旅メモ ~旅について思うがままに考える~

元鉄道マンの視点から、旅と交通について思うがままに考えたことを紹介します。

もう一つの鉄道員 ~影で「安全輸送」を支えた地上勤務の鉄道員~ 第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・派出勤務と一本立ち【1】

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第二章 見えざる「安全輸送を支える」仕事・派出勤務と一本立ち【1】

 電気区に配属されてから1年ぐらいが経った夏のある日、私は区長に呼び出された。普段なら詰所の中で話を済ませるのだが、この時ばかりは会議室に来るように言われたので、いったい何事かと思いながらそこへと行った。

 会議室へ行くと、区長から翌月から派出へ異動するように命じられた。

 派出とは、電気区が管轄する駅や区所で、本区から出向くには遠方のために、必要な要員を配置している現業機関だ。そして、私が所属していた横浜羽沢電気区は、本区を横浜羽沢駅に置き、西湘貨物駅に相模派出を、梶ヶ谷貨物ターミナル駅に梶ヶ谷派出を、新座貨物ターミナル駅に新座派出を置いていた。

 こう書くと「ああ、そうなんだ」としか思えないかも知れないが、実はこのような派出の配置の仕方は、国鉄時代には見られないものだった。

 本区と相模派出は主に東海道本線とそこに連絡する路線が管轄で、国鉄時代は東京南鉄道管理局[i]の管内だった。ところが、梶ヶ谷派出は武蔵野南線中央本線を(梶ヶ谷派出は遠く竜王駅や石和駅も管理していた)、新座派出は武蔵野線八高線、そして青梅線が管轄で、これらは東京西鉄道管理局[ii]の管内だった。

 言い換えれば、複数の鉄道管理局に跨がる現場の区所など、国鉄時代には絶対にあり得ないもので、これもまた分割民営化によってできた産物だ。

 私が異動を命じられたのは梶ヶ谷派出だった。実家が川崎市内で、当時はそこから通勤していたから、通勤する距離は短くなった。加えて、梶ヶ谷派出はその名の通り、武蔵野線梶ヶ谷貨物ターミナル駅の構内に置かれている。そう、私が幼少の頃、開業間もない駅に幼稚園の先生に連れられて見学に行き、そして夕方のコンテナホームへと忍び込んだあの駅だ。

 縁というのはそういうものなのか、それとも見えない何かによって繋がれてるのかは知らないが、ともかく懐かしい場所であり、私が幼心に鉄道を目指すきっかけになった場所でもあった。

 その意味では非常に懐かしく、そして通勤も楽になったかも知れないが、実際はとんでもない人事異動だと思い知らされた。

 何度も言うようだが、国鉄時代にはこのような異動はあり得なかった。

 この種の異動を「局間異動」と呼ばれ、現場の職員はよほどのことがない限り、こうしたことは考えられなかったそうだ。
 というのも、現場職員の採用は各鉄道管理局の裁量で、募集から登用まで、すべて鉄道管理局が権限をもっていた。もちろん、本社も採用はしていたが、こちらは幹部候補となる職員なので、現場とはあまり縁がない。

 これを貨物会社にあてはめると、現場要員は支社が、幹部候補たる総合職は本社が採用していたのだ。だから、現場要員として支社採用された私が、他の支社へ異動することなどまずあり得ない。(と、いいながら、入社直後に研修とはいえ九州支社へ異動したのも異例ではあったが)だから同じ電気区で、派出に配置換えといっても、国鉄時代から勤務する先輩方からすれば、東京南局から東京西局に移るような私の異動は、とんでもない大事にみえたそうだ。

 だから、異動が決まったとき、先輩たちはそれぞれに心配してくださった。

 もっとも、そんな大事とは微塵も思っていなかった私は、たかが派出に行くだけだと考えていたから、何とも大袈裟なことだなぁとノンビリと構えていた。

 ところが、実際に異動が発令され、梶ヶ谷派出に着任すると、先輩方の心配が日に日に露わになっていった。

 まず、職場の雰囲気がまったく違うのだ。

 同じ会社の、同じ電気区の部署なのに、横浜と梶が谷では大きく違っていた。何をと聞かれると、言葉に表すのは難しいのだが、職場そのものがもっている何かが違っていた。まあ、その年の3月末で、それまで派出の実務を取り仕切っていた主任が定年で退職し、代わって4人いる4級職である技術係のうち、筆頭格の先輩がその役を担っていた。筆頭といっても、他の技術係の先輩とはあまり変わりはない。それどころか、国鉄時代の経歴はあとの3人の方がそうそうたるもので、現場から管理局勤務を経験した凄腕揃いだった。

 そのような微妙な人間関係もあってか、派出の雰囲気には慣れるまで時間がかかった。

 

[i] 国鉄時代の鉄道管理局の1つで、主に東海道本線(東京-熱海間)とその周辺線区を管轄していた。著名な区所には東京機関区や品川客車区、品川車掌区などがあり、東京始発の寝台特急のほとんどを受け持っていた。民営化後はJR東日本・東京地域本社を経て、東京支社の一部と横浜支社がこれにあたる。JR貨物は関東支社として一括りなので、新鶴見機関区や東京貨物ターミナル駅など継承した。

[ii] 国鉄時代の鉄道管理局の1つで、主に中央本線(新宿-甲府間)とその周辺線区を管轄していた。著名な区所には八王子機関区や豊田電車区など。民営化後はJR東日本・東京地域本社を経て、東京支社の一部と八王子支社がこれにあたる。JR貨物は八王子機関区と八王子駅などの貨物取扱を継承した。