民鉄の覇者 東京急行電鉄 15、東横百貨店計画 | 犬と楽器と鉄道模型

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次に五島が考えたのは渋谷に東横百貨店(現、東急東横店)を開業する事である。
駅と一体化したターミナルデパートは、関西では既に小林率いる阪急電鉄が梅田駅に開店していたが、関東では東京横浜電鉄が初めての試みであった。
 
百貨店経営は、建物所得を考えれば元を取るのに当時でも、半世紀はかかると言われており、「現在では一世紀とも言われている」会社幹部でも難色を示す者も多かった。
 
五島はこれも、
「東横線の繁栄には必要」
と強引に押し通したのであった。
 
実は五島はどうしても、いや、どんな事をしても先ず、渋谷に東横百貨店を開店させなければならない野心があった。
 
渋谷を東京横浜電鉄の都心部への橋頭堡としたかったのだ。
官営の渋谷駅は当時でも一日3万人超えの乗降客があった。
これだけ乗降客が居れば売り場としても打って付けだった。
 【1952年頃の渋谷 Wikipediaより】

五島の大先輩や師でもある東京京橋の矢野や大阪梅田の小林の様に中心街の一等地に拠点を持ちたかったのかも知れない。
 
更には、東横百貨店の目玉は、
「沿線の人達に、良品を廉価に提供する」
と言う目的があった。
これは、東横沿線の付加価値を最大限にアピールするつもりであった。
 
しかし元々、老舗の店が牛耳っている所に戦争を仕掛けるのである。
生半可な戦略では通用しない為、五島達は練りに練った。
それで出て来た戦略は、
 
1、 営業時間は電車の始発、終電と同じ午前9時から午後9時とする。
2、 年中無休とする。
3、 他の百貨店のような呉服重点主義ではなく、洋品、雑貨、食料品など日用品中心の品揃えとする。
 
等、どれをとっても当時としては革新的な営業戦略であった。
 
更には、五島の恩師である小林より暖かい援助の手も差し伸べられた。
東横百貨店に勤める事となる社員達に百貨店業のノウハウを勉強させる為、東横百貨店が開店するまで阪急百貨店へと呼び寄せたのである。
 
 

(次回は阪急百貨店での出来事です)
 
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この記事は2014-03-25
yahooブログにて掲載していました。