この度の台風により、被害を受けられた皆さまには心よりお見舞い申し上げます。

 

その台風19号で被害を受けたのは、私が乗り鉄で訪れた事のある地域も含まれており、鉄道各線も甚大な被害を受けて復旧には多大の時間と費用を要する事もあり、鉄道ファンの私としては大変心を痛めている処であります。

 

不通区間の一日でも早い復旧と、被災者の生活の安定を心よりお祈りしております。

 

 

さて…前回のブログからかなり時間が経過してしまいましたが、本題に入ります。

9月29日のラストランを以て引退となったJR北海道のリゾートトレイン・クリスタルエクスプレスの乗り鉄旅を紹介しますが、今回は私にとって最後の乗車となった9月21日のオハナシです。

(画像は前回の使い回し…)

 

 

この日はクリスタル車両のフラノラベンダーエクスプレス(以下、フララベン)3・4号を往復乗車するため、学園都市線の1536Mで札幌駅に出て、みどりの窓口で『ふらの・びえいフリーきっぷ』を購入し、えきねっと予約しておいた札幌発3号の指定席利用の旨を伝えて指定料金券を発券してもらいます。最寄り駅での購入も可能なのですが、『おトクなきっぷ』との組み合わせでのえきねっと予約済み指定席の発券処理に慣れていない事もあり、札幌駅での受け取りにしました。本当は指定席券売機で簡単に受け取れてえきねっとポイントが貯まるようになれば有難いのですが…(※おトクなきっぷとの組み合わせだとえきねっとポイント付与の対象外)。

 

 

 

今回乗車するのは最後尾の4号車・キハ183-5101。

 

 

 

その最後尾となる4番A席の指定席がえきねっとで取れました。

ご存知の通り、クリスタルエクスプレスの先頭車両の展望席は撤去されてしまったため、展望席寄りの一般客室4番席(※1号車CD、4号車AB)が実質的なカブリツキ席となり、前面窓からは遠いですが前後方の景色を見通す事はできます。但し、今回は最後尾なので座席を回転させなければそれは不可能になってしまいますが(動画を撮るという前提だったのでどちらでも良かった)幸いにも(?)隣の席の方がテツだったため後ろ向きで座るという事で意見が一致しました。

 

 

 

C・D席側からは排気管のある関係で前後面展望は不可能ですが、展望席側との間に牧場風景の意匠が施された分厚い仕切りガラスが入っています。

JR北海道は廃車発生品などの鉄道部品を北海道キヨスクのインターネット通販で一般販売するようになりましたが、廃車解体となってしまう際はこのガラスも処分せずに売りに出して欲しいですね!(私はこのガラスの他に、座り心地の良い座席が欲しい…)

 

 

 

9:07、フララベン3号は札幌駅を後にします。

 

 

 

美唄駅を通過後、3014Mライラック14号とすれ違います。

 

 

 

列車は石狩平野を快走。画像に見える水田では既に稲刈りが終わっていました。

 

 

 

茶志内を通過した後、車内放送にて日本一の直線道路・国道12号線についての車窓ガイドに続き、クリスタルエクスプレスの引退を伝える旨が流れました。以下はその全文。

 

本日、ご利用頂いています、30年間走り続けた『クリスタルエクスプレス』ですが、令和元年9月29日をもちまして惜しまれながらも引退することになりました。

 

デビュー当時から何度も乗車されているお客様。本日初めて乗車されるお客様。また、沿線から見届けて頂いたお客様など、様々な思い出が詰まっているかと思いますが、引退までのカウントダウンが始まった今、この瞬間の車窓、乗り心地、音などの思い出を余す事なく一つの思い出として大切に胸にしまって頂きたいと思います。

 

それでは、クリスタルエクスプレスのひととき、引き続きごゆっくりお楽しみください。

 

 

 

引退するのは承知ではありますが、改めて車掌さんからこのような形で伝えられると胸にグッとくるものがありますね。

その中で「デビュー当時から何度も乗車されているお客様…」とありましたが、私もその一人であり、数えてみたら、この日の往復を含めて8回程ありました。JR北海道のリゾート列車は6編成全て乗車経験がありますが、最も多く乗車しているのがこのクリスタルエクスプレスでして、初めて乗車したのはデビューから2年余りを経た1992年の春で、当初結んでいたトマム→札幌の間でした。同じ年のG・Wには特急北斗の補完列車として運転されていた『はこだてエクスプレス』充当時に長万部→函館で乗車した事もありました。

その後の乗車は全て札幌~富良野で、一度だけ乗った『フラノスキーエクスプレス』の他は、今回乗車した『フラノラベンダーエクスプレス』となっています。

 

