2019年11月17日、つまとふたりあつた魅力発見いちにいってきた。
◇ ◇
ふるい9時25分のしんあんじょういきふつうにのる。車両は2両編成きんぎょばちと2両編成鉄仮面の連結。
みなみあんじょうで4両編成鉄仮面の吉良吉田いき急行といきちがい。
9時32分、しんあんじょうは2番のりばにとうちゃく。下車。
3、4番のりばに移動したとこで、2か所が工事がこいでおおわれとるのをかくにん。ここに橋上駅舎をささえるはしらがたつのかな。3番のりばでまちあいをする犬山いきふつうは、5704編成4両5700系SR車。余命いくばくもないSR車だ。
4番のりばにしんあんじょう9時42分の岐阜いき特急がはいってきて、のる。車両は2200系こおろぎで、特別車2号車4A、4Bにすわっていく。
10時3分、金山にとうちゃく。下車。かいさつをでる。
金山駅みなみぐちから、あつた魅力発見いちの無料巡回シャトルバスがでとって、これにのる。
◁ 住吉橋(すみよしばし)からみなみえ
◁ 瓶屋橋(かめやばし)
◁ 旗屋橋(はたやばし)
堀川の左岸にでて、住吉橋、瓶屋橋(かめやばし)、旗屋橋ってみなみにすすんでいく。熱田神宮公園にしがわにとうちゃく。下車。
熱田神宮公園のなかにある断夫山古墳(だんぷさんこふん)にのぼる。「あったか!あつた魅力発見いち」の開催にあわせて、とくべつに入山が許可されとるだ。きたがわの后円部からみなみがわの前方部まであるいてみるだけど、きがいっぱいはえとって、みはらしはない。むかしは熱田のはまを眼下にみわたせたっていうだけど、まあ、しょうがない。
となりの古墳マルシェでたこやきをかってくう。いや、うまい。
公園きたの青大悲寺におまいり。特別拝観できるもんはなかった。
公園をぬけて堀川にかかる熱田記念橋をわたる。むこうぎしに名古屋国際会議場のしろくうつくしいたてもんがみえて、かわかみに白鳥(しろとり)ふなつきばがみえる。
白鳥ふなつきばから11時30分しゅっぱつのざしきぶね頼朝号にのって、ボランティアガイドのかたの説明をききながら、堀川をくだっていく。
みなもからみる左右のけしきのうつくしいこと。しろいつりばし、熱田記念橋をくぐっていく。
みぎに名古屋学院大学のちゃいろいたてもん。名古屋学院大学の学生らは、このあつた魅力発見いちに協力してくれとる。
みぎに白鳥貯木場太夫堀中水門。白鳥貯木場の太夫堀っていうほりにはいっていく水門だ。
しろいアーチ橋、御陵橋(ごりょうばし)をくぐっていく。
みぎに白鳥庭園。
みぎにまた水門をみて、白鳥橋をくぐっていく。
ひだりに大瀬子公園(おおせここうえん)。このへんは、まあ宮宿の区域になるだけど、むかしはうおいちばだったっていう。
みぎに愛知時計電機の工場。熱田くうしゅうあともある。
あおい大瀬子橋(おおせこばし)をくぐっていく。
河口部までくだったとこでひだりに転回。宮のわたしふなつきばでふねをおりる。
はまどおりに面した丹羽家住宅を見学。むかしはたごだったたてもんで、「あったか!あつた魅力発見いち」の開催にあわせて公開されとる。たてもんのいちばんひだりによせてつくってある玄関からなかにはいって、ほのまま階段をあがって2階から宮のわたしふなつきばをみる。いいながめだ。東海道はこっからにしに海路、七里のわたしをわたっていくだっただ。
宮のわたしから熱田神宮のひがしがわをまわって、ずーっときたにあるいていく。あつた蓬莱軒本店は2時間半まちであきらめ。宮宿は伝馬町にある欧風料理なるかわは団体客でかしきり。神宮こうじにあるちかさんのてりょうりも団体客でかしきり。神宮前のえきからきたにのびる商店街もあいとる食堂がない。
熱田駅前交差点までいったとこで、西北かどにみつけた旬美亭っていう中華料理のみせにはいってひるごはん。五目やきそばを注文。つまは五目ラーメンを注文。けっこううまい。おちついたとこで、かえりの電車にのるべく神宮前のえきにむかう。
◇ ◇
(さんこう)
- 乗車記録 - 2019年11月17日、にちようび
