営団02系(開通50周年記念号)入線~名車の面影を重ねて~ | みなかん~南千住車両管区~

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鉄道模型を中心に、ゆる~くのんびり・まったり語るブログ。
取り扱う車両は、営団地下鉄と乗り入れ先の関東私鉄たちが主成分です。

 

こんにちは、ななせです♪

 

2019年もあと半日を切りましたが、皆様にとってどのような一年だったでしょうか?

 

改めて振り返ってみると、今年も色々出かけたり模型を増やしたり

ブログを移転したりとあっという間に1年が過ぎていった気がします。

 

今からそんなこと言ってたら10年後どうするんだ」とよく言われますが、時間が経つのが早く感じるのは

日々の生活にときめかないから…と某5歳の物知りな少女に叱られるテレビ番組情報。

ボーっと生きてんじゃ(ry

 

 

さて、KATOとTOMIXが後出しじゃんけんで潰し合ってお互い自爆しており(?)、

最近の新製品には全くときめかないななせがまた一風変わったものを掘り出してきたようです。

 

 

 

新たに入線したのは、ラウンドハウス(KATO)製

「営団地下鉄 丸ノ内線 02系 <丸ノ内線開通50周年記念号>タイプ 6両セット」です。

*元ネタ車の300形も一緒に入線

 


当区では製品名に「○○タイプ」と書かれた製品はもちろんのこと、自力でエラー修正が出来ない

「隠れタイプ」には極力手を出さないのが基本方針です。

 

しかしながら、当製品は通常品の金型とプロトがマッチしていることに加え

細部の仕様変更を行うといった気合の入れように興味が湧き、入線と相成りました。

 

 

 

ケースの中身はこんな感じです。

当区初のラウンドハウス製品という事で、赤いケースに新鮮味を覚えます。

 

付属品は交換用の行先方向幕(新宿行き)が入っているだけであり、

通常のKATO製品と同様に"ready to run "の状態です。

 

製品のプロトは、94~95年に登場した7次車のうち、東芝製VVVFを搭載する第50編成。

 

2004年1月~3月末にかけて、丸ノ内線開通50周年を記念して往年の名車である

300形を模したラッピングが施された姿です。

 

車両番号は下記の通り。

 

←荻窪/中野富士見町・新宿

 

(CT1) 02-150

(M)  02-250

(T)  02-350

(M')  02-450

(M)  02-550

(CT2) 02-650

 

→池袋

 

 

 

 

営団02系は1988年に登場した丸ノ内線の新型車両です。

またリアル世代じゃない乗車券を(ry

 

53編成(+方南町分岐線用6本)の計59編成336両が製造され、

これは営団内において最多の編成数を誇ります。

 

車体検査を中野工場で銀座線の車両と共に行うため、先発の01系と

主要機器類などを出来るだけ共通化していることから、01系の姉妹車的な立ち位置になります。

姉より背の高い妹…妄想が捗りますね

 

 

今回紹介する7次車は、1994~95年にかけて製造された02系の最終増備グループ。

第31~53編成の計23編成が該当し、これらの編成で本線の「赤い電車」を全て置き換えました。

 

その中でも第50編成は、2004年1月20日の丸ノ内線開通50周年を記念して2003年末から

300形を模したラッピングを施し、約10年ぶりにサインウェーブの赤い電車が丸ノ内線を走りました。

 

 

 

 

では、製品を見ていきましょう。

 

通常塗装を持っていないので純粋な比較になりませんが、デザインコンセプトの一つである

「従来車の面影」が特別塗装によってさらに際立っているようにも感じます。

 

その一方で新型車両としての面もしっかりと持ち合わせており、四角い灯火類・アシンメトリーな前面と

丸みを帯びた印象は「0シリーズ」の一員としての立ち振る舞いも忘れていません。

 

銀座線・丸ノ内線の車両と言えば、1000形から脈々と受け継がれるトムリンソン式連結器。

 

連結器は戦前(1934年の新橋開通?)の頃から電連を装備していたものの、

銀座線の車両含め、旧型車両の全廃によって撤去してしまいました。

 

 

 

 

車体塗装は300形を意識しているとのことで、オデコ部分の行先表示器も

印刷によって再現されています。

*300形の「西銀座」→日比谷線の銀座駅開業(1964年)に伴い銀座駅に改称(銀座総合駅)

 

行先表示の両脇にある標識灯は、かつて進行方向(行先)によって青/黄に点灯しており

500形645号車以降の車両は省略しています。

 

 

ここで特筆すべきは、通常塗装仕様はオデコ部分も前面ガラスパーツと一体だったのに対して

50周年塗装車はボディと一体になっています。

 

