東武1720系(最終編成)入線~年の離れた「末っ子」~ | みなかん~南千住車両管区~

みなかん~南千住車両管区~

鉄道模型を中心に、ゆる~くのんびり・まったり語るブログ。
取り扱う車両は、営団地下鉄と乗り入れ先の関東私鉄たちが主成分です。

 

こんにちは、ななせです♪

 

 

今回は、アメブロ移転後初めての東武に関する話題です。


年末に友人からの情報で急遽発注することになり、年をまたいで新たに入線した車両があります。

 

 

 

新たに入線したのは、マイクロエース製「東武1720型 DRC 最終編成・登場時6両セット」です。

 

特徴的な最終編成は気になっていたものの、当区では既に1編成在籍していることから

初めは見送っていました。

 

そんな中、友人からタムタムのセールで4割引きとの情報を受け、

こうでもしない限り今後きっかけなんてないだろうと思い急遽入線と相成りました。

 

 

当製品はDRCこと1720系の最終編成である1781F。

 

製品名には「登場時」とあるものの、屋根には列車無線アンテナが付いていることから

登場から5年くらい経った1978年から運転席に冷房の付く83~85年までがプロトタイプ。

 

この時代設定だとツートン~セイジクリームの車両としか合わせられない事もあり、

友人が入線した1700系晩年よりはあまり人気が無いようですね…

 

 

 

東武1720系は、1960年に登場した新型の特急専用車両です。

身近なところに実車写真(多分)が…

 

当時、東武では都心~日光への輸送シェアを巡り国鉄と熾烈な争奪戦を行っていました。

 

そんな中、国鉄東北本線・日光線の電化に伴い登場した157系に対抗すべく

先代の1700系登場からわずか4年で製造することに。

 

「我が国の高性能車両よりも優れ、かつ外国人観光客にも好まれる車両」をモットーに

国鉄1等席に匹敵する座席・ビュッフェ車やサロン室といった豪華設備をふんだんに取り入れました。

 

他社の特急車両とは異なり外見の更新工事を行わず、さらに後継車が現れなかったことから

「日光路の女王」として長きにわたり君臨し続けています。

 

 

その中でも最終編成である1781F(第7編成)は、第1編成である1721F登場から

13年後の1973年にデビューしました。

 

車両番号は下記の通りです。

*「◆」はパンタグラフ装備車

 

←東武日光・鬼怒川温泉

 

(1/F車) モハ1786◆

(2/E車) モハ1785 *ビュッフェ

(3/D車) モハ1784◆

(4/C車) モハ1783 *サロン室

(5/B車) モハ1782 *ビュッフェ

(6/A車) モハ1781◆

 

→浅草

 

他の編成との差異は、前面の簡易連結器の収納蓋にスリットが入っているほか

乗務員室屋根に通風ダクトを設置していることが挙げられます。

 

ただ、この特徴に関しては第2編成である1731Fも最終編成が登場した翌年の74年に行われた

補修工事によって最終編成と同様の形態になったという記述が見られます。

*たとえば、ピクトリアルNo.392(81-7増) p.183

 

 

 

では、前面から見ていきましょう。

 

国鉄のボンネット特急形車両を意識しつつも角ばったデザインが特徴的です。

 

また、自動車のテールフィンのようなライトケースも厳めしい反面、

テールライト上にある通風器(?)のスリットの彫りは甘いです。

 

ちなみにこの部分、1700系更新車だとスリットは無いのですが

その辺の作り分けはされているのでしょうか…?

 

 

 

最終編成の特徴の一つは、簡易連結器の収納箱にある蓋が

スリット入りになっているところです。

 

スリット入りが特徴とはいえ、製品説明にもある通り

この部分はモールドを新規作成したのではなく、印刷による再現です。

*MA製品の悪いクセですね

 

 

 

 

そして特徴のもう一つは、運転席上部にある冷風取入のためのダクトです。

 

DRCは登場当初から客室内には冷房を搭載しているものの、

乗務員室には冷房装置がありませんでした。

 

そんな中、最終編成と第2編成(74年更新後)には通風ダクトを設けているのが

他の編成と区別がつく目印となりました。

 

また、DRC以外にも最終編成と同時期に登場した伊勢崎線の急行形である1800系1817・1818Fにも

同様の通風ダクトを設けていました。

 

 

通風装置は1983~85年にかけて乗務員室用冷房(RPU-0751)の設置工事を行い、

第2・7編成も冷房の設置によって屋根上の特徴は無くなりました。

 

ちなみに列車無線アンテナが立っていますが、これは登場から5年後の1978年に取り付けています。

したがって、最終編成も登場時は付いていませんでした。

*「登場時」ではなく「原形セット」?

