C62ー1 と C62ー26 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

C62ー1 と C62ー26


C62ー3部作・・・・と言う訳ではないですが、京都鉄道博物館のC62最終回です。

C62ー2号機を2回に分けてUPしましたが、今回は他の2機、1号機と26号機のUPです。

ただ、この両機は以前もUPしている静態保存機ですが、前回はC62ー26号機の略歴を紹介したので、今回はC62ー1号機の略歴を紹介します。

1号機なので、C62という機関車の誕生経緯を、簡単に述べる所から始めます。



戦時中、運輸省には戦時物資輸送用の貨物機・D51とD52が大量に在籍していましたが、終戦すると"軍事輸送の廃止"と"工業生産の低下"に伴い、大型貨物機は大量が余剰車となっていました。

反対に外地からの復員・引き揚げ輸送や生活物資の買出し客の影響で、旅客需要が激増して旅客機は極端に不足していました。

幹線用にC57とC59の新製増備が急がれましたが、連合軍の意向によって思い通りに計画は進められず、また極端な資材不足もあって、各メーカーでは製造途中で放棄された機関車であふれていました。

そこで、GHQ側担当将校デ・グロートの助言を元に、余剰となっていたD51・D52のボイラー等を、生産中断となっていたC57・C59と合造し、改造名目で旅客機の新製を行うこととなりました。



1947(昭和22)年5月20日、C57の増備車として、C57 + D51で誕生させるのがC61、C59の増備車として、C59 + D52で誕生させるのがC62という形式と決定されました。

決定から1ヶ月も経たない6月11日に、運輸省にてC62の設計に着手し、6月20日にはC62形蒸気機関車の試作工場として日立製作所笠戸工場を指名しました。

8月1日に製造開始となり、9月2日に木型完成、9月24日には鋳鋼従台車枠が完成しましたが、ゼネストで11月13日まで作業中断となり、主台枠完成は12月5日となりました。

この後、作業は加速的に早くなり、12月15日に気筒完成、12月20日にはボイラー本体完成、12月22日に台枠起し、12月26日の金曜日にボイラーの仮載せが行われて年末年始の連休に入りました。



年明けの1948(昭和23)年1月10日に車入れを行い、ボイラー本載せも同日に作業を行い、1月13日にテンダーが完成。

設計から7ヶ月後の1月15日木曜日、C62ー1号機は構内試運転を完了しました。

その後、各種調整や整備が行われ、1月17日付けで日立製作所笠戸工場・品番№1921として落成し、広島鉄道管理局へ引き渡されました。

1月23日、戦後新形式の1号機として、竣工試運転を関係者列席の中で実施され、同日付けで広島第2機関区(現在マツダスタジアムが建っている辺り)に配属されました。



2月5日から広島近郊エリアにおいて本線試運転が実施され、2月15日より営業列車への使用を開始しました。

1950(昭和30)年8月22日付けで、広島第二区から→宮原区へ転属(着23日)。

1956(昭和36)年8月31日付けて/梅小路区へレンタル移籍となりますが、宮原区への返却は行われず1957(昭和37)年7月9日付けで広島第二区へ帰郷配属となります。

1958(昭和38)年10月24日、広島工場(現・JR貨物広島車両所)にて乙修繕の折り、ボイラーを新缶に交換。



1962(昭和42)年5月7日、組織改編により広島機関区は統合されて広島運転所となり、C62ー1号機も広島運転所所属となります。

6月6日、晴海展示会出品のため新小岩区へ貸し出しされ、6月15日より晴海埠頭の東京国際展示場で開催された『鉄道90周年記念・伸びゆく鉄道科学大博覧会』に7月10日まで展示。

往復とも総武本線経由で東京都港湾局専用線を無火回送され、7月16日に広島運転所へ返却。

9月28日、鉄道90周年記念の仙台展示会出品のため長町区へ貸し出しされ、10月7日より『東北鉄道博覧会』に併せて仙台駅構内にて、旧型客車を従え"特急はつかり"のヘッドマークを掲げて10月16日まで展示された後、10月20日に返却。



ここからはC62ー26号機の写真に変わりますが、このままC62ー1号機の物語を続けます。

ちなみに上の写真、判り辛いですが画面の左側に見える四角い黒い物体は、C62ー1号機のテンダーです。

お互いに見えるので何とかして撮ってみようと頑張ってみたのですけど、これが精一杯でした。

さて1号機ですけれど、1966(昭和41)年10月1日、第一種休車指定となりますが、広島運転所と広島機関区の組織再編成によって分離した後は、広島区の所属となります。



1967(昭和42)年6月1日、第二種休車指定となり、7月14日付けで廃車となりました。

廃車後も稼働可能状態で保管され、年内に小郡区へ移送されましたが、1972(昭和47)年10月14日より『鉄道100周年・世紀の蒸気機関車展』にて、広島駅構内で"特急かもめ"のヘッドマークを掲げて展示。

1度は小郡区へ再送されたようですが、その後再び広島へ戻り、広島工場にて保管され、1976(昭和41)3月31日付けで"準鉄道記念物指定"となります。

4月11日より広島鉄道学園にて静態保存されていましたが、国鉄分割民営化に伴う形で鉄道学園は廃止され、1994(平成6)年2月14日からトレーラー3台に分けて、梅小路機関車館へ陸送。



到着は16日で、その後復元工事を開始し、8月28日に復元工事完了。

梅小路蒸気機関車館での静態保存が開始され、京都鉄道博物館開館後も継続して現在に至っています。

生涯走行距離は208万3,520.2kmで、特別展示の"特急はつかり"は好玩的として、広島と宮原へ在籍したことにより、特急"つばめ""はと""富士""さくら""あさかぜ"など、東海道本線・山陽本線を走った全ての特急列車を牽引しました。

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前回も今回も、C62ー1号機と26号機を抱き合せで記事にしています。

語ることと写真の両が一致してないので、こんな感じの記事になりますが。

来年は2号機の略歴をしなければいけません。

スワローエンゼルは単品でいきますよ。

今日は地球感謝の日ですが、昔は自然と共生し、やがて自然破壊の時代に突入して、今は"地球にやさしい"がスローガンですけど。

自然破壊の文明は、まだまだ終わりそくにないですね。

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