いよいよ3日目(1月2日)に突入した今回の旅ですが、それまでとは一転、郡山から磐越西線に入る迂回ルートとなります。リゾートみのり編成で運転される快速『あいづ』に乗車して会津若松に出て、そこからは引退迫るキハ47で新津まで走破します。新津からは信越本線115系快速に乗り換えて長岡へ出た後、上越新幹線に乗って東京まで到達し、最後の定期夜行列車となったサンライズエクスプレスで西を目指す…という行程になります。

この日の行程を全て紹介すると非常に長くなり過ぎてしまうので、その中から磐越西線篇を紹介します。

 

 

 

この日は9:20位にホテルを後にして、郡山駅へ向かいます。

 

 

 

郡山駅といえば、青いタンクのタキ43000形貨車が多数留置されているのを見る事ができます。

画像の車両の番号を見ると43013、つまり初期製造車で、既に50年以上も現役で稼働している長寿車です。

 

 

 

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第7ランナー

郡山9:51→会津若松11:37

磐越西線 9231D 臨時快速あいづ

編成/仙ココ リゾートみのり編成 ①キハ48-550☆②キハ48-549③キハ48-546→会津若松 ※全車指定席

 

特急列車が廃止となって久しい磐越西線の電化区間、郡山~会津若松の間は観光列車『フルーティアふくしま』(※冬期は東北本線に出張中)の他はE721系電車による普通・快速列車しか運転されていませんが、前年度に続き『リゾートみのり』編成を使用した年末年始の臨時列車として設定されたのが今回乗車する快速あいづです。普段では乗る事のできない車両なので、優先的に行程に組み入れる事にしました。

『あいづ』といえば、上野発の東北特急の一員として485系電車で会津若松まで運転されていた列車が頭に浮かびますが、来る3月ダイヤ改正で半室指定席車両を連結するE721系の快速の名称として、定期列車としても復活する予定となっています。通常の普通・快速列車は混雑の激しい便もあり、乗換時間が短いと座れない場合もあるため有料の着席サービスが設定されるのは有難い事です。

 

 

 

快速あいづの車両は、先発の9:38発普通1225Mが出発した後に入線します。

 

 

 

本来『みのり』は陸羽東線向けの車両ですが、この年末年始は磐越西線に出張です。

LED行先表示に会津若松はセットされていないため、『臨時』と表示されています。

 

 

 

『リゾートしらかみ』の初代青池編成から始まるキハ48改造のリゾート列車としては末っ子(再改造を除く)となるリゾートみのり。

改造年度が2008年と比較的新しいため、内装はHB-E300系と比較しても遜色ない造りとなっています。

 

 

 

座席はリクライニングシートですが、HB-E300系にはない座面スライド機構が備わっており、これにより膝関節内側のフィット感が向上して優れた座り心地となっています。

(猪苗代駅停車中に撮影)

 

 

 

多少所要時間は掛かりますが、リクライニングシートの快適な車両に乗れるのなら¥530の指定席料金を払っても惜しくありません!

 

 

 

ただ…今回予約していた指定席はデッキ仕切り壁の目の前。

この列車もえきねっとで予約購入していますが、車両の最後部と思い込んで座席位置を指定した処こんな結果となりました。

それでも、通常の特急型車両よりシートピッチが広い設計のため、壁まではそれなりに空間があるので窮屈という程ではありません。

えきねっと予約のシートマップ画面では新幹線は進行方向の表示があるのですが、在来線列車に関しては座席の配列・順序が列車や車両によって差異があるためか表示の対象外となっており、この辺りも改善して欲しいですね。

 

 

 

郡山発車後の1号車車内。

年明け早々でUターン客の流れと逆のためなのか、乗車率はあまり芳しくありません。4割程度といった処でしょうか。

そういえば、発車後の車内放送で『アルプスの牧場』のオルゴールを聴く事ができました。道外の列車に乗ってこの音色を聴いたのは初めてです。

 

 

 

このあいづ号は途中停車駅が磐梯熱海、猪苗代、磐梯町の3駅しかありませんが、所要時間は普通列車のそれより30分程度長くなっています。車両の性能差はもとより、限られた交換設備による行き違い待ちの時間ロスが影響しているのでしょうか。

郡山から2駅目の喜久田で早くも運転停車し、会津若松へ向かう客で混雑する快速3234Mと交換します。

 

 

 

最初の停車駅・磐梯熱海を出て、温泉街を見ながら上り勾配に入っていきます。

 

 

 