 

 

 

 

最終編成を含むMAの最新ロット製品での見どころの一つは、乗務員室の窓ガラスに

青色の遮光フィルムが施されています。

 

前回発売した「改良品」ロットでもこの部分は透明であり、さりげない改良も嬉しいところですね。

 

 

 

また、前面スカートの内側にはTSP-ATS車上子もパーツとして再現されています。

 

以前当区では前回品を使って整備工事を行った際、ペア―ハンズ製のパーツで再現していますが

こういった細かな気配りは好感が持てます。

 

 

台車は片板ばね(Sミンデン)式の住友製FS370(東武内呼称はTRS-67M)を履いています。

 

元々はアルストーム式のFS334(TRS-60M)を使用していたものの、67年以降に1700系更新車を含め

全車がFS370となり、FS334はFS334Bに改造して2000系5次車に流用しました。

 

ちなみに最終編成を含む第5~7編成は落成時からFS370を履いています。

*1761F/1771F/1781F

 

 

 

パンタグラフ周辺を見ていきます。

菱形パンタのPT42J/Sを使用しています。

*J:東洋製/S:杉戸工場製

 

以前入線した晩年仕様は87年頃に交換した金属集板(ブロイメット)のため、2ホーンだったのに対して

今製品はそれ以前のカーボン製ですから、1ホーンタイプになっています。

 

 

東武の車両は基本的に台車枠とパンタグラフの中心を

一直線上に来るよう配置しているのが基本ですが、DRCは例外です。

 

DRCが東武における新製冷房車の第一弾であり、分散冷房によってパンタ設置スペースが狭いため

このように窮屈そうな配置になっています。

 

ちなみに設置スペースをあまり取らない下方交差式を最初に導入したのは1800系です。

 

 

 

 

パンタグラフ回りにも製品説明には書かれていない小さな改良点がります。

それは、避雷器の存在です。

 

従来製品ではパンタグラフと分離しており、ランボードに穴を開けてパーツを差し込んでいたのに対して

最新ロットではパンタ脇に設置することになり、より実感的になりました。

 

また、避雷器についてはパンタグラフ交換よりも後になって(90年頃?)

カバー付きのものに変更しており、この辺の差異は晩年仕様と作り分けがされています。

 

 

 

側面車番です。

アルミ製の切り抜き三段車番になっています。

 

MA製品は初期のものだと、お察しクオリティな三段車番も多々あれど(非冷房5000系とか)、

こちらの車番標記は割と実感的です。

 

DRCも他の形式と同様に晩年は車番のみの塗り文字になってしまいますが

やはり私はこちらの三段車番の方が東武らしくて気に入っています。

 

 

 

号車札などのサボに関する話です。

 晩年仕様と比べると、従来のサボは単に号車番号が書かれたサボのみでとてもシンプルです。

 

これも87年近辺から追設したと思われます。

 

また、反対側の1号車(F車)は85年から禁煙車になっており、

晩年仕様だと号車・種別サボの下に禁煙車ステッカーを貼っています。

 

 

 

 

特徴的な妻面貫通路―最終編成は写真左です。

1720系は登場時よりアクリルガラスを用いた自動ドア(マジックドア)を採用しています。

 

マジックドア自体は「こだま形」こと国鉄151系が先に導入しているものの、

151系は食堂車のみに対してDRCは全車両に用いています。

 

 

登場当初は一枚ガラスでしたが、80年代後半の車内リフレッシュ工事に伴い

窓付きの貫通扉に変更しています。

 

