スイッチバック駅だったはずなのに 中央本線・穴山駅 | 駅が大好き!misakitty

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日本中の駅と空港を旅するmisakittyの空鉄の記録です。
国内の鉄道はほぼ完乗済み、航空は、JGC・SFC取得済み2024年はJGCプレミア資格。

きょうは穴山駅です。
 
甲府から長野県境に向かい、徐々に高度を上げていく中央本線、穴山駅も、そんな場所にある駅です。
訪問当時は、このようなモノクロの駅名標がメインで、これは、その中でも古いもの、意外に国鉄当時のものかもしれません。
 
同じモノクロタイプでも、こちらは新しく、フォントもJR東日本の支社で使われているタイプ、これが長野支社になるとラインがグリーンになっていました。
 
もちろんJR東日本標準タイプもあります。
駅名標は必ず撮影しますが、この駅にきた目的は駅名標や駅舎ではなく、この駅にスイッチバックの跡が残っているか確かめたかったからです。
 
この頃の私は(まあ今もそうですが)、下調べもしないで来るもんだから、さっぱりどこに痕跡があるか分からないのです。
実は、この本線、東京方面の左上の丘が、かつて穴山駅の駅構内部分になるのですが、そんなことも気づかずに写真を撮っているので、ピント外れなアングルばかりを撮影していました。
 
こちらは、ホームから跨線橋をあがって、駅舎に向かう通路を駅舎の構内側から撮影したもの。
これもいま立っている部分が、まさにかつての穴山駅の構内部分なのですが、当時はホームから通路まで、なんで離れているんだろうってくらいしか思わず写真を撮っています。
 
ところで、ここまで私が穴山駅のスイッチバックの痕跡を見つけることができなかった理由なのですが、それは私がスイッチバックという構造を誤解していたからなのです。
 
私にとってのスイッチバックは、木次線や豊肥本線のスイッチバック、つまり三段式スイッチバックしか存在しませんでした。
 
なので、この穴山駅に降り立っても複線の本線があるだけで、さっぱりここにスイッチバックがあったことを理解することができなかったのです。
 
けっきょくは諦めてそのまま本命の駅舎撮影に…
 
 
あとは、駅前を撮影して終了になってしまいました。
この穴山駅のスイッチバックが廃止されたのは、昭和46年の中央本線複線化のときなので、この訪問のときから数えても、すでに30年以上が経っています。
ただ、航空写真を見ると現在も、スイッチバックの痕跡は残っています。
上が塩尻方面、下が東京方面です。
県道17号線の表示の右に駅まーくがありますが、ここが穴山駅のホーム、その右がホームと駅舎を結ぶ通路、さらに右が駅舎と駅前広場です。
 
いまなら、あ〜スイッチバックの跡があるってすぐに気がつくんでしょうけどね。
 
そのスイッチバックの痕跡をトレースするとこんな感じでしょうか。
青線が本線、赤線の上側は引き上げ線、下側は穴山駅の構内です。
Google マップで見ると、今でも赤い部分の線路が本線から分岐しているのが残っています。
 
でも、トレースしながら思ったのですが、赤線の上側の引き上げ線と思われる痕跡、この先ですぐに途切れちゃうんですよね、なんか変?
 
そうだ、もっと古い航空写真を見てみましょう。
こちらスイッチバック廃止3年後の写真です。
今より、はっきりと旧穴山駅構内の様子が分かりますが、引き上げ線はやはり不鮮明、なんでだろうと思いながら、引き上げ線のあたりを見てみると、本線と反対側、右に向かっているいかにも怪しいカーブの跡が…
 
この部分を広域にしてみると(ナビ表示か( ^ω^ )
青い線が、怪しい廃線跡らしき部分。
どうやら複線前の旧線跡みたいですね。
そうなると、引き上げ線の跡が短かいのは、なんとなく納得できて、もしかしたら、現在の本線部分の一部が引き上げ線だったのかなって思います。
 
この旧線跡が複線化の際、放棄されたのかは定かではありませんが、あながち間違いでもなさそうな気がします。
 
ひとつだけ、新たに生まれた疑問は、旧線がなぜ複線化にあたって放棄されたのか?
地図や現在の様子をストリートビューで見ると、途中に単線トンネルがあったり、住宅密集地だったりで複線化が難しかったわけではなさそうなんですよね、カーブもそんなにキツくないし。
 
まあ、そのあたり、廃線跡に詳しい方に一度お伺いしてみたいですね。
 
けっきょく、訪問当時は、何も得るものなく帰路についたことを、とっても残念に思っています。
 
(平成16年7月訪問)