【郵便輸送の生き残り】珍車・スユニ50-2018が郡山へ回送〜廃車濃厚か

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盛岡車両センターの片隅で留置され、長年に渡り後輩たちの活躍を見守っていた“番人”が遂にその役目を終えた模様です。

岩泉線救援でも活躍したハワム287336とスユニ50 2018の2両ですが、本日郡山総合車両センターへ配給輸送されています。

前編として、ほとんどが若くして解体された50系客車の歴史を振り返りつつ、細々と生き残っている50系客車の今をお伝えします。

国鉄ローカル線の近代化に貢献するも……

50系客車は、全国各地に残存していた旧型客車列車の代替車両として登場しました。

茶色・青色の旧来客車からの刷新をアピールすべく、客車では他に類を見ないワインレッド一色塗りのボディで登場しています。

東北地区ではED75形電気機関車に、そのほかは非電化路線でDD51形・DE10形などを中心に様々な顔ぶれで活躍していました。

このほか、従来の客車列車に併結されていた荷物輸送・郵便輸送車両の代替のため、荷物車=マニ50形や郵便荷物合造車=スユニ50形、更にスユ15形の一部が50系客車をベースに製造されています。

ローカル線輸送の切り札として登場したものの、折り返しの際に機回し(機関車を付け替える作業)が必要な客車形態での輸送が非効率、両数の少ない列車を高頻度で運転する方が合理的……という国鉄の方針転換もあり、50系の多くは車齢の若さも虚しく急速に淘汰されていくこととなりました。

運よく生き残れた車両たち

一斉に淘汰されることとなった50系客車ですが、新たな仕事に就く車両も少数存在しました。

青函トンネル開業以降、快速海峡号として多くの50系51形客車が北海道と本州を行き来して大きな注目を集めたことが有名どころでしょうか。

また、客車列車自体は先細りではあったものの、朝夕の通勤・通学時間帯だけ活用する用途で地方ローカル線でも少数が民営化時点で引き継がれています。

日本最後の定期普通客車列車も、この50系とトイレタンク設置の12系の混結により運行されていました。

大改造を受けた車両たちも大活躍

客車という本来の使命を捨て、気動車へ大改造を施された車両も存在します。

山陰地区では、オハフ50形2両をキハ33形1000番台として改造しました。

キハ40系列などと混じって活用されることとなりましたが、その改造に大きな手間を要することから改造は2両で打ち止めとなっています。

長らく山陰地区で活用されてきましたが、取り扱いが異なる異端車両ということでキハ40形に余裕が出て2010年に運用離脱しています。

客車として10年、気動車として22年という特異な車両となりました。

現在もキハ33 1001が津山まなびの鉄道館(津山機関区跡地)で静態保存されており、改造された異端車としてはかなり幸運な最後を迎えることとなりました。

また、遠く離れた北海道では、なんと44両もの車両が気動車に化けて大活躍しました。

キハ141系と呼ばれるこのグループでは、キハ141形・キハ142形・キハ143形のほか、走行用エンジン非搭載のキサハ144形も登場し、札幌近郊を中心に活躍しました。

特に、キサハ144形の4両については、走行用エンジン非搭載・運転台非設置と客車の面影を強く残していました。

札沼線電化などにより、海外譲渡などが行われています。

荷物車・郵便車にも生き残りが存在

郵便車については全室郵便車の車両は郵政省が車籍を保有していた為に車齢を問わず解体されており、14系・50系に準じた車体を持つスユ15もわずか4年で除籍されています。