そして中山峠越えの区間に入り、この辺りから雪景色となっていきます。

リゾートみのりのキハ48はエンジン換装車ですが、流石に急勾配は苦手のようです。

ここで車掌の放送による車窓ガイドがあり、スイッチバック駅だった旧中山宿駅についての解説がありました。

スイッチバックを解消するために、1997年に駅が本線上に移転したため旧駅は廃止となりましたが、ホームとレールの一部が保存されています。

 

 

旧駅を見下ろした後、現行の中山宿駅を通過し、中山トンネルに入ります。

列車はその後沼上トンネルで峠を越えて下り勾配となり、沼上信号場で普通1228Mと交換するため運転停車します。

 

 

 

峠を下ると、猪苗代湖の近くを走行し、2007年以来、ずっと休止のままとなっている猪苗代湖畔駅を通過します。

残念ながら木々に阻まれて列車の車窓から湖を望む事はほとんどできません。

 

 

 

列車は猪苗代盆地に入っていきます。関都駅を通過後、車窓から磐梯山を望む事ができました。

 

 

 

磐梯観光の入り口ともいえる猪苗代駅に到着。当駅では6分停車しますが、交換列車はありません。

停車時間は絶好の撮影タイムです。

 

 

 

最後の停車駅・磐梯町では4分停車し、快速3236Mと交換します。

 

 

 

列車は会津若松の市街地に入り、再び『アルプスの牧場』のオルゴールが車内放送から流れ、終着駅到着を告げます。

 

 

 

11:37、終着駅の会津若松に到着します。

郡山を1時間近く後に出る快速3233Mと13分しか到着時刻が変わりませんが、リクライニングシートの快適な車両で移動できるのなら所要時間差は惜しくありません。

 

 

 

 

番外ランナー

会津若松12:05→喜多方12:22(※定時の場合)

磐越西線 8217D 臨時快速AIZUマウントエクスプレス1号

編成/会津鉄道AT-751☆+AT-701→喜多方

 

 

会津若松から乗り継ぐ新津行233Dの発車は14:31と、3時間近くの大休止になってしまうのですが、その時間を利用して観光…ではなく、あくまでも乗り鉄に徹するため、ルートが重複しますが喜多方まで1往復する事にしました。

喜多方へ向かうAIZUマウントエクスプレス1号は、今回の旅の中で唯一JR以外の車両による列車で、会津鉄道所有のAT-700系による運用です。東武鉄道鬼怒川線の鬼怒川温泉を始発駅として野岩鉄道~会津鉄道~そしてJR東日本と、今ドキ珍しい4つの会社線を直通する列車で、会津若松~喜多方の区間はフルーティアふくしまが運転されない冬期の週末や多客期に延長運転される臨時列車となっています。

 

 

 

暮れに会津鉄道線内で起きた脱線事故の影響で徐行運転でもしているのか、会津若松へは6分程遅れての到着となりました。

AIZUマウントエクスプレスは一般車との混結編成もあるのですが、今回は2両ともAT700系による運用でした。

短い区間ではありますが、会津若松からも帰省や観光客で多くの乗車がありました。

 

 

 

会津と日光を結ぶ観光列車のため、座席はリクライニングシートという、3セクの気動車(特急型除く)としては破格の接客設備を誇ります。

私は最後部の1人掛け席を確保しました。

 

 

 

会津若松は結局6分遅れて発車、途中塩川のみに停車し、喜多方駅には定刻より8分遅れで到着。

左側に見えるキハ40の普通列車で会津若松へ戻ります。

 

 

 

磐越西線の電化区間はこの喜多方まで続いていますが、電車は1日たったの2往復が発着するだけで、他は全て気動車です。

 

 

 

AIZUマウントエクスプレス1号の車両は到着後、東武日光行8216Dの6号として再び引き返します。私もいつか東武日光まで乗ってみたいものです。

 

 

 

番外ランナー

喜多方12:35→会津若松13:01(※定時の場合)

磐越西線 普通 230D

編成/キハ40 526☆+キハ40 582(仙コリ※会津若松常駐)→会津若松

 

230Dは会津若松~喜多方・野沢の区間で細々と残っている郡山車両センター(会津若松常駐)のキハ40による運用です。同じキハ40で運用される只見線も今春からキハE120に置き換えられるのが決まっており、東北地域本社色のキハ40もいよいよ終焉の時が近づいています。ただ、キハ40の配置が13両に対し、キハE120は8両。現状では運用される列車が2両編成以上での運転ですが、車両数削減に伴い編成両数も短縮され、只見線のみならず磐越西線運用も置き換えられる可能性があります。