DRCはいくつか保存車があるものの、貫通路を塞いだりカットボディであることが多いため

交換後とは言え国鉄足尾線わたらせ渓谷鐵道の神戸(ごうど)駅にある車両のみ今でも見ることができます。

 

 

 

車端部のトイレ窓です。

パンタグラフを装備する1・3・6号車(F/D/A車)にトイレを設置しています。

 

当初のトイレ窓は摺りガラスタイプ…なのですが、MA製品の場合は裏面を白く塗装したり

そもそも無加工で透明だったりと「??」な感じです。

 

のちの車内更新工事でFRP製になっており、晩年仕様だと真っ白になっていて

実感的なのですけどね…

 

 

 

側面の全体的な印象把握です。

写真上が最終編成、下は晩年仕様()の前回品です。

 

先述の通り、パンタグラフ・トイレ窓・乗務員室の通風装置と

客扉付近にあるサボ/ステッカーなど時代ごとの差異がわかるかと思います。

 

車番に関して下の晩年(改)はGM8000系用インレタを使用して三段化していますが、

最終編成の方はこうして見ると全然目立ちませんね。

 

ただ、これに関しては実車写真を見てもそれほど目立っていないことから

これはこれでいいのかな…と。

 

 

 

 

続いては中間車編です。

まずはビュッフェ車である2・5号車(E/B車)から見ていきます。

 

どちらも先頭車とユニットを組むM'車であり、

(模型的に)動力ユニットは5号車に組み込まれています。

 

後述するサロン室のある4号車(C車)を基準に向かい合うようにビュッフェがあり、

カウンターのある方は窓がありません。

 

ビュッフェ車は後年(1970年代初頭)になって電子レンジが設置されましたが、

最終編成である1781Fは登場当初より設置してあります。

 

 

 

 

サロン室を設けている4号車(C車)です。

非常口を挟んで窓が広くなっている部分がサロン室になっています。

 

C車もまた後述する3号車(D車)とユニットを組むM'車ですから、

床下にはCP・MG・BTを搭載しています。

 

ちなみに1700/1710系更新車の場合、元々のMGを流用したことから

容量の関係でC車に2基積んでおり、これが1720系との数少ない識別点になります。

 

 

 

 

こちらがDRCの見どころの一つであるサロン室です。

 

DRCに乗車した人なら誰もが使える「憩いの場」として好評があり、

さらに200曲以上から選択できるミュージックボックスは画期的なサービスでした。

 

サロン室は座席定員の増加に伴い88~89年にかけて撤去することになり、

その第一弾が当製品の最終編成と第3・6編成でした。

*88年12月

 

 

 

また、サロン室撤去より時を早くして1987年からは1800系と共に電話室を設けることになり、

写真右のように晩年仕様になると電話アンテナが立ちました。

 

当区ではこの晩年仕様を三段車番+サロン室復活仕様にすべくあれこれ弄ったのですが、

こちらのアンテナさえ撤去できればもう少し時代を遡ることができたのですけどね…

 

 

 

DRCの中で唯一パンタグラフを装備する中間車である3号車(D車)です。

 

そういえば、以前紹介した時もこのタイミングで話した気がしますけど、

DRCを車両ごとに呼ぶときは様々な言い方があります。

 

・号車で呼ぶとき→日光方から1~6号車

・アルファベット→浅草方からA~F車

・車番で呼ぶとき→浅草方からモハ17*1~モハ17*6

 

特にピクトリアルでは全ての読み方が出てきますから、

覚えておくと混乱なくどの車両のことを言っているのか理解できると思います。

 

 

 

D車は相変わらず座席を客用扉まで設置してあるのが「?」ですよね…

 

前回はサロン室を復活する時にこの部分を撤去して有効活用したものの、

今回は純粋に撤去になると思います。

 

 

 

最後に点灯チェック。

 

最新ロットでは導光プリズムが透明になっているおかげで前回品よりも

自然な色合いになりました。

 

ただ、相変わらずフォグランプは赤味が強すぎますね…

 

 

 

 

ライト回りが改善されたとは言え、まだまだ改善の余地があると思い、ヘッドライトのLEDを

2×3×4の角型電球色LEDに交換しました。

 

取り付け後は、他のLEDに倣って黒い絶縁テープにくるんで遮光しています。

 

