こんにちは。
今日はED75機番シリーズの45回目、82号機です。ヒサシ付き車籍復活機の1両、かつ前回の機番シリーズで書いたように、事故廃車がなければおそらく復活できなかったであろう機関車です。
ED75 82[長] 1966年落成
落成時配置は仙台だったようですが、2年後からは長町所属でした。(仙台って馴染みが無いので長町表記にしています。)一時的な貸し出しを除いてずっと長町で活躍しましたが、国鉄民営化を目前にした1987年に一度廃車になります。
1989年、JRになってからの好調な貨物輸送需要を受けて車籍復活。奇跡的に蘇った1両です。
復活したてピカピカの82号機、[盛]の区名札、直前の3月に郡山全検施工された表記も見られます。
車籍復活日は3/31とのこと。写真はその約1週間後の撮影、この時が初の撮影でした。
列番のメモが残っていないのですが、重連総括のKE77に加えEG(電気暖房)用のKE3ジャンパ栓を引き通していることから恐らく客レ牽引、足慣らしだったのでは?と思います。1日の撮影を終えて盛岡駅へ戻って来た時に見つけて撮影したもの。2521レで盛岡へ到着した時の姿ではないかと思います。
1989/4 東北本線(特記以外以下同様) 盛岡駅 列番不明
Rail Magazine誌No.108によると、76号機とこの82号機は、前回書いた1014号、および1032号の六原事故廃車の影響で、貨物会社の自社保留車から復活とあります。(他7両は国鉄清算事業団から買い戻し復活。) なので事故廃車がなければこの機関車の勇姿は見られなかった可能性が高い わけです。
何か複雑な気持ちです。
無事に復活した82号機は貨物会社の所属、高速貨物を牽引して走ります。1032、1014号機最後の活躍を見送ることになったのと同じ場所で撮っていました。
ED75 50~100グループの1両、ヒサシ付きのほかに、前面窓回りの突起;保護枠取付のためのもの、丸みを帯びたスカート、写真連結器右側の重連総括用ジャンパ栓が旧式のKE63のままという特徴があります。KE63は使用されることなく、連結器左のKE77を使っていたと思われます。片側だけ新型のKE77に交換されたんでしょうね。
1990/08 久田野-白河 3066レ
国鉄時代はED77の天下だった磐西にも入る機会がありました。
1994/12 磐越西線 川桁-猪苗代 5295レ
朝の重連高速貨物の先頭に立って行きます。妙に赤いですが他のポジも同じ映りなので気象条件によるものと思います。
1997/04 東白石-北白川 3067レ
この日は重連で車扱を牽引。
1998/01 東白石-北白川 5175レ
上り列車牽引仕業を終え、黒磯駅北留置線へ引き上げる姿。
1999/03 黒磯駅 4080レ牽引機
1999年からは長町へ転属、国鉄時代在籍の古巣ですね。
この撮影時は3月でしたが、雪を付けて八戸駅に到着した上り重連貨物の連結面を一撮。
2000/03 八戸駅 4084レ
2000/07 白石-越河 単5660レ
82号機先頭の重連高速貨物、ヒサシ付きは顔立ちが引き締まって見えます。
2001/04 泉崎-久田野 3054レ
上と同じ日の返し運用、目測を誤ったのか2両入りませんでしたが、重単で北へ帰ってゆく82号機、これがラストショットとなりました。
2001/04 黒磯-高久 単5183レ
同年の秋には廃車になりました。
奇跡的な車籍復活から約12年間、貨物列車牽引で活躍する姿を見ることができた1両でした。
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以上ED75 82 機番シリーズNo.45 最後までご覧いただきありがとうございました。