また、貫通扉についても前面窓ピラーに溝が彫られているのが通常品との違いで、

単なる塗り替え品ではないことがわかります。

 

ちなみに02系の車番は他の0シリーズ同様に貫通扉上部にあるのが通例ですが、

従来車に合わせて元の車番をブラックアウトで隠した他、列番下の四角いものは…(←

 

 

 

前面のヘッドマークをアップで。

 

最近は鉄コレのインクジェット印刷に追従した低クオリティな製品が他メーカーでも悪目立ちする中、

安定のKATO製という事で印刷は綺麗に施されています。

 

先述の通り、前面車番は従来車に合わせて貫通扉下部に書かれているものの、

営団車で見られるものとは文字フォントが異なります。

 

これはこれでイマドキなアメリカンスタイルですが、やはりニューヨーク地下鉄風な

あの独特な文字フォントの方が営団車らしくていいなと思うのですけどね…

 

 

 

50周年のラッピングは側面にもあります。

 

こうしてアップで見ると、ラッピングやサインウェーブは綺麗に印刷されているのに対して

ドア下の沓摺の銀色が掠れていますね…

 

これは時間を見つけてくろま屋インレタを転写してどうにかしましょう。

 

こちらのラッピングのデザインは、何だか下写真のように

荻窪線全通記念の乗車券と雰囲気が似ているなと思いました。

お前の世代でそれがすぐに出てくるのはオカシイ

 

 

 

○幕間~「荻窪線って何?」と思った方へ~

 

丸ノ内線の呼称は当初、東京第4号線の中でも池袋~新宿の区間を指し

1959年に霞ヶ関~新宿の開業をもって「全通」しました。

 

しかしながら、第4号線は中野検車区において第3号線(銀座線)と工場業務を統一するほか、

国鉄中央線の混雑緩和を目的に新宿から方南町/荻窪まで延伸しました。

 

よく誤解されがちですが、荻窪線は方南町分岐線だけでなく新宿~荻窪間も含まれます。

 

どちらも丸ノ内線の車両を使っていることや、元々は同じ第4号線として延長した路線であることなどから

1972年に丸ノ内線へ編入しました。

 

 

 

 

続いては台車を見ていきましょう。

住友製モノリンク式ボルスタレス台車であるSS130A/030Aを使用しています。

 

モノリンク台車とはいえ、リンクの部分は集電靴吊に隠れて見えないため、

パッと見ではただのボルスタレス台車にしか見えません。

 

ちなみに02系の先頭車はCTなのに運転台側のみに集電靴が付いているのは、電圧測定のためです。

 

 

 

さらに、元ネタ車である300形もリンク式台車(FS349A)です。

*登場当初はゲルリッツ式のFS301

 

基本的な構造は小田急などで見られるようなモノなのですが、営団車の場合は

ウィングばねと併用していることから、リンク部分が隠れてほとんど見えません(後述)。

 

ただ、写真をよく見るとこの300形の履いている台車は…FS309ですよね?

 

本来は400形(431~449)と500形(569~756)が使用している台車であり、

FS349シリーズとの大きな差異はブレーキが両抱き/片押しとシリンダーの向きです。

 

また、FS349とFS349Aでも側梁の形状が違うため、単にFS309をシングルブレーキ化しただけでは

300形の履くFS349Aに修正することは出来ません。

 

パッと見ではそっくりな外観をしている事から、個別に作成しなかったみたいですね…

 

 

 

補足として、日比谷線の車両を使用して集電靴吊の無い状態で比較です。

 

3000系の履くFS336―エアサス台車のため上写真のFS349A(と見せかけてFS309)とは

微妙な差異はあれど基本的な構造は一緒です。

 

先述の通り、小田急や乗り入れ相手の東武2000系(FS340/FS334B)と同じく

上下平行にリンクがあるものの(黄丸)、ウィングばねに隠れて判りづらくなっています。

 

 

 

屋根上の様子です。

 

日比谷線以降の路線とは違い、狭いトンネル内を走る銀座線・丸ノ内線の車両は

薄型の分散冷房(三菱CU766)を1両当たり2基搭載しています。

 

また、クーラー脇にある通風孔っぽく見えるものは車外スピーカーです。

*03・05系(~中期車)も同じく幕板部に通風孔みたいな車外スピーカーがあります

 

0シリーズの中で01系・02系の初期車たちは当初非冷房でデビューしており、

非冷房の車両は車外スピーカーの他に通風孔がびっしりと敷き詰められていました。

 

