民鉄の覇者 東京急行電鉄 29、群雄割拠 | 犬と楽器と鉄道模型

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そんな廻り道をしていた東京横浜電鉄だか、ようやく黒字経営となって来た。
 
1939(昭和14)年、目黒蒲田電鉄と東京横浜電鉄が合併、母体は目黒蒲田電鉄とするが、商号は東京横浜電鉄となる。
 
これは、目黒蒲田電鉄では小地域の感があり、東京横浜電鉄の方がスケールを大きくした感じになるからである。
これで、ようやく現在の東急の母体となるのだが、五島はこれで、いや、こんなのもで、これっぽっちで満足なぞしていなかったのである。
 
当時、五島は小田原急行電鉄社長の利光から、経営を託されていた。
そして、先の三越の件なぞ全然懲りてなく、京浜電鉄にも触手を伸ばしていて、株を買占めて過半数の株を所得し、小田原急行電鉄、京浜電鉄の社長の座に自ら治まっていたのであった。
 
この時期、日本の各地域の私鉄は少豪族から群雄割拠へと、戦国時代さながらの膨張への兆しが出始めていた。
 
先ず、九州地区では九州電気軌道が、福博電車・九州鉄道・博多湾鉄道汽船・筑前参宮鉄道の4社を吸収し、西日本鉄道が発足した。
言わば、西鉄である。
 
中京地区では、名岐鉄道が愛知電気鉄道と合併し、名古屋鉄道となる。
その名古屋鉄道の大号令の基、瀬戸電気鉄道・渥美電鉄・三河鉄道・知多鉄道・竹鼻鉄道・東美鉄道・碧海電気鉄道・谷汲鉄道・豊川鉄道・鳳来寺鉄道等を吸収した。
 
近畿地方では大阪電気軌道が、参宮急行電鉄や関西急行電鉄と統合し、関西急行鉄道となる。
更に大阪鉄道等、10数社との大合併を果たし、近畿日本鉄道が発足する。
この時、五島は近畿日本鉄道の取締役も兼ねていた。
と、なると大合併の差し金はと想像がつくのであるが・・・
尚、この近鉄は南海電鉄をも傘下とし、路線総延長では、日本最大の路線網を持つ私鉄となった。
近鉄社内では自らの会社を近畿日本
「帝国」と呼んでいたらしい。
 
小林率いる阪急電鉄もこの波には抗し切れなかった。
当時は食うか食われるしか選択がなく、京阪電鉄を飲み込み、「京阪神急行電鉄」と名称を変更した。
これにより、阪急は京都・大阪・神戸と関西の主要都市間を押える事になった。
俗に言う「大阪急」である。
 
近畿では、風前の灯となったのは阪神電鉄だけとなった。
この地域統一・合併劇、当然それだけでは終わらない。

(次回は五島ならぬ強盗慶太⑦ 「大東急」です)
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この記事は2014-07-01
yahooブログにて掲載していました。