1月9日から2泊3日で都内に宿泊。川崎・横浜方面にも足を伸ばした際に、2日目には鉄分が不発でしたが、3日目には挽回することができました。

 

前回の続きです。川崎大師駅を13時過ぎに出発し、京急川崎から快特・三崎口に乗車して横浜に向かいました。昨秋に踏切でトラックと衝突し脱線事故が起きた神奈川新町付近では速度を落として通過していました。横浜駅で相鉄線に乗り換えて、前日のリベンジ開始です。

 

天王町駅で横浜行と対向。この付近から高架駅の星川駅に向かって勾配区間を駆け上がります。

 

高架化された星川駅に、間もなく到着します。
 
前日に撮り損なった星川駅の同じ場所から、各停・横浜行8000系を撮影。
 
ホームのベンチは、横幅が広く手摺りも付いており、ゆったりした座り心地の良い物が設置されています。
 
南口改札を出てバス停のある駅前ロータリを跨ぐ連絡通路です。左側は商業ビル(星川FSビル)に接続されており、手前に向けて地上への階段が設置されています。高架下では、まだ土木工事が続けられていました。前日は反対側の北口に降りたつも、かつての相鉄車庫や留置線の面影はなく、帷子川(横浜駅付近へ流れる河川)を挟んで保土ヶ谷区役所等の行政施設がある地域となっています。この日は南口周辺を巡ってみると住宅街のままで、かつての街の面影が少し残っているように思いました。
 
相鉄に再度乗車して、更に二俣川方向に進みます。乗り合わせた車両はセミクロスシートでした。
 
次に降り立ったのは、昨年11月末にJR直通線との分岐駅となった西谷駅です。横浜からの後続電車(左)と、地下区間から登って来るJR線直通電車(右)です。
 
地下区間から顔を出したのは、一寸怖い顔をした特急・海老名行の12000系で、JR線との相互直通車として使用されています。
 
西谷駅には特急も停車。
 
先着した快速・海老名行の10000系が接続待ち。
 
特急が停車するのに、急行は通過するという不思議な西谷駅です。
 
橋上駅舎の乗換通路にあるトイレ前には、「そうにゃん」がいました。
 
下りホームから見た横浜方向です。上り本線(左)と下り本線(右)を挟み、両側に地下区間となるJR直通線が配置されています。
 
上りホームから見た横浜方向です。
 
12000系は、特急・横浜行として本線運用にも使用されています。
 
特急・横浜行12000系(左)と各停・海老名行7000系(右)。
 
各停・海老名行7000系が、西谷駅に間もなく到着。
 
二俣川方向の複雑な線路配置。左右に別れた上下線を挟む形で、折り返し用の引上げ線が設けてあります。
 
海老名行が下り線を進行中。
 
この日の次のターゲットは、JR線の直通電車に乗車することです。
 
JRのE233系が、特急・新宿行として到着しました。私もこれに乗車します。
 
西谷駅で乗りこんだ同好の士が群がります。相鉄線区間では中央窓のブラインドは下がっていませんでした。
 
JR線との接続駅として新設された羽沢横浜国大駅に停車。当駅で下車すると次の電車まで30分待ちとなり、飛行機の搭乗時間に余裕が少なくなるので下車を諦めて乗り続けることにします。ここからはJR線区間となるので、乗務員が相鉄からJRに交代します。
 
列車種別表示も各駅停車に変更されました。この先で貨物線の長いトンネル区間を走行するため、交代したJR乗務員により運転台中央部の窓にブラインドが下ろされ、同好の士も立ち位置を変更していました。
 
武蔵小杉駅で下車し、東急線に乗り換えるために南武線ホームを歩いていると、快速・川崎行の南武線E233系N30編成が到着しました。
 
武蔵小杉駅で東急目黒線の電車に乗り換えて、車内から窓越しにホームドア設備に表示された駅名を撮影。
 
多摩川駅で下車すると、目黒方面から都営編成が対向してきました。
 
初めて乗る東急多摩川線に乗り換えて、キャリーバッグを預けてある東急蒲田駅に向かいます。ミラーに撮影している自分の姿が写っていたので灰色でペイント処理。
 
ほぼ予定の時間に東急蒲田駅に戻って来ることができました。この7000系は折り返し多摩川行となります。
 
改札口を出た所に7700系のモックアップが置かれていました。直ぐ近くにあるコインロッカーからキャリーバッグを取り出して、JR蒲田駅前通りのバス停から、予定より少し早めの路線バス(京急バス)で羽田空港に向かうことが出来ました。
 
搭乗までに1時間以上も余裕があったので、空港ラウンジで夕焼け空を眺めながら生ビールを頂き、無事に帰宅することが出来ました。(完)
 
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