前回、クリスタルエクスプレスのお別れ乗車のブログをお送りしましたが、今回はその1年先輩だったリゾートトレイン・ニセコエクスプレスのオハナシです。

 

 

 

タイトルでピンときた方もいらっしゃるでしょうが、本日11月4日はそのニセコエクスプレス(以下、ニセコEXP)がラストランを行い、引退となった日であり、今から2年前、2017年の出来事でした。

ニセコEXPが誕生したのが1988年、まだ昭和(63年)の時代でしたが、時代は既にバブル真っ只中で『シーマ現象』が流行語となる程高級車がバカ売れしていた超好景気という背景の中、それまでの既存(老朽)車両の改造から一転、当時増備が進められていたキハ183系のメカニズムを応用し、苗穂工場にて完全新製されたのでした。

前年の映画『私をスキーに連れてって』が象徴するように、時代はスキーブームだったという事もあり、トマム・サホロ、富良野に続いてスキーのメッカであるニセコエリアへのアクセス列車として満を持して登場したのがニセコエクスプレスでした。富良野プリンスホテルとのタイアップで登場したフラノエクスプレスの成功を受けて、今度はニセコ東山プリンスホテル(現・ニセコビレッジ)とのタイアップが付きました。

 

私が初めてニセコEXPに乗車したのが1991年の正月の事でして、当時はJR北海道のリゾート列車5編成を総動員して札幌と岩見沢、小樽、苫小牧、千歳、そして石狩当別へと5方面に大晦日~元旦の深夜に『初詣列車』(確か、ニセコ車両は石狩当別への運用)なるものを走らせており、各リゾート編成にはしめ飾りを装着して運転されていました。

元旦以降も数日間はしめ飾りを着けたままリゾート運用に入っており、私が札幌から乗車したニセコEXPもそうでしたが、リゾート編成の精悍なマスクに、いかにも日本的なしめ飾りとは何とも滑稽でしたね。

(1991年1月7日、札幌駅6番線。ニセコエクスプレス4号 千歳空港12:37→札幌13:20→ニセコ15:07)

 

 

 

2度目の乗車は翌1992年の3月、千歳空港(現・南千歳)→ニセコの全区間で乗車。

3月下旬ではありましたが、北海道ではまだまだスキーシーズンで、スキーへ向かう人達で車内は満席近い大盛況でした。

(1992年3月27日、札幌駅6番線。ニセコエクスプレス4号 千歳空港12:37→ニセコ15:07 前年とほぼ同じダイヤ)

 

(小樽~余市間の車内。)

 

(終着ニセコ駅到着後)

 

 

 

その後は結局乗る機会に恵まれないまま時が流れ、製造から29年を経た2017年についに引退の知らせが…。

定期特急用の183系よりは遥かに走行距離が少ないにも関わらずリゾート編成故に『一点モノ』の部品が多く、経年による老朽化で修理が困難になったというのが寿命を早めたともいえましょう。

ニセコ編成は本来の『ニセコエクスプレス』の他に、山線経由で札幌~函館を結んだ特急『ニセコ』、宗谷本線に定期特急が誕生する以前に旭川~稚内で運転された『リゾートわっかない』の他、5月のG・W期間に日高本線の普通列車として運転された『優駿浪漫』としても運用されており、特に『優駿浪漫』は一度も乗る事なく日高本線自体が災害で不通になってしまい、そのまま廃線の危機に瀕しており、一度でも乗っておけば良かった…と後悔する事しきりなのです。

 

そのニセコEXPのラストランとして、2017年の10月29日、11月3・4日の3日間に札幌~倶知安~ニセコ~蘭越で運転され、その初日だった10月29日に私は25年振りのニセコEXP乗車をしてきました。

下り蘭越行きは札幌7:57発で、札幌~小樽に関しては毎年秋口に運転される臨時特急『ニセコ』と同様のダイヤでした。

今回のラストラン運用にあたり、『Niseko』のヘッドサインが復活しましたが、側面の『Niseko Express』のロゴと先頭の連結器カバーは復元されませんでした。

 

 

札幌から乗車したのは先頭3号車、キハ183-5001です。

ニセコ車両は国鉄書体の切り抜き文字が踏襲されており、一般のキハ183系でも切り抜き文字を堅持した車両がほとんどなくなっただけに貴重な存在でした。

 

 

このニセコ編成、通産省(現・経産省)のグッドデザイン商品に選定されており、JR北海道の車両では初の快挙だったかと。

 

 

私の席は最前列から4列目。

ニセコ車両の先頭車はN・NN183系の先頭車と同様、前面展望が楽しめるのは右側席のみです。

 

 

 

ラストラン3日間の乗客には、乗車証明書とニセコ車両が描かれたしおり、そしてニセコエクスプレスの歴史をまとめた小冊子が配られました。

尚、ラストラン運転は札幌~倶知安が全車指定席の特急として運転されたため、乗るためには指定席特急券が必須で、私は2か所で乗車日1ケ月前の10時打ちにチャレンジし、見事往復でゲットする事ができました。乗車日を10月29日にしたのは比較的取りやすい事を想定しての判断です。

倶知安~ニセコ~蘭越は誰でも乗れる全車自由席の快速として運転され、指定券が取れなかった者でも乗れるように配慮されていました。

 

 

途中の余市駅ではご当地ゆるキャラの『ソーラン武士』がお出迎え。このおもてなし演出は臨時特急『ニセコ』でもお馴染みです。

 

 