(画像は2枚とも初乗車時のもの。キハ183-5102(車内の画像も同車)が先頭の『クリスタルエクスプレス トマム&サホロ2号』。トマム10:11発→札幌12:06というダイヤで、2往復のうち1・2号がトマム発着で、3・4号が新得発着という運転形態だった。編成の向きは現在とは異なっている。1992年3月30日、トマム駅にて撮影)

 

 

思えば、フラノラベンダーエクスプレスも運転開始から今年でちょうど20周年という節目を迎え、クリスタルエクスプレス30年の歴史の大半を富良野観光への足を担ってきたワケで、結局ラストランも札幌~富良野の間でクリスタルエクスプレスの列車名で走る事となったのですが、「もしも」根室本線の狩勝越えルート(東鹿越~上落合信号場)が台風災害で不通になっていなければ、富良野より先、新得まで直通して石勝線経由で戻るという一周ルートでのラストランが実現していたのかもしれませんね…。

 

 

列車は砂川を通過し、空知川を渡ると根室本線の分岐駅・滝川はもうすぐ。

 

 

 

10:07到着の滝川駅では根室本線上り快速3426Dの到着待ち合わせのため5分停車。

その停車時間内を利用して反対側ホームへ廻り、大急ぎで撮影を敢行しました。

順光ではありますが、跨線橋の影が残念です。

 

 

今回乗車した4号車のキハ183-5101。

かつてCRYSTAL EXPRESSのロゴの下には通産省(現経産省)のグッドデザイン賞を受賞した商品に付けられる『Gマーク』のロゴがあったのですが、現在は外されています。また、両先頭車とも結局ラストランまで連結器カバーが復元される事はありませんでした。

 

 

 

気動車連結としては初のダブルデッカー車両となった3号車・キサロハ182-5101。

 

 

そのキサロハ182-5101の台車は、サハネ581-15から流用したといわれるDT32系台車の付随車用『TR69D台車』。

何故かJR化直前になってサシ481形と共に北海道に上陸したものの、結局何にも活用される事なく廃車となってしまったサハネ581形ですが、この台車だけは583系なき後も現役であり続けました。

 

 

中間車のドームカー・キハ182-5101。

 

 

先頭1号車のキハ183-5102側から編成を撮影。

 

 

再び車内に戻り、後部展望を楽しみます。

10:12に滝川を発車後、函館本線と別れ、単線の根室本線に入ります。

 

 

夕張山地の山並みを背に走ります。

 

 

芦別で交換した9628Dは、前週に私が富良野→東鹿越で乗車したキハ40 730でした。

 

 

芦別を出ると、次は終着駅・富良野。

 

 

滝里と島ノ下、2つの長いトンネルをくぐります。

2つのトンネルの間はシェルターでつながっています。

 

 

 

11:07、終着・富良野駅に到着。

 

 

富良野駅の改札口の手前には、記念撮影コーナーとしてクリスタルエクスプレスの特大サイズのポスターが設置されていました。

 

 

 

富良野に到着したクリスタル編成は、16:51発のフラノラベンダーエクスプレス4号で折り返すまでしばしの休憩。

一旦ホームから引き上げた後、北側の側線に留置されます。

 

 

 

そのフラノラベンダーエクスプレス4号に乗車するまでの間、フリーエリアである富良野線を1往復する事にしました。

キハ150が主役の同線には珍しく、先頭にキハ54が付いた730Dで旭川へ向かいます。もちろん私はキハ54のほうに乗車。

 

 

今回充当されていたキハ54 527は、かつて急行『礼文』に使われていた車両。

製造当初からオール転換クロスの車内でしたが、留萌本線秩父別駅の『積み残し騒動』を機に車端部はロングシートに改造されています。

 

 

この日は晴天に恵まれたため、十勝岳連峰を望む事ができました。

 

 

今回はクリスタルエクスプレスメインの記事なので中略…。

旭川の市街地に入り、頂上付近が早くも雪化粧した大雪の山並みを見ながら旭川駅に進入します。

 

 

13:01、旭川駅に到着。

 

 

まだ昼食を摂っていなかった私は改札を抜けた後、駅弁屋兼立ち食いそば屋に立ち寄ります。

 

 

そこで食べたのは駅そばならぬ『駅カレー』。

中身は至って普通のカレーなのですが、素朴で家庭的な味なのでつい食べちゃうんですね…。

ちなみにこのルーをそばに入れたカレーそばもメニューにラインナップされています。

 

 

次回は、旭川から富良野に戻り、正真正銘私にとってクリスタルエクスプレス車両の最終乗車となった帰路を紹介します。

 

つづく。