02系では3次車である第08編成から新製冷房車になっており、

非冷房の車両も冷改に際して新製冷房車に倣って通風孔をアルミ板で塞ぎました。

 

 

 

側面をよく見ると、四角いモールドが…

 

KATO製の02系は全て民営化後をプロトとしているため、社紋プレートがそのままだから

これがタイプ要素…ではありません

 

50周年記念号が走っていた時期と言えば、民営化後の社名やロゴがプレスリリースにより

発表され(2004年1月末)、営団民営化に向けての「移行期間」でもありました。

 

それに伴い01・02系以外の車両は前面のSマークを剥がし、側面はプレートを被せて

その上に紺色のSマークを書いていました。

 

したがって当製品は民営化への移行期間に走っていた姿をプロトにしており

ギリギリ営団仕様」ということになります。

 

 

 

 

ちなみにこのプレートを剥がすと、中に営団の団章(Sマーク)が隠れているのは

最近広く知られるようになりましたね。

 

営団民営化から15年経って久々にSマークと再会しますが、やはり0シリーズには

切り出しプレートの団章が一番しっくりくるなと思います。

 

 

 

 

妻面の写真です。

 

0シリーズの車両たちをレビューする時は大体出てきますが、02系も例に漏れず

初期車と比べて貫通路の幅が70ミリ広い870ミリになっています。

*第23編成(6次車)以降

 

 

そして当製品のタイプ要素はこの妻面にあります。

 

この赤いラッピング、実車では幌枠周辺には施されていないため

貫通路の辺りだけはアルミ車体の地金が出ていました。

 

車体へのラッピングは塗装と違い、凸凹部への貼り付けはあまり得意としないため

人目に付かない妻面という事もあって省略したのでしょう。

 

逆に模型的に見れば、いちいちマスキングして塗り分けるなんて手間ですから、

上写真のように妻面も赤一色にしたのだと思われます。

 

 

 

今更ながら、全体的な印象把握です。

 

通常塗装の02系と比較すればその差は一目瞭然ですが、

この並びを見ると本当に違和感がありませんね。

*友人の言葉を借りるなら、「公式が作ったウソ電

 

丸ノ内線を象徴する赤い車体にサインウェーブの入った帯は鉄道ファンでなくてもその知名度は高く、

02系に置き換えられた時は「丸ノ内線のシンボルが…」と惜しむ声も多かったそうです。

 

 

 

300形と連結して側面帯の比較です。

 

こうしてじっくり見ると、側面窓の寸法や帯の太さといった違いから

似ているようでちょっと違った印象を受けますね。

 

300形が「名車としての安定感」であれば、02系の方は帯が細くてどことなく引き締まっており

「新型車両としての風格」漂うそんな雰囲気があります。

 

 

 

次に中間車を見ていきましょう。

 

従来車における純粋な中間車といえば900形を思い浮かべる一方で、

戸袋窓が無いところからどことなく完全中間車化改造を行った300形にも見えますね。

 

そういえば中間車化改造を行った300形や500形の一部はアルミサッシでしたね。

02系の窓ピラーは通常塗装だと黒ですが、これに関しても従来車を意識して赤くなっています。

 

 

 

 

02系の制御装置です。

 

台車と同様に、5次車のうち第20編成以降は4象限チョッパから

VVVF(IGBT)に仕様変更しています。

 

23編成いる7次車の中で、最終増備の4編成(第50~53編成)には東芝製の

SVF021-A0を搭載しています。

 

ピクトリアル裏表紙の写真と見比べると、冷却装置のメッシュ部分に差異が見られるものの

50周年記念号として走っていた頃は下写真の製品と同様のスタイルに変わっていました。

 

 

 

 

編成内で唯一の付随中間車である3号車の02-300形です。

実車では付随車でありながら、模型的にはここに動力ユニットが入っています。

 

T車なのに台車に集電靴が付いているのは、おそらくSIV電源用のためでしょう。

 

また、側面車番や号車札は黒を基調としており、特に黒い車番を見ると

方南町分岐線に転属した旧東京高速鉄道100形が思い浮かびます。

…と、02系しか知らない世代の人間が戯言申してます

 

 

 

また、3号車の妻面には誘導無線アンテナが取り付けられています。

他の新型車と同様に、両エンドに2か所ずつ集約しています。

 

やはりパーツではないため造形は微妙なところですが、

鉄コレやMAの08系と比べるとモールド成形にしては頑張っている方だと思います。

 

ちなみに実車写真を見る限りでは、このIRアンテナも50周年記念塗装の際は赤くなっていたようです。

 

 

 

 

最後にライトチェック。

 

