倉吉線のC11 混合列車の走る里 | 今日も まっ晴れ! 鉄道回顧録

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国鉄時代、鳥取県中部の中核都市 倉吉から大山の麓 山守までの20kmを結んでいた倉吉線です。客車列車は機回しの関係から倉吉-関金間で運転されていました。

 

山陰本線との連絡駅であった上井駅は昭和47年2月に倉吉駅と改名、それより一足先に倉吉線にあった従前の倉吉駅は打吹駅となりました。

上の写真は昭和44年正月に倉吉へ家族旅行に行った際に撮影したものです。(旅行期間中は大雪でどこへも出掛けられず、宿泊先の東郷レークホテルにずっと缶詰状態でした。ゲーム室に設置してあったジュークボックスからはピンキーとキラーズの「恋の季節」がしばしば流れていました。)

 

私がC11()の牽く混合列車を求めて倉吉線へ行くようになったのは昭和48年5月くらいからで、既に日中に撮影可能な混合列車は倉吉-西倉吉間に設定された混424レ 混425レの一往復だけでした。

西倉吉で組成された混424レが小鴨川の堤防を登ります。この辺りは大山山麓らしい大きな風景が広がっていて、よく晴れ渡った日などは高原を行く混合列車のような風情でした。

 

小鴨川を渡る混425レ

河原に居たサギが列車の音に驚いてC11の傍に飛んできています。

 

小雨が降る小鴨川を渡る混425レ

牽引機は準戦時設計で角張ったサンドドームを持つC11261

 

混424レを牽いて天神川の堤防をC11261が登って来ました。

列車の後ろに少し見えているのが上灘駅。

 

倉吉から西倉吉までは町中を走り、撮影に適しているのは天神川と小鴨川の橋梁くらいしかありませんでした。

 

天神川を渡る混424レを牽くのはC1141

天神川橋梁は西半分がガーダー橋で

東半分がトラス橋となっていました。

 

天神川の東側のアンダーパスです。

こう言う倉吉の町の様子も もっと撮っておくべきでした。

 

西倉吉駅の駅前広場は未だ未舗装で、雨が降ると水たまりができていました。

 

南側の踏み切りより西倉吉駅構内を見る。

構内の西側には貯木場や材木のチップ工場があり

貨物扱いは活況を呈しています。

 

混合列車の組成風景

機関車の前後に貨車を連結して貨物の入れ替え作業をしているのが興味深い。また客車も貨車に連結されたままで作業しています。

西倉吉での入れ替え作業ではC11が貨車に挟まれていました。

 

付近の山陰本線では82系「まつかぜ」が博多に向け通り過ぎて行きます。

 

関金行き一番列車の混421レも混合列車でしたが

関金駅に6:41に着くダイヤは当時の機材では露出が厳しかったです。

上小鴨駅を6:31に通過する関金行 混421レ

 

夏の日の長い季節なら未だしも

10月に入ると撮影は殆ど不可能でした。

 


混421レで関金まで来た客車編成は

朝の通勤列車 客422レとなって倉吉に帰って行きます。

 

上小鴨駅を出て行く倉吉行422レ

同列車は混合列車ではないものの、各駅に小荷物があれば

倉吉方に連結されているオハニ61に積み込まれます。

 

伯耆大山の里を混合列車が走る倉吉線も1985年に廃止され、今はサイクリング道などに使われていますが、所々に鉄道の遺構が残っており、35年ほど経った今でも当時の面影が偲ばれる場所が残っていることは真に嬉しいことです。

 

最後まで御覧戴いて ありがとうございました。