近年はJR東日本の205系を譲り受け、6000系として運行している富士急行。
現在も少しだけ残っていますが、一世代前となると、京王の5000系を改造した1000形です。

その1000形より前の世代として在籍していたのが、元小田急の2200系列を譲り受けた5700形でした。
全16両が在籍し、一時期は富士急行のほとんどの車両が5700形という状態で、まさに小田急博物館の状態となっていました。

この5700形、富士急行での形式としては一つなのですが、種車は2200系列全体に及んでおり、2200形、2220形、2300形、2320形の4形式全てが揃っている状態でした。
保守上のことを考えれば、同形式で揃っているほうが良いはずですが、なぜこのようなことになったのでしょうか。
全16両ということは、2220形の両数とも完全に一致しますし、少々不思議な部分なのです。

5700形は1982年から1984年にかけて導入されました。
毎年2編成か3編成が導入されています。

1982年に導入されたのは、2200形の1編成と2300形の2編成でした。
この3編成は小田急で真っ先に廃車となった編成で、仲良く揃って譲渡されたことになります。
2300形はこの年で形式消滅し、小田急ではその後も2200形を優先して廃車としていきますが、2200形が富士急行で増えることはありませんでした。

1983年には、2320形が2編成譲渡されました。
この年は2200系列の廃車が本格化し、2200形の2枚窓車が消滅、2320形に初めての廃車が発生しました。
富士急行に譲渡された車両が2320形になった理由は定かではありませんが、より新しい車両を求めたのか、廃車のタイミングか、どちらかの理由でしょう。

1984年には最後の3編成が譲渡され、今度は2220形がまとめて譲渡されました。
この年は、2200形の2217F、2220形と2320形の廃車が一気に進められ、2200系列が小田急から消滅しました。
台車が特殊だった2217Fは当然外されるでしょうが、ここでなぜ2320形ではなかったのでしょうか。

理由として考えられるのが導入本数で、3編成に対して残る2320形は2編成しかなく、その場合は2220形が1編成という状態が生まれてしまいます。
そこで、複数編成とすることができる、2220形が選ばれたのではないかと思われます。

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こうして2200系列が集うことになった富士急行は、小田急博物館となりました。
小田急の廃車時期と富士急行の導入のタイミングで、複数の形式となってしまったのでしょう。
しかし、各形式が揃ったことで、結果的にそれが小田急博物館としての価値を高めていたことにもなります。

冷房が搭載されておらず、老朽化が目立ってきたことから、京王5000系に交代して1997年までに全車廃車となりました。