはちょいとズレが生じるのですが、皆様お元気でしょうか?
 
書いてる日のニュースでは、昨日に起きた神奈川県逗子市の崩落事故による女子高生死亡のニュース続報がありました。
 
三浦半島のあのあたりは京急線の旅やJR横須賀線の旅でも通りましたが、時々、土砂崩れなどの災害危険区域の警告看板が見かけられていました。
 
普通の道で起こったことで、通りかかった女の子、気を付けようもなかったかもしれませんが、、、痛ましいことです。
 
 
巷を騒がすウイルスも、掲載のころには「特効薬ができたよ~」とか、明るい展開になっていればいいのですが。。。数日じゃ無理かな。
 
皆様、ご自愛くださいませ。
 
 
さて、駅への道というにはかなり普通の、中央線(センターライン)もない道路をてくてく歩く。
だけどこの道、県道724号線だったのです。
中央線のない県道は、あまり見たことがなかったので、歩いているときは県道とは思いませんでした。
 
車にもあまり出会わないまま、やっと線路の架線が見えてまいりました。
 
 
でも周りは静か。
 
これじゃ、駅はまだ先なのか、と思ったら・・・。
 
 
あっさりあった。
 
ちなみに、県道724号線の起点は、この駅前です。
終点が、私がミカンを買った後、国道135号線からカクッと曲がった角のところ。
 
長さ150メートル歩かないかの、短い県道でした。
記事書くために調べてて、気づいたことだったのですが、びっくりした。
 
 
到着いたしましたのは、早川駅でございます。
小田原市にあり、地名が「早川」です。
 
ちょうど電車がいてくれたので、線路の位置がわかりやすいですな。
駅舎の屋根と同じ高さに電車の屋根がありますね。
 
一見、小さい駅ですが、現在はちゃんと15両編成が止まれる長いホームがあります。
近年までドアカットしてたらしいですが。
(ドアカットとは、ホームの長さが足らない時に、電車が着いてもホームに届かない一部車両のドアを開けないことでございます。)
 
駅舎の目の前が自転車置き場なのでしょうか?
なんだか自由に置かれてますな~~。
 
 
早川駅は大正11年12月に、国鉄熱海線の小田原ー真鶴間開業時に同時開業しました。
そして、翌年大正12年9月に、根府川駅と同じく関東大震災で駅舎が倒壊します。
 
ただ、がけっぷちにあったために土石流が発生して海中へ沈んだ根府川駅とは違い、見た通り早川駅はそこよりは平地にあったので(多少の高低差はあるけど)、根府川駅ほどの悲劇はおこらずにすんだようです。
 
建って1年たっていない駅舎が倒壊というのも十分大変なことなんですが、周り中大変なことだらけだったから。。。
記録がたまたま出てこないだけかもしれませんが・・・。
 
むしろ、根府川駅で何とか助かった人たちが、徒歩でこの早川駅まで避難してきたそうでありますよ。
 
その時は道も崩壊しまくっていたであろうに、大変だったことでしょう・・・。
 
 
 
駅前には、くるまやラーメンがありました。
千葉出身の私にもなじみのあるチェーン店ですよ。
そう言っておきながら、食べに行ったことはないが。。。。
 
まだ体力がありますゆえ、この日はさらに次の駅を目指すことにしました。
再び、表通りに行きますよ~。
 
 
駅前に交番があり、画像に写っているのが表通り。
実は、分かれたはずの国道135号線です。
 
私が県道724号線という名の脇道に入ったあたりから、国道135号線もグイっとカーブして早川駅のほうまでやってきていたのでした。
 
県道のほうが線路に早く近づけたのでそちらを通りましたが、国道をそのまま来ても、実はあんまり差はなかったのでした。
 
ウィキペディアさんの県道724号線の説明によると、国道135号線のバイパスともいえる。とか書いてありました。
 
 
 
ではまた、しばし国道のお世話になりま~す。
 
は~、こういう道のつながりもあるんだなあと、お勉強になりましたよ。
 
では、あとは普通に国道を道なりまっすぐ・・・・。
 
 
なんて思ったら、上に掲げられた案内版には、気になることが書いてありますよ。
 
実際には、このあたりの様子を表示するのにちょうどいいかと思って写しただけのものでして、現地にいた時にはよく見てなくて・・・。
 
書いてる今、ちょっとびっくりしてます。
こんな面白いことが書いてあったのか・・・!
 
「小田原厚木道路」に「箱根ターンパイク」などの道路名は、千葉出身東東京住まいとしては、ラジオの交通情報で名前はよく聞くけれど、実際には未知の場所です。
 
どんな所かよくわかっていないので、勝手に想像してわくわくです。
 
おまけに、何ですかこの、一夜城とは!
英語にすれば、ワンナイトキャッスル!
なんかいい響き!
 
 
大人の世界のドキドキあッは~んなモノをちょっと想像しかけまして、真昼間だぞと慌てて意識を戻します。
 
歩いているうちに冷静になってきまして、ここが源頼朝ゆかりの地であることを思い出しました。
 
頼朝といえば、味方になったのが北条氏。
北条氏といえば、5代続いた小田原城主。
 
詳しい歴史はよくわからないのですが、戦国時代によく戦の舞台として相模の国は出てきます。
 
ちょっと前には、石橋山古戦場などという古い歴史ある場所の近くを通りました。
 
・・・また、そういったところに来ているのかも?
 
そう気が付いたところで、ふと、国道と並走するようになった線路のほうを見ますと、向こう側へ行けるようになっています。
 
お、壁に何かかいてある・・・。 
 
 
歴史探索をしたい人のための、道しるべがありました。
先ほどみかけた佐奈田神社も書いてあります。
ここからじゃ5.6キロも離れているのですか~。
やはり、気軽に夜には、ちょいと離れていたのだな、古戦場も神社も。
 
その上に、書いてあるのが「太閤一夜城」の文字・・・。
 
太閤・・・!
秀吉か???
 
もうひとつ、「石垣山一夜城」という名称も書いてありますが、どちらも同じところのことです。
 
私は大河ドラマや豊臣秀吉の伝記で知ったのですが、当時、小田原城は難攻不落の城といわれ、名だたる武将が落とせず敗走する羽目になった名城だったそうな。
 
それを討つため、豊臣秀吉は1590年に、小田原城から西に3キロの位置にある笠懸山(かさがけやま)の山頂に城を構築しました。
 
小田原城と北条氏から見られないようにひっそり、しかし3~4万人の人海戦術でたった80日で立派な城を作り上げ、完成してすぐに小田原城側の木々を伐採したそうな。
 
建築中は木々が壁変わりとなって隠していたので、伐採されていきなり城が山の上に現れた!と敵に思わせて戦意喪失させる作戦だったそうな。
 
何もないところに、一夜にして城が突然現れたように見えたから、「一夜城」といわれているそうな。
 
ドラマの再現や、紙のページの上でだけ知っていたところが、現実にすぐ近くにあるという感覚、かなり鳥肌ものでございました。
 
♪ セイシェル 〜海の聖者〜   サザンオールスターズ