一方で、荷物車だけではなく、国鉄が所有していた荷物・郵便合造車の一部についても他の用途で再活用されることとなりました。

電車としてはクモユニ143、客車としてはこの50系グループのスユニ50のそれぞれごく一部が民営化の際に継承されています。

全国各地で事業用車として、特にその広い車内を活かして非常時の救援資材を積んでおく「救援車」の仕事を担う車両が多く登場しました。

今回話題となっているスユニ50-2018も、救援車用途で現在まで生き延びた車両の1つです。

令和に生き残った50系と郵便事業用車両

スユニ50-2018は、検査を担当する郡山総合車両センターの方針で、客車らしくないライトグレーに塗装された床下が特徴的な車両でした。

また、本線走行をする機会がほぼない車両という特殊性から、ごく稀に走行する検査入出場でファンが全国から訪れる車両です。

相棒のワム287336とともに岩泉線救援列車としての活躍で脚光を浴びたものの、それ以降も2019年に展示された程度でひっそりと余生を過ごしていました。

2019年には、JR東日本管内でマニ50形の廃車が相次いで行われており、今回の配給輸送もこれに関連した除籍の動きと予想されます

JR東日本の機関車牽引列車廃止の動きが少しずつ進んでいますね。

なお、今回は貴重な50系客車・絶滅寸前の“ユ”を冠する車両が廃車となる見通しですが、どちらも現役の車両が少数ながら現存しています。

50系の生き残りたち

50系の生き残り車両は辛うじて残存しており、そのうち20両は乗車することが可能です。

まず、栃木県の第三セクター・真岡鉄道です。

SLもおか号使用客車としてSLとともに真岡鉄道に譲渡され、現在もSL客車として活躍しています。

塗装こそSLに合わせた旧型客車風に塗り直されていますが、50系客車の原形に最も近い形態です。

そして、JR九州にも3両が現存しています。

こちらについてもSL客車用となっていますが、真岡とは異なり外装・内装ともに改装されています。

最近話題を集めた車両としては、JR北海道で気動車に改造されたキハ141系列が、JR東日本の新設SL列車“SL銀河”で使用されるために4両譲渡された点でしょうか。

デビュー前には“みちのくSLギャラクシー”として上野駅に乗り入れて大きな話題を集めました。

客車設計の車体が客車列車風の編成美を担っているだけでなく、構内入れ替えで自走出来るという強みが買われてのことで、かなり幸運な車両と言えるでしょう。

台車こそ気動車化の時点で気動車の廃車発生品に改められていますが、雰囲気はなかなかのものです。

キハ141系列のうち、走行機器類が新造品を多く使用して改造されたキハ143形は、上記のJR東日本譲渡の対象となった1両を除いた10両は室蘭本線・千歳線で現在も活躍しています。

客車改造という特異な生い立ちながら、キハ150形同等のエンジンを生かして110km/hという疾走っぷりです。

このほか、今回のスユニ50-2018と同様に事業用車として最近まで生き残った50系・除籍も現存する車両は他にも存在しており、特に有名なのはJR東日本で今も現役のマヤ50-5001でしょうか。

建築限界測定車として、旅客用のオハフ50形を改造した車両です。

JR東日本・在来線でドクターイエロー同様“検測車”として活躍するEast i-D,East i-Eの編成に組まれ、時々JR東日本管内を走行しています。

電車併結の客車という用途もなかなか変わり者ですが、従来同様の機関車牽引も出来る様になっており、客車生まれの強みを現代に発揮しています。

郵便車は風前の灯

一方で、郵便車“ユ”を冠する車両は絶滅寸前となっています。

車籍があり、走行する機会を見かけることが出来る車両は、長野総合車両センターで入替車として活躍するクモユニ143-1ぐらいでしょうか。

スユニ50形は今回の2018号が除籍されると形式消滅となりますが、今回のスユニ50-2018同様に、救援車代用・廃車後に倉庫として売却・静態保存などで多く残存しています。

国鉄末期に郵便輸送が廃止されて以来、“ユ”のつく車両も激減しています。

一方で、昨今では貨客混載として、旅客列車の一部に宅配便を積載する列車が増えてきました。

ファン心理としては、実現可能性こそ低いものの、後継形式として荷物車・郵便車などの合造車が再度生まれることを期待したいところです。

動画資料集

YouTubeチャンネル【鉄道ファンの待合室資料館】にてこの列車の連結シーンなどを動画で公開しています。

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