民鉄の覇者 東京急行電鉄 27、五島ならぬ強盗慶太⑥ (東京地下鉄乗っ取り) | 犬と楽器と鉄道模型

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1939(昭和14)年、五島は渋谷〜新橋間(現在の東京メトロ銀座線)を開通させ、そこから既に日本初の地下鉄として、浅草〜新橋間に開通していた東京地下鉄道会社と接続させようとしていた。
 
しかし、地下鉄の父と呼ばれ、東京地下鉄道会社の創立者だった早川徳次は、これを拒否する。
五島は色々条理を尽して早川を説得し、東京高速鉄道の社員が東京地下鉄にお百度を踏んで交渉したのであるが、早川は頑として自説を曲げなかった。
のみならず、却ってあらゆる手を使って阻止運動を激化してきた。
 
壁は取り払わない等、色々な妨害をされたのである。
結局、両線は新橋でそれぞれ折返し運転を余儀なくされてしまった。
このままでは、五島の策は頓挫してしまう。
 
【早川徳次 1881-1942 Wikipediaより】
 
五島は、
「渋谷から浅草まで乗り換え無しで行かれなければ東京市民にとって意味が無い」
と、東京地下鉄の買収を決断する。
五島は、先の三越の件なぞ全然懲りていないのであった。
 
さて、「強盗慶太」の名前を更に決定的にしたのは、この東京地下鉄道会社を乗っ取る件である。
 
「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」ではないが、関連して、東京地下鉄と一緒になって反旗を翻していた京浜電鉄の買収にも乗り出すのであった。
 
穴水熊雄の所へ、お得意のお百度の日参をした。
この甲斐があってか、ようやく同氏の持っていた東京地下鉄株45万株を譲り受ける事に成功する。
この穴水の大口株を所得した事で、東京地下鉄の命運は尽きた。
 
五島は、東京地下鉄を乗っ取った。
早速、早川を追出して現在の銀座線を完成させるのである。
 
しかしこれは、地下鉄の創始者、早川の事業を結果的に奪ってしまう様な形になってしまった事で、世間からは強い非難の声が上がった。
が、当時の五島はそれには一切耳を貸さず、又、一言の弁解もしなかった。

(次回は五島の言い分 「東京地下鉄乗っ取り」です)
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この記事は2014-06-17
yahooブログにて掲載していました。