- 丹羽家住宅 - 2019年11月17日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/28
- 頼朝号 - 2019年11月17日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/28
- あきの青大悲寺 - 2019年11月17日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/28
- 断夫山古墳にのぼってみた - 2019年11月17日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/27
- しんあんじょうえき3、4番のりばに工事がこいあらわれる - 2019年11月17日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/27
- しんあんじょうえき西尾線留置線布設がえ工事のすすみぐあい - 2019年11月17日 - おぼえがき(ゆめてつどう)|2019/11/27
- 宮宿をいく - 2019年10月31日 - あきひこゆめてつどう|2019/11/10
- 堀川をあるく - あきひこゆめてつどう|2019/06/20
- 2019年6月11日、堀川(ほりかわ)を、宮宿から名古屋城まであるいてきた。まっすぐきたにすすんで8.2キロの行程になる。
- 断夫山古墳、熱田記念橋、青大悲寺 - 神宮前からぶらぶら - あきひこゆめてつどう|2019/02/17
- 2019年1月16日、神宮前(じんぐうまえ)からぶらぶらあるいて断夫山古墳(だんぷさんこふん)、熱田記念橋(あつたきねんばし)、青大悲寺(せいだいひじ)ってみてきた。神宮前までの乗車のようすとあわせて、以下に紹介する。
- 名古屋市:白鳥御材木場・御船蔵跡(熱田区)|最終更新日:2017年12月8日
- 白鳥御材木場・御船蔵跡について
- 1610年に福島正則によって開削された堀川は、名古屋城築城の資材を搬入する中心的ルートとして利用されました。また、材料置場・船置場として大池が掘られ、これを福島正則の官名である左衛門太夫にちなみ「太夫堀」と呼んだと伝えられており、この大池周辺が白鳥貯木場の始まりです。
- 白鳥貯木場では余剰材が商人に払い下げられ、この地域は木材の一大集散地になるとともに、製材・木製品工業も発展しました。これらの技術の進展や木材供給の容易さなどが、近代に至って自動車などの車両や航空機の製造業発祥の大きな要因となりました。
- しかし、1959年の伊勢湾台風では流木による被害が多く発生し、防災上の見地からも市外に木材港や工業地帯の建設が進められました。そして、1989年に世界デザイン博覧会白鳥会場となった后、現在は、名古屋国際会議場、白鳥公園、白鳥庭園などに利用されております。
- なお、白鳥公園内には太夫堀の名を残す堀が設けられておるほか、「白鳥御材木場・御船蔵跡」を示す看板が設置されております。
- 名古屋木材産業発祥の地と中水門について
- 藩政時代、尾張藩領地の木曽や飛騨の山々で伐採された木材は木曽川を流送され、白鳥貯木場まで26里(およそ102キロメートル)300日を要したといわれております。
- 貯木場や堀川周辺には千軒近い木材事業者が軒を連ね、神具・仏壇・建具などの地場産業へと受け継がれる高度な木材加工技術が発展したことから、この地は「名古屋木材産業発祥の地」とも言われております。
- 堀川と貯木場をつなぐ水門は北・中・南の3か所あり、唯一残る中水門には、橋桁の下の庇や門扉の一部が見られ当時の面影をしのぶことができます。その水門を通じた木材の出し入れは、潮の干満の水位差を活かして、水門を開けた時の水の流れを利用しておったそうです。
- この中水門(太夫堀東側)をより多くの方に知っていただくため、大正・昭和時代の写真を掲載した歴史案内板が現地の白鳥公園内に設置されております。
- タモリさんが訪れました
- 白鳥御材木場・御船蔵跡について