そんなワケで、この列車に乗るためにわざわざ喜多方まで出てきました。

 

 

 

233Dのキハ40は2両とも500番台車ですが、それぞれ異なる車内。

先頭のキハ40 582はかつて新津運輸区の配置だった際にロングシート化改造が行われています。

 

 

 

後のキハ40 526もかつては新津所属でしたが、オリジナルのセミクロスシートなので私はコチラに乗車します。

座席は2両とも茶色モケットという郡山仕様となっていました。

先発のAIZUマウント6号の遅れにより230Dのダイヤに接近した事も影響したのか、喜多方から乗車したのはわずか6名程で、その全てがこの車両に乗車していました。

 

 

 

先行するAIZUマウント6号の遅れに伴い、230Dは喜多方駅を定刻より6分遅れで発車します。

塩川駅以外の途中駅はこの会津豊川のようなホームと待合所のみの簡易な乗降所で、通過する列車が多いのですが230Dは全駅に停車します。しかし途中駅での乗降は全くありませんでした。

 

 

 

乗車時間は短いですが、ここで駅弁タイム。すいている車内だと気兼ねなく食べられます。

郡山駅で買っておいたウェルネス伯養軒謹製『安積のとりめし』。

 

 

 

終着駅・会津若松は定刻より約5分程度遅れての到着となりました。

 

 

 

4番線ホームには、同じ郡山のキハ40による只見線427Dが停車していました。今乗ってきた230Dと接続しますが、乗り継ぎ客がないまま会津川口へ向けて発車していきました。やはり時節柄お名残り乗車と、18キッパーらしき乗り鉄が多く乗っていたように思えます。

先頭のキハ40 2141は、全国的にも珍しくなったオリジナルのDMF15HSAエンジンを固持する個体。

 

 

 

そして2両目は、台車、窓割りと内装化粧板などが以降の車両と異なる500番台の最初期タイプ(北海道用100番台初期車と同様の相違点を持つ)キハ40 502で、2両ともセミクロス車による運用。しかし、1両または2両がロング車で運用される場合があり、乗り鉄にしてみればコレばっかりは運を天に任せるしかありません。

実は私、昨年末に只見線のこの427Dで会津川口まで乗りに行っており、その時に乗車したのがこの502でした。なので会津若松に来たのはそれから半月も経っていなかったのでした。

その時の事もいずれブログにしたいと思っていますが、一体いつになる事やら!?(一体年に何回道外遠征しに行ってるんだ!?と言われてしまいそうですね…)

 

 

 

尚、喜多方への往復は別途乗車券を購入して乗っております。会津若松駅改札で使用済み券に押される『あかべぇ』の乗車記念スタンプがユニークです。

 

 

 

会津の中心都市の玄関口・会津若松駅。

 

 

 

230Dの車内で駅弁を食べたばかりなのですが、駅そばのお店を見つけたのでつい入ってしまいました。

私はかき揚げそばにプラスして肉のトッピングをしてもらいました。

 

 

 

 

瀬戸瀬から志布志ゆきの旅・第8ランナー

会津若松14:31→新津17:11

磐越西線 普通 233D

編成/キハ47-518+キハ47 1518☆(新ニツ)→新津

 

この日のメインともいえる列車で、コレに乗って磐越西線完乗を目指します。

10月に乗車した羽越本線同様、3月改正でGV-E400系電気式気動車に置き換えられる新津のキハ47形による運用です。

車両は14:06に到着する新津発232Dの折返し運用で、車番が518+1518と下2ケタが揃えられていながら車体色がそれぞれ赤と青で異なっています。

 

 

 

私が乗車したのは後側のキハ47 1518で、阿賀野川が多く見えるほうの進行左側に席を確保しました。

新津車の特徴である国鉄時代から変わらない青色モケットの座席(新津車はこの仕様が標準)で、1両目の518のほうも更新車ながら同様の車内でした。

撮影時点ではガラ空きでしたが、その後ある程度席が埋まってきました。

 

 

 

14:25に隣の3番線ホームに只見線428Dが到着します。この列車からの乗り換え客が233Dに相当数移ってきており、やはり気動車置き換えによるお名残り乗車の乗り鉄でしょうか。

 

 

 

14:31、233Dは会津若松駅を発車します。

列車はまず会津盆地を走行し、阿賀野川水系の日橋川を渡ります。

 

 

