一日、ご縁を頂戴いただいている信州の神仏さま方へ、初参りに行ってまいりました。
というのも、1/30が昨年亡くなった叔父の一周忌でして、普通そういう法要はと言えば、菩提寺で、と言うのが一般的でございます。
が、諸処の事情から一周忌法要ができずにいて、いろいろとあたって調べていましたら、信州善光寺さまでそういった法要を普段から普通に受けてくださっているとのことで、それなら!、と初参りと合わせて長野へ出かけたのです。
それらの詳細は神仏と自然館の方で掲載しますが、その帰り道、別所の北向観音さまへ向かう途中、ふとある考えが浮かびまして、急遽行ってみました。ここです↓。
2020/02/01撮影 上田電鉄千曲川橋梁
昨年の10/13、台風19号による千曲川の増水による堤防の決壊で別所温泉側の橋台が崩落し、4連トラスのうち別所温泉側のトラス1橋が落橋してしまったのですよね。
復旧への紆余曲折で、何とか無事に再建へ向けて工事が始まったと報道がありましたので、見てみたくなったのです。
ただ、現場に行ってみますと堤防は、関係者の方々による突貫工事で仮復旧ながら綺麗に修復されていたのですが・・・。
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実は落橋当時の報道では普通に※でもない状況でしたけど、トラスが河中に落ちた光景が映し出されておりましたが、堤防の決壊個所を可及的速やかに修復せねばならなかったため、落橋したトラスの撤去もままならず、トラスは堤防に埋め込まれる形で堤防の仮復旧工事がなされたようです。
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トラスの復旧工事そのものは、落橋した元々のトラスを解体撤去しつつ、構成部材のゆがみや破損の有無を検証したあと、再使用できるものは再利用して、トラスを復旧するという方法で工事が進捗しております。
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2/1はまだその解体工事が緒に就いたばかりでして、解体された部材がクレーンによって傍らの河原に並べられ始めておりました。
ただ、この千曲川橋梁は上田電鉄の前身、上田温泉電軌によって起工され、1924年の当時の青木線の省線上田駅乗り入れ時に完成。
1980年代撮影 上田交通上田駅※地平時代 モハ5252
今年から4年後の2024年には百寿!100歳の超ロートルの鉄橋ですから、工法は当時オーソドックスな鋲打ちによるリベット組み立てで、部材一つ一つがハンドメイドの手打ちで非常に精緻に組み立てられているため、後年普通になった溶接工法による工法とは、鉄橋の構造自体に大きな差があります。
ですから、解体工事はバーナーによる溶断分解ですが、パーツパーツの構成を考慮して非常に丁寧に作業が行われているように、素人目にも見受けられました。
これは作業に当たられる方々も、かなり気を使いながらの作業となって大変な日々を過ごされるのではないか、と思いました。
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加えて、橋体の1/4程度は未だに仮設堤防の中に埋め込まれたままですから、地上に現れている部分の作業が終了した時点で、残りの部分をどう対処していけば良いか、頭を悩まさなければならない訳で、関係者の皆様方の苦労は如何ばかりかと思うと切なくなります。
それと写真のように、その落橋トラス部分にはレールと枕木も入り込んだままですから・・・。本当に頭が下がりますです。
で、ここからは報道に出てこない画ですので、小生もこれを目の当たりにして慄然として絶句し、本当に本当に切なくなってしまったのですが・・。
〃 城下駅側線路あの非常事態のさなか、可及的速やかに堤防の復旧工事を行うにおいて、こうでもしなければ、落橋したトラスに引きずられる形で河中に引きずり込まれ、濁流によって跳ね回る線路を抑えきれなかったのか、と思うと、これを決断した鉄道関係者の皆様方の心中はいかばかりかと思いましてね。
いずれにしても、小生のような当事者ではない、ましてや日常利用者の皆様以外の人々が、鉄道の復旧を軽々と語るのは、当事者の皆様方の心情を考慮すると、戒められるべきあると、思わさざるを得ない光景でございました。