急行阿蘇・熊本DC2019 ー③ | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

急行阿蘇・熊本DC2019 ー③



熊本ディステネーションキャンペーンのトリを飾った、広島~熊本間の臨時"急行阿蘇"の続きです。

熊本DCでは、本州からの観光客を促すため、新幹線でも車内販売で日頃見かけないお土産が売られていたり。

こうして"サロンカー明星"や"急行阿蘇"と、2本も臨時列車が立てられたり。



震災と天災の復興の、追い風となってくれていれば良いのですが。

下関駅では、撮影のために訪れた鉄道ファンと、長時間停車でホームへ降りた乗客で、1号車のスハフ13の周辺は大変込み