KATO製特有の薄いオレンジプリズムに白いLEDを使用しているため、

MAほど露骨ではありませんがどことなく黄色寄りのヘッドライトです。

 

行先はデフォルトで「31運用 池袋」、交換用に「15運用 新宿」が付属品として入っています。

 

やはり最初に開通した区間が池袋~御茶ノ水であることから、

当区ではデフォルトのままにしたいと思います。

 

 

 

さて、レビューはこの辺にして気になる部分を弄っていきたいと思います。

まずはタイプ要素になっている妻面を修正します。

 

という事で入線早々に車両を分解し、ボディだけの状態にします。

 

 

 

分解後は幌枠に沿って厳重にマスキングをして銀色に塗装していきます。

 

使用した塗料はGMの8番(ステンレスシルバー)をガイアノーツのメタリックマスター(#T-09)で

ダラダラに垂れる寸前まで稀釈したものをイージーペインターで吹きつけ、クレオスのつや消しクリアーで仕上げました。

 

本来は銀色車体の上に赤いラッピングであることから、塗装によってできる凸状の段差を

極力目立たなくするためにこのような回りくどいことをしています。

*塗装前にプラ板などへの「試し吹き」は必須

 

 

 

 

塗装にあたり友人が持っている通常塗装の02系を見せてもらい、同じアルミ車である

6000系と質感がほぼ同じだった事からこれらを目安に塗装することにしました。

 

さらに前ブログ時代でお世話になったyam様に助言を求めたところ、

GM8番という意外な回答に驚きましたが、KATO製営団車に近い質感になったと思います。

*いつも貴重な情報ありがとうございます

 

塗装剥離することなく塗り重ねるため、下地色の明るさに大きく左右される銀色を吹くことから

仕上がりに不安があったものの、今回は何とか杞憂に終わってよかったです。

*つや消しを吹いたためか、6000系よりメタリック感はやや控え目です

 

 

 

 

他には、模型では再現されていなかった前面手すりを追設しました。

 

使用したのはトレジャータウンのパーツで、上が#TTP213-03(東急8500系・パーツG)で

下は#TTP213-22(東武8000系・パーツJ)です。

 

特に前面窓ピラーへの取り付けは物凄くシビアであり、ケガキ針→0.2ミリでガイド穴→0.3ミリの順で開けました。

 

ただでさえ少しでもズレればアウトなのに加え、前面は曲線を描いているため

垂直に真っ直ぐ開けていくことを心がけます。

 

それでもガラスパーツに穴を開けることから穴開けの跡が目立ちます。

気休め程度ですが取り付け穴(裏側)に黒を流したり、表の穴は赤を流して多少の改善を試みました。

 

 

ライトケース付近の手すりについてはこれまた下地の色で発色が左右される赤色を塗装するため、

GM37番(白3号)をベースにクレオスの156番(スーパーホワイト)をわずかに混ぜて隠蔽力を上げました。

 

赤色は手持ちのGM91番(メトロレッド)をガイアの#T-06で希釈したものを塗りました。

*Mr.カラースプレー3番(レッド)と中身は同じだと当時のGMストアーの人に聞いたことがあります

 



という事で、2019年最後の記事はラウンドハウス製営団02系50周年記念号のレビューでした。

当区の営団0シリーズも6形式11編成に、あともう少しですが入手難度は…()

 

私が営団地下鉄に興味を持ったのはちょうど民営化直前辺りだったことから、

実車は見たことなくてもこの記念塗装の02系は子どもながらも強く印象に残っています。

 

銀座線・丸ノ内線界隈は友人が一足先に進出しているものの、これらの路線は歴史が長いだけあって

車種・編成のバリエーションが非常に底なし沼豊富ですから、当区も独自のアプローチで参入していきたいと思います。

 

 

最後になりましたが、本年の記事はこれにて終了します。

 

9月にヤフーブログから引っ越しを行いまだ数か月、前ブログでは出来なかった「私鉄メインなブログ」の

イメージを確立すべくかなり取っ付きにくい記事を書いてきました。

 

やはり鉄道模型と言えば「国鉄/JRで現行主義」が圧倒的多数派ですから、それに真っ向から逆らう当区の記事は

かなり捻くれている一方で、「夜なかなか寝付けない時に読むとぐっすり眠れる」との評価をいただいています。

←それ褒められていませんよ

 

こんな感じで今後も捻くれた記事をどんどん量産していきますので、少しでも興味を持った物好きな方や、

夜眠りたいのになかなか寝付けない方がいましたら、是非とも足を運んで頂けると幸いです。

 

それでは今回はこの辺で。

来年もまたよろしくお願い申し上げます。