小田急3000形(第2編成・最高速度記録車)入線~夢の"超特急"はすぐそこ~ | みなかん~南千住車両管区~

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鉄道模型を中心に、ゆる~くのんびり・まったり語るブログ。
取り扱う車両は、営団地下鉄と乗り入れ先の関東私鉄たちが主成分です。

 

こんにちは、ななせです♪

 

12月15日という事で、ヤフーブログが終わってしまいますね。

 

2016年に急な思いつきでヤフーにてブログを開設し、記事が更新できなくなる

今年の8月末までのおよそ3年間活動してきました。

 

ヤフーブログ終了にあたり、ブログを移転した人・ブログを畳んだ人・移転先で

畳んでしまった人などそれぞれの道を進んでいますね。

 

私も9月にアメブロへ移動してから投稿した記事はまだ微々たるものではありますが、

前ブログ以上に奇異なものを見る目に晒されながらもなんとか地に足が付いた…のかな?

あ、変な記事書いている自覚はあるんですね

 

短い期間でしたが、お世話になりました。

 

 

さて、ヤフーブログに別れを告げ、気持ちを新たに切り替えて本題に入っていきましょう。

 

ちょうど前ブログを始めた頃は特急形の車両といった今では考えられないジャンルで

記事を書いていたので、今回は初心に返ってみようと思い柄にもなく特急形車両の紹介です。

 

 

 

今回紹介するのは、小田急のグッズショップであるTRAINSが販売している

「小田急ロマンスカー 3000形(SE) 第2編成 特別仕様 狭軌世界最高速度樹立車 8両セット」です。

長いですね…

 

最近の小田急ブームの一環で、流線形のロマンスカーもせめて一つは持っておきたいことと、

箱根バトル的なネタ速度記録などのエピソードをもつ車両とのことで入線に至りました。

 

小田急で販売しているとはいえ、製造元はマイクロエースであり

品番が設定されていない以外は基本的にMA製品に準じています。

 

 

 

 

当製品の購入特典として、3000形の設定資料集パンフレットのレプリカがあります。

誤解を招きますよ

 

内容は写真や文章・図などは当時のままに、文字などの体裁を現代風に整えたものであり

『鉄道ピクトリアル アーカイブスセレクション』みたいな感覚です。

 

やはり1957年登場の車両という事もあり、SSE化後の情報は少し調べれば出てくるものの

登場時の情報はあまり見かけないためこういった資料は本当に重宝します。

 

 

 

箱の中身です。

当区初の連接車であり、収納方法や連結などの取り扱いには新鮮味を覚えます。

 

プロトは製品名の通り当時の狭軌鉄道における世界最高速度記録を樹立した

第2編成(3011×8)であり、車番は下記の通りです。

 

←新宿

 

[8/M1c] デハ3011

[7/M2] デハ3012

[6/M3] デハ3013

[5/M4] デハ3014

[4/M5] デハ3015

[3/M6] デハ3016

[2/M7] デハ3017

[1/M8c] デハ3018

 

→小田原

 

 


実車解説をすると、小田急3000形は1957年に登場した特急専用車両であり

小田急ロマンスカー」の4代目に当たります。

 

"SE"という愛称があり、これは"Super Express"の略で「新幹線のルーツ」ともいわれています。

 

 

大東急から分離発足した小田急は、戦後の将来目標として「新宿~小田原60分」を掲げ、

列車表定速度の向上に対して熱心に研究していました。

 

これは戦前の表定速度記録を破るためではなく、所要時間を短くして一日に何往復もの運転を可能にすることで

列車の回転率を上げるといった考えを基に打ち出したものです。

*阪和電気鉄道の「黒潮号」/「超特急」

*阪和天王寺~東和歌山(61.2km)の所要時間は45分(=表定速度81.6km/h)

cf. 新宿~小田原:82.8km

 

そこで、小田急ではライバルの国鉄を始めとした様々な技師・研究者などの協力のもと

超軽量かつ高速運転の可能な高性能特急車として誕生したのが3000形です。

 

 

様々な新機軸が盛り込まれた3000形ですが、そのポテンシャルは未知数。

 

しかし、線形の関係で小田急線内ではその性能を全て確かめることができず、

当時同じく高速列車の研究をしていた国鉄の協力を得て東海道線内で高速試験を行いました。

 

まずは藤沢~平塚間で143km/hを記録したものの、「一度は最高速度を出してみたい(フラグ)」と欲を出し、

函南~沼津間の試験で最高速度の145km/hに達し、当時の狭軌鉄道における世界最高記録となりました。

 

SEによる高速度試験とのちに登場した国鉄20系電車(151系)の試験を経て

それらのデータをもとに新幹線開発が本格化しました。

 

また、小田急線内でも所要時間の大幅な短縮に成功し、新宿~小田原間を初代ロマンスカーである1910形が

80分(1950年)で結んでいたのを3000形では最終的に64分(1962年)にすることができました。

*小田急全線の高速試験(1960)では58分53秒を記録

 

