3歳のときの話だ。
当然、自分には覚えがない。
ある日、家族で都内へ出かける日があったそうだ。
信濃町にある大きな病院で、病弱だった1歳の弟を診てもらうためである。
病院へは母と弟の二人で向かうことになり、父と自分は上野動物園で家族の帰りを待つことにしたらしい。
規模の大きい大学附属病院ともなると、診察は数分であっても待ち時間がとても長く、我孫子からの往復ともなると丸一日を要する。
3歳の自分が病院に連れて行かれたところで静かに待っていられるわけもなく、両親は、せっかくなので動物園で楽しい時間を過ごさせてやろうとでも考えてくれたのだろう。
弟の診察が済んで、母と弟が上野動物園に来た。
子守りをしていた父に、母が「どうだった?」と聞くのは当然のことだ。
「どんな動物が気に入っていた?」とでもたずねたのかどうかは知る由もないが、父が母に告げた答えは衝撃的なものだったらしい。
父は答えた。
「こいつさ、動物全然見ないで、モノレールに乗りたいって言ってさ・・・一度乗せたんだけど、そのあとも『もう一回乗りたい!もう一回乗りたい!!』と・・・」
三つ子の魂百まで、とはよく言ったものだ。
あいにく3歳の頃の記憶はないが、自分にとって上野動物園のモノレールは相当魅力的なものに思えたらしい。
上野動物園内を走るモノレール、「上野懸垂線」。
運用入りしている40形が、老朽化に伴い引退することとなった。
そして、後継車両の話がないまま、11月から路線そのものが休止することとなった。
実に36年振りになるということか。
上野懸垂線の生きている姿を一度見ておきたくて、仕事の合間に上野動物園の門をくぐった。
日比谷線上野駅を降りてから上野動物園に向かうべく、地図を頼りに歩き始める。
地図内にはモノレールの軌道が描かれているが、今後の扱いが気になるところだ。
上野動物園の入園料は大人600円。
園内を進むと「モノレール」と書き記された案内板が目に入る。
11月になったら、やはり文字は一度塞がれてしまうのだろう。
逸る気持ちを抑えて、脇目も振らず東園駅を目指す。
いや、動物園なんだからちょっとは動物見ろよ、と言われてしまいそうだが。
東園駅は、既に長蛇の列。
とはいえ、乗車するには30分くらい待てば乗れるとのこと。
親子連れが多い中、一眼レフカメラを首から提げて一人、列に飛び込む。
今日で40形の運用が終わるというのにどことなく雰囲気は明るい。
動物園が本来有しているであろう雰囲気は何ら変わっていない、上野動物園の日常がそこにあったように思える。
駅舎に飾られている「シャンシャン(香香)ちゃん、元気に育ってね」という横断幕が、休業に入る上野懸垂線からのメッセージのように思え、自分の琴線に触れたのだろうか、気のせいだとは思いたかったが目頭が熱くなった。
上野懸垂線の営業再開の見込みはなく、ひょっとするとこのままモノレールが走らなくなってしまう可能性が、残念ながらひじょうに高い。
誰もが気付いていることなのだが、誰もそのことを口にしない。
スタッフも、乗客も、笑顔で溢れている。
廃線の危機にある中で振る舞う明るさに、いじらしさというか、強がりというか、そんな様子を目の当たりにして、何とも言えない感情がこみ上げてきた。
乗車の前からこの気持ちだ。
涙もろい自分が泣かなくて済んだのが奇跡である。
幸いにも列が前に進むにつれ、いよいよモノレールに乗れる、という思いが強くなった。
たかだか300mちょっとの路線を行ったり来たりしているだけの40形なのに、入線がとても待ち遠しく感じた。
自ずと手元のカメラを構える。
やがて、モノレールに乗れる順番が回ってきた。
全員着席させて出発させるので、狭い車内といえども伸び伸びと乗車を楽しめた。
東園駅を出て大きなカーブを抜けると、左には不忍池を見下ろす見事な車窓が待っていた。
こんな素敵な車窓があるとは・・・と思ったのも束の間、モノレールは西園駅にあっという間にすべり込んだ。
1分足らずのショートトリップ、童心に返る素敵なものだった。
西園から東園に戻る前に、今度は40形を写真に収めるべく園内を歩く。
モノレールの真下には既に、高級な撮影機材を首から提げたおひとりさまの男性が多数(笑)いる。
普段撮らない被写体をきれいに収めるのは難しい。
車体はきれいに撮れても懸垂部が切れてしまったり、編成を引き寄せすぎると車体の下部ばかりが写っている写真になってしまったり・・・。
しかも、不覚にもカメラのバッテリー切れとの戦いともなってしまい、もっと煮詰めて記録してあげたかったという思いも残る。
とはいえ、自分なりに納得できる写真も何枚か残せたので良しとしよう。
さすがにそろそろ会社に戻らないとやべえ、というのもあり(苦笑)、最後に西園から東園までモノレールに乗車することに。
昼下がり、40形の運行終了が近付くにつれて駅前の列も長くなっていた。
今度は運転席のすぐ後ろの席に座れたので、運転の様子も一枚撮影。
40形にはしっかりお別れを告げることができたかな。お疲れ様でした。
東京都交通局上野懸垂線。
新型車両の導入の目処が経っていない一方で、再開の道も模索されていると報じられている。
40形とはお別れだが、上野懸垂線の運行再開を願ってやまない。
もう一度、童心に返るために上野動物園へ足を運ぶきっかけとなってくれないものだろうか。
(191031訪問)