民鉄の覇者 東京急行電鉄 18、東横百貨店成功 | 犬と楽器と鉄道模型

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さて、順風満帆かと思われた東横百貨店ではあったが、計画段階で重大な問題が持ち上がっていた。
それは、渋谷川で、東横百貨店計画地を流れていたからである。
 
川は公共物であり、建てて良いのは精々、橋くらいである。
勝手に埋めたり、水路を変更する訳にも行かなかった。
 
第一、水路変更工事、許可申請共々、時間がかかり、費用も莫大になるのである。
それではと、大人しく川を挟んで分けて建設していたのでは効率も悪く、売り場面積も確保出来ない。
 
五島からしたら、たかだか川ごときの為に、東横百貨店建設に支障をきたす事は、あってはならない事だった。
 
どういう経緯があったのかは現在でも文献が存在しない為、解らない。
邪推になるが、多分、五島の強引さと政治力をフルに活用し、官僚に許可を認めさせたのだろう。
 
そこで、川を塞ぎ、跨ぐ形で東横百貨店は建設されたのである。
東横百貨店は日本で、いやいや、世界で唯一、川を跨いで立つ建造物となったのであった。
 
1934年(昭和9年)11月1日、いよいよ待ちに待った東横百貨店がオープンした。
必勝態勢で臨んだ東横百貨店ではあったが、実際蓋を開けて営業を始めると五島が期待していた以上に盛況であった。
 
東京の中心部に行かなくても買い物が出来る事もメリットが大きかったのである。
阪急仕込みの小林商法を身に着けた社員達の大衆サービスも重ね好評だった。
 
東横百貨店は、開店初日から当時の金額で13万余円と鉄道収支に匹敵する売り上げを記録する等、非常に好調なスタートを切った。
(因みに、西館、南館、本店、東横のれん街、109と拡張を重ねていくが、それは後の事)
 
渋谷への集客だけではなかった。
東横線沿線からも買い物客が電車に乗り、乗降客も増えたのである。
便利と言う事が解ると、東横線沿線に引っ越しして来る人達も多く出てくる等、一石何丁もの効果が出た。
 
周囲の反対を、五島が強引に退けて開店にこぎつけた東横百貨店は、不振に悩む鉄道部門をしっかりと支え、カバーしたのであった。
 

【東横百貨店。 Wikipediaより】

学校誘致、東横百貨店が成功すると、今迄、涙ぐましい努力を続けてきた事業にも相乗効果が表れてきた。
一つ良くなると連鎖的に全てが良くなって来るものである。
 
東横沿線には会社の進出も著しく、綱島も少数の旅館があるだけであったが、旅館街に変身し、他の沿線も民家が日に日に増えて、建てられていったのであった。
 

(次回は五島ならぬ強盗慶太① (池上電鉄乗っ取り)です)
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この記事は2014-04-15
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