 

ちなみに現在の狭軌鉄道における最高速度車は…

 

・国内最高速→国鉄クモヤ93000形:175km/h (1960)

・世界最高速→6E1型電気機関車:245km/h (1978/南アフリカ)

 

となっています。

 

 

 


さて、それでは製品を見ていきましょう。

 

まずは前面から―高速走行における空気抵抗の観点から、流線形になっており

「鉄道車両は箱型」というのが常識だった当時の人々に大きな衝撃を与えました。

 

外観のインパクトや様々な新機軸とも相まって、鉄道友の会はブルーリボン賞を新たに制定し

その栄えある第1回の受賞車両に3000形が選ばれました。

 

こうして見ていると、どこか航空機を彷彿とさせる雰囲気がありますね。

 

 

 

他の車両と比較してみましょう。

先代のロマンスカーである2300形と…ってあれ?

 

 

 

ごめんなさい、写真を間違えました…

絶対ワザとだろ

 

気を取り直して、3代目ロマンスカーの2300形と通勤形車両の2400形を並べてみました。

 

連接車であることから床が低くなっており、全高の差は両隣の車両と比べて

100ミリしかないのにもかかわらず、とても小さく感じます。

 

 

 

横からも眺めてみました。

窓や乗務員扉の底辺は同じ高さであるのに対して、裾部がかなり下がっていることがわかります。

 

3000形の開発にあたり、かつて海軍の航空技廠に在籍していた技師も参加していたことから

航空機の技術が随所に盛り込まれています。

 

高速運転に際して空気抵抗などを想定し、風洞実験を行った結果

このように特徴的な流線形の車体となりました。

 

 

 

全体的な編成写真です。

 

3000形は8両編成で、当時の連接車両は2~3両が当たり前だった時代に

このような長編成であるのも画期的な特徴のひとつです。

 

8両編成とはいえ、先頭車が15.9m・中間車が12.7mになっており

中形通勤車6両編成より少し長いくらいです。

 

 

またわかりづらい例えを…(呆)」なんて思われそうですが、当時のホーム有効長を決める指標として

全長17.5mである中形車を用いていたため、あながち的外れなことは言ってないつもりです。

 

 

 

 



台車です。

近畿車輛製のKD17(付随台車)とKD18(電動台車)を用いています。

 

小田急では1954年に登場した2200形より住友金属製のアルストーム式を採用していたのに対し

3000形では円筒案内式の一種であるシュリーレン式台車を採用しています。

 

また、ブレーキ装置にディスクブレーキを国内の鉄道車両で

初めて用いたことでも知られています。

 

 

小田急では前例のない台車ですが、乗り心地の面では左右の揺れが大きく

あまり乗り心地がいいとは言えなかったようです。

 

その事から3100形(NSE)ではミンデン式へ変更したものの、今度は上下の揺れが大きくなり

次形式の7000形(LSE)でアルストーム式にしたことによって落ち着いたそうです。

 

 

これに関しては台車の性能というより、それぞれの路線ごとの性格に左右されることが大きいため

一概に「乗り心地の良い台車」を定義するのは難しいのかなと思います。

 

 

 

連結部分の写真です。

 

連接車両に加え、通電カプラーによって組成しているため

妻面に関してはオミットされています。

 

実車の妻面は、営団6000系の初期車みたいな大きく開口した貫通路になっています。

 

蒸気機関車以外で通電カプラーを用いた車両は当区初ですが、

未使用品とはいえ発売から長期間経っていた事もあり白錆が散見されました。

 

新幹線車両を持っている方と同様に保管には気を遣いそうですね…

 

 

 

流線形で斬新な3000形―実はこの車両、登場時は非冷房でした。

その事もあり、3000形は窓の開閉が可能になっています。

*更新工事(SSE時代)によって固定窓に改造

 

1962年に床置き型の冷房を設置したことによって窓が1か所埋められることになりますが、

当製品は登場時がプロトですから非冷房であることがわかります。

 

 

 

 

パンタグラフです。

相変わらずと言いますか、上写真手前のようにショボい奴です。

 

しかしながら、元からホーンが曲がっている営団3000系と比べ状態は良い方…なのかな?

