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急行越後◆データファイル

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急行越後号の簡単な解説

◆ 急行越後号は大阪~新潟を結んでいた気動車急行。1968年10月~1978年10月の10年間にわたって日中の架線下気動車急行として走っていた。列車の設定は、大阪~青森間に寝台特急を新設するに際して特急日本海と命名され、既存の急行日本海を急行きたぐにとし、既存の急行きたぐにを急行越後とする、いわば玉突き式改称で誕生した。運転は能登方面に向かう急行ゆのくに号と大阪~金沢間併結していた。やがて特急雷鳥が増発されていく中で特急格上げおよび電車化という流れに飲み込まれて廃止となった。

しかし、上記の列車は2代目急行越後であり、その前に初代急行越後が存在した(1963年6月1日~)。165系電車であり運転区間も全く異なる、上野~新潟の電車夜行急行だった。下り・上りとも、急行越後が出発して後を追うように、全く同じ区間を走る客車急行天の川が出発した。普通に考えればどんどん差が開いて終点につきそうなものだがほとんど変わらないどころか、上りは差を詰められる結果になっていた。というのも、急行越後はスピードは速くても途中の停車駅で10分や15分の長めの停車駅がいくつもあったからだ。のんびり走る列車の旅情か、停車駅でホームに降りて感じる旅情か、どちらでも選べるなんともうらやましい時代の象徴的存在だったようだ。

メジャーな愛称に思えるが、1965年10月1日改正では愛称を変更されて急行越路となり、一旦消滅。そして2代目も10年ということで、活躍期間は長くはなかった。しかし、上越新幹線の愛称公募で5位に入ったり、後にはムーンライトえちごといった形で復活のような状態になったり、それなりに愛された名称だったのかもしれない。

急行越後号のデータファイル

【登場時:1963年6月1日】運転区間: 上野~新潟 (1往復)
・   使用車両:165系( 両)
【1965年10月1日改正】急行越路に愛称を変更。いったん廃止。

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【2代目登場:1968年10月1日】運転区間:大阪~新潟 (1往復)
・   使用車両:キハ58系(8両または9両)
【1978年10月2日改正】特急雷鳥へと格上げ。本来なら特急北越への格上げとなるところだったが、北越と雷鳥の運転区間再編がこの時に行われたため。

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