 

日橋川を渡ると最初の停車駅・塩川駅に到着します。

駅の裏手にはセメントターミナルの会津営業所があり、かつては貨車による輸送が行われていましたが現在は無期限休止状態。

しかし営業所に通じる線路は残されています。

 

 

 

次の喜多方を出ると、勾配区間に入り会津盆地を見下ろすように走行します。

 

 

 

小さな峠を越えた後、明治以来110年の歴史を持つ一ノ戸川(阿賀野川水系)橋梁を渡ります。

SLばんえつ物語をはじめとした列車の撮影の名所としても知られています。

 

 

 

その後山都駅付近から、いよいよ阿賀川が進行左側に見えてきます。

新潟県の県境付近で阿賀野川と名が変わるこの川は、しばらくの間車窓の友となります。

しかし、せっかく車窓のハイライトだというのに、残念ながら雲行きが怪しくなってきました…。

 

 

 

荻野~尾登間の釜ノ脇橋梁を渡り、阿賀川は進行右側に移ります。コチラも明治の昔に架橋された歴史ある橋梁です。

 

 

 

やがて野沢駅に到着。当駅を発着する列車が1日数本設定されており、この233D到着後キハ110系の234Dが会津若松へ向けて出発していきました。

SLばんえつ物語の停車駅はこのような駅名板とレトロな外灯、ベンチが設置されています。

画像でもお解りのように、ホームが雨で濡れています…。

 

 

 

やがて阿賀川の深い谷間を進むようになり、福島県最後の駅・徳沢に着きます。

 

 

 

徳沢駅の先で再び阿賀川を渡り、新潟県に入ります。そして阿賀川も名を変えて阿賀野川となります。

 

 

 

豊実~日出谷間を流れる阿賀野川ですが、付近には水力発電所があるためダム湖のようになっています。

 

 

 

SL時代は給水施設などがあり運転上の要でもあった日出谷駅。

しかし駅は無人化、そして棒線化の後駅舎も簡易なものに建て替えられ、今ではすっかり寂れてしまいました。

かつて駅弁が売られていた事でも知られていましたが、残念ながらもうそれを味わう事はできません。

現在もSLばんえつ物語の停車駅である事がせめてもの救いでしょうか…。

 

 

 

日出谷を出ると、再び阿賀野川を渡ります。

 

 

 

改軌論争のさなかに建設されたため、中央部だけ標準軌という断面で建設された平瀬トンネルを抜け、中央部のワーレントラス部を落下工法という大胆な架け替え方法で知られる深戸橋梁を渡り、再び阿賀野川の右岸を走ります。

 

 

 

鹿瀬を過ぎ、日出谷に代わって運転上の要となった津川駅に到着。野沢駅と同様に、当駅を発着する列車も設定されています。

交換列車はありませんが、時間調整のためなのか7分停車します。

 

 

 

ホームにはSLばんえつ物語のマスコットキャラである『オコジロウ』のモニュメントが設置されており、待合室はオコジロウをあしらったデザインにリニューアルし『オコジロウの家』となっています。SLばんえつ物語は給水作業のため当駅で停車時間が長く取られています。

 

 

 

津川駅を出て、再び阿賀野川沿いに走ります。

 

 

 

室蘭本線にも同名駅がある三川は、かつて白崎駅と呼ばれていましたが、昔よりは同名駅のしがらみがなくなったためか、国鉄末期に改称されています。

 

 

 

三川駅を出ると再び阿賀野川を渡り、川の眺めは車窓右側に移るため左側からはもう見られなくなります。

その後馬下駅の手前で阿賀野川とはお別れします。

 

 

 

 

233Dの旅もいよいよ終盤で、陽もすっかり暮れて夕闇の中の五泉駅に到着。

かつては蒲原鉄道が発着していましたが、廃線から20年も経た今ではその面影もありません。

ほとんど乗り鉄ばかりだった車内も、少しずつ地元の乗客が増え始めます。

 

 

 

17:11、233Dは雨の新津駅に到着。会津若松から2時間40分の旅が終わりました。

磐越西線は今回の旅で初めての完乗路線ですが、風光明媚な沿線風景なのでまた乗りたい路線の一つです。今度は天気の良い時にSLばんえつ物語に乗れたらいいな…と思っています。

 

 

お次はわずか6分の乗換時間で、これまた国鉄型車両となる115系の快速新井行に乗って上越新幹線の乗換駅である長岡へ向かうのですが、以降の行程は次回にお送りします。

つづく。