 

とはいえ、特典のパンフレットをみるとホーンの数が1本だったので

GM製#5805のホーン部分と交換しました。

 

 

パンタグラフは1963年にカーボンから金属集板(ブロイメット)化しており、

その際に下写真奥にいる2400形と同様に2ホーンになっています。

 

もちろん、先述の通り2ホーンになる頃には冷改してますから

どこかの窓を1か所埋める必要があります。

 

 

3000形は車高が低いこともあってパンタ台座が高くなっており、

低い屋根に一段高くパンタが載っているのはどことなく海外の高速鉄道車両を彷彿とさせますね。

 

 

 


ドア回りです。

wikiの写真だと「登場時と異なる」と説明があり、これについては先述の

側面窓を固定窓に改造したことによるものだと思います。

 

ドアは内開きで、上辺が丸くなっているのが独特ですね。

 

 

 

3号車と後述する6号車にある喫茶カウンターです。

紅茶やケーキなどを注文すると、スタッフが座席まで届けてくれます。

 

初代ロマンスカーである1910形から始まったこのシートサービスは「走る喫茶室」と呼ばれ、

小田急ロマンスカーの代名詞ともいえる接客設備です。

 

こちらの喫茶カウンターは後年になってSSE化改造によってスペースが拡大し、

カウンター周囲の側窓が埋められました。

 

 

 

 

3号車であるデハ3016。

こちらが(模型的に)動力ユニットを組み込んでいる車両です。

 

分解してみると、中身は一般的なMA製車両とほぼ同じ構造になっています。

 

やはり未走行とはいえ、長期経過品のため集電板の錆は酷かったので

ピカール液と無水エタノールでゴシゴシ磨きました。

 

先述の6号車と同様に、喫茶カウンターが再現されています。

 

 

 

 

床下機器をざっくりと見ていきましょう。

 

制御装置は東芝製のMPM(MM-50A)型を用いており、写真下のように主抵抗器の裏には

抵抗器冷却用の送風機があります。

 

全電動車の編成とはいえ、制御装置を搭載しているのは7・4・2号車です。

 

 

 

 


最後にライトチェックを。

 

3000形は国内の鉄道車両で初めて前照灯に

シールドビームを用いたことでも知られています。

 

ただ、この時代に鉄道用のシールドビームは無く、自動車用の24V仕様を用いています。

 

従来の白熱電灯と比べると2.5~3倍近くの照射能力があり、

地上者側からの認識距離も400~700mから1000mになりました。

 

模型的にも暗闇の中で走らせると、下写真のように比較的遠くを照らすことができます。

 

 

 

 

ただ、ライトが相変わらず黄色っぽいためLED交換を行いました。

 

とはいえ、いつものように露骨では無いことから

交換したところで劇的に変わるわけではありません。

 

毎度のように黄色く着色してあるプリズムを使用しているため、

今回も白色角型LEDに交換しました。

 

導光プリズムについては、受光部を反対色(補色)の紫を薄く塗り、

発光部をブラウンのマッキーで色合いを調整しました。

 

 

 

ビフォーアフターです。

交換後の車両は写真右側です。

 

3000形自体古い車両なので多少は黄色っぽくてもいいのかなとは思う反面、

やはり国内初のシールドビーム車ですから弄ってみました。

 

今回は受光部から発光部にかけてプリズムが曲がっているため、

両方のライトを均一な色合いにするのは苦戦しました。

 

 

 

こちらは付属のステッカーです。

各種列車名の入ったプレートに加え、速度記録車とのことで「試運転」がたくさん入っています。

 

収録されている列車名は…

 

「はこね」:新宿14:00発 (2019レ) →箱根湯本15:43発 (2020レ)

「あしがら」:新宿9:00発 (2005レ) →箱根湯本10:43発 (2006レ)

「さがみ」:新宿9:30発 (2007レ) →箱根湯本11:13発 (2008レ)

「あしのこ」:新宿8:00発 (2001レ) →箱根湯本9:43発 (2002レ)

「はつはな」:新宿12:00発 (2013レ) →箱根湯本14:13発 (2014レ)

「明神」:新宿14:00発 (2017レ) →箱根湯本15:13発 (2018レ)

「明星」:新宿8:30発 (2003レ) →箱根湯本10:13発 (2004レ)

「金時」:新宿17:00発 (2027レ) →箱根湯本18:43発 (2028レ)

「乙女」:新宿15:00発 (2021レ) →箱根湯本16:43発 (2022レ)

「神山」:新宿16:00発 (2023レ) →箱根湯本17:43発 (2024レ)

 

となっています。

*ピクトリアルNo. 405(82-6) p.20

 

 

 

という事で、以上が小田急3000形第2編成のレビューでした。

 

これで当区の「小田急ロマンスカー」は2形式、あとは2代目の1700形と

初代の1910形でコンプリートとなります。

本当にひねくれてますね

 

私もLSEまでなら何とかわかりますが、それ以降になるとさっぱりわかりません…(汗

 

 

3000形は流線形特急車の先駆けとして知名度が高い反面、実はアイボリーに青帯の入った車両との

相性が悪かったりもします。

 

というのも、3000形のSSE化改造が1967~68年に行われたのに対して

通勤車両の新塗装化は1969年だからです。

 

したがって、SE車と合わせるためには1600形や1900形などのABF車や

それ以前のHB車たちを今後は増備していかなければなりませんね。

 

そのような事情から、当区ではしばらくの間、「試運転」の看板を掲げて

実車のように高速度試験としての運用していこうと考えています。

 

 

それでは今回はこの辺で。

ご観覧ありがとうございました♪