ちなみに今製品からは導光プリズムが透明だったことから

ヘッドマークとライト類の光源が別々になっていました。

 

 

 

交換後、再び点灯チェックしました。

 

前回品のように白色→白色への交換はそれほど効果が無くても、

白色+着色プリズム→電球色への交換は光量が増加していて一目瞭然です。

 

フォグランプに関しては、着色部分を1200番くらいのペーパーでプリズムを削らない程度に剥がし

発光部をゴッドハンドから出ている「神ヤス」の#4000~#10000番を#2000番刻みで磨いていきます。

 

ちなみに赤っぽい着色はプリズムの屈折部にもあるため、

アルミホイルのような遮光フィルムを適宜めくって剥がす必要があります。

 

剥がしたあとは発光部にオレンジのマッキーで着色しました。

 

 

 

 

では、レビューはここまでにしておいて、軽い整備を行います。

 

とはいっても、今製品の仕様は当区が想定している時代設定とマッチしているため

今回は本当に軽く弄るだけにとどめておきます。

 

まずはアンテナをペア―ハンズ製#NP-012を塗装した上で交換し、

マーカーランプをトレジャー製#TTP904-01Aに取り替えました。

 

ライトレンズはランナーから切り出す前に、青色のマッキーで着色しています。

また、ランナーから切り出したあと、取り付け時のことを考慮してレンズ本体の後ろ約1/3を切断します。

 

もはやバリと間違えるレベルの大きさになってしまいますが、そうでもしないとレンズが上手く嵌りません。

 

 

ちなみにレンズパーツをつまむ時は、上写真に写っているミネシマ製の

「マイクロピンセット(ストレート)」がおススメです。

*品番#F-90

 

先端が細いのは他のピンセットでも見かけますが、こちらは本体自体も小さいのに加え

ヘッドがやすり目になっているため、通常の精密ピンセットより力加減が遥かに楽です。

 

 

 

こちらは付属のヘッドマークステッカー。

登場時を想定しているらしく、「けごん/きぬ」以外にも沢山の愛称が含まれています。

 

また、英字標記も"LIMITED EXPRESS  FOR ***"となっており、行先も併記しています。

これは東武で初めて方向幕を設置した1700系の影響を受けているように思えます。

 

MA製品では以前、1720系登場時仕様(#A-0871)を発売しており

DRC化前の1700/1710系と共に運転していた頃ならこれらの愛称は一応通用します。

 

 

しかし、今製品はいくら同じ登場時仕様とはいえ、70年代に登場した最終編成。

この頃は「けごん/きぬ」に統一され、しかも英字標記は"LIMITED EXPRESS"のみになっています。

 

具体的にいつ頃から変わったのかは不明ですが、調べた限りでは

1966年にはすでに現行の標記になっていました。

*たとえば、ピクトリアル・アーカイブスNo.23 p.103

 

つまり、このステッカーは今回発売した最新ロットのいずれにも使えないことがわかります。

 

 

 

最後にバリの酷かった特急エンブレムを慎重に削ったりヤスリ掛けして

GM8番+クレオスつや消しで塗装し直して整備はひとまず完了です。

 

 

前回ロットの「改良品」以上に様々な部分で改良されていたので好感が持てた反面、

まさかのヘッドマークステッカーが地雷だったのは残念でした…

 

当区ではとりあえずヘッドマークを保留して、画像加工しながらエラー修正した

ステッカーを自作しようかなと思います。

 

 

DRCはかなり厳つい見た目をしていますから、1編成いるだけでも存在感は十分ですが

それが2編成となると少々胃もたれ感が否めませんね…

 

とはいえ特徴的な最終編成はその時代設定上、ツートン末期~クリーム全盛期を走り抜けたこともあり

登場時仕様とも相まって君臨したての最新型車両として運用するにはちょうどいいなと思います。

 

今後はKATOからも8000系が製品化するとの衝撃情報(?)もありましたし、8000系の発売に向けて

ホコリを被って"Non-Active"になっている東武車両を1両でも多く"Active"にしていきたいですね。

 

 

それでは今回はこの辺で。

ご観覧ありがとうございました♪