特急区間が終わる倶知安駅は10:25に到着。改札口近くには記念撮影用のパネルが設置されていました。

私は14分停車の間に、ニセコEXP引退記念乗車券を購入(この後の画像参照)。

 

 

11:00到着のニセコ駅ではラストラン記念の横断幕が飾られていました。

 

 

ニセコ駅で24分停車する間に、当駅で発売の記念乗車券を購入。

なんと…倶知安とニセコ、両駅で購入した2枚とも1番違いでゾロ目券番を逃してしまいました…。

 

 

終着・蘭越駅には11:44に到着。

40分後に料金不要の快速として倶知安へ折返します。

 

 

リゾート列車として道内各地を駆け抜けた華々しい栄光も今は昔…。

寄る年波には勝てず、塗装は剥がれてむき出しになった地肌からは錆が発生し、哀れな姿を晒しておりました…。

 

 

『Niseko』のヘッドサインはシールで復刻されましたが、出入口横のエゾリスをモチーフにしたエンブレム(冒頭の画像。苗穂の北海道鉄道技術館に所蔵)は結局装着される事はありませんでした。

 

 

 

座席背面には当初液晶テレビが装着されていましたが、座席モケット張り替え時に撤去され背面はフラットに。

 

 

その液晶テレビがコチラ(ピンボケ画像でスミマセン)

ビデオ映像が数チャンネルの他、オーディオチャンネル、そして前面展望チャンネルも選択できました。

画像は1992年乗車時に千歳線内で撮影したと思われ、ちょうどすれ違う721系が映っていました。

 

 

オーディオ装置は残されていましたが、結局末期は使われていなかったようです。

 

 

蘭越からの折返しは昆布まで乗車。

全車自由席なので、今度は1号車のキハ183-5002に席を確保しました。

 

 

12:24に蘭越駅を発車した下り快速は、約10分で隣の昆布駅に到着。

 

 

昆布で下車したのは、駅に隣接するニセコエリア情報センターで発売されていた『わがまちご当地入場券』を購入するためでした。

 

 

蘭越町の『ご当地入場券』は蘭越駅ではなく、昆布駅。

名寄本線の上湧別駅の硬券入場券が写っていますが、コレは土産物(いくらだったか失念…)を購入した客が古い硬券を「お好きな1枚」貰えるというモノ。

 

 

昆布駅の裏の温泉施設で昼食を摂った後、倶知安からニセコ車両で戻ってくる14:53発の上り快速で再び蘭越へ向かい、そのまま折返し15:10発の札幌行きニセコエクスプレスに乗車します。

昆布~蘭越~札幌は2号車のキハ182-5001に席を確保。

 

 

蘭越からは倶知安→札幌で確保してある指定席に座りました。

 

 

帰路ももちろん乗車証明書を貰う事ができたのですが、上り下りとも内容は同じ。この画像では裏面を紹介しています。

今回使用した乗車券は最寄り駅からの往復で、トクトクきっぷがないため普通乗車券での移動となりました。

 

 

途中、運転停車した銭函駅では特急が快速(エアポート184号)に抜かれるという珍事が。

小樽~手稲の間で唯一待避線があるのが銭函で、臨時列車が入るとやむなくこのような追い抜きが設定されるようです。

 

 

 

終着札幌には18:42に到着。

この乗車を以て、私はニセコ車両に別れを告げ、11月4日のラストランの見送りや出迎えをする事はしませんでした。

 

 

その後ニセコ編成は廃車となり、2両は生まれ故郷の苗穂にて解体されてしまうのですが、クラウドファンディングで保存費用調達の目途が付いたキハ183-5001だけはそれを免れ、ゆかりの地であるニセコ町で保存される事となりましたが、車両そのものは現時点ではまだ搬出されておらず苗穂に留置されたままとなっています。鉄道ファンとしては貴重な車両が姿を留めるというのは嬉しい事でありますが、屋外展示という事で外観の劣化は避けられそうもなく、今後の維持管理がどうなるか気になる処です。

リゾート編成の元祖であるアルコンことアルファコンチネンタルエクスプレスは先頭車1両が千歳市駒里の牧場で保存され、もう1両の前頭部は苗穂の北海道鉄道技術館にありますが、その次に製作されたフラノエクスプレスは結局全車解体されてしまい、国鉄で製作された最後の車両にしてJR初のブルーリボン賞受賞という名誉ある車両も今はその姿を留めておりません。

自然環境が厳しい北海道こそ大宮や京都のような鉄博みたいな屋内型の鉄道車両展示施設が望まれるのですが、経済水準が低くてクルマ依存が高く鉄道に対する思い入れが薄い土地柄ではそれを望むべくもありません。小樽や三笠に集められた車両も屋外展示なので、いつかは解体の危機に瀕する車両も出てくるでしょう。しかし、ファンや交通事業者、そして経済界までも巻き込んで屋内展示施設を建設できるだけの機運が巻き起こらないものか…。

 

ニセコEXP、そしてクリスタルEXPも引退し、残るリゾート編成はノースレインボーのみとなってしまいましたが、コチラは夏期のフラノラベンダーEXPの他に宗谷・サロベツの代走運用に時々入っており、この11月1日~4日にも連続で運用をこなしたとの事。残念ながらその11月の3連休の代走運用には乗る事ができませんでしたが、10月に私は道外遠征しに2回も行っているので乗り鉄は控えめにしておかなきゃ…なので。

その道外遠征の事は、次回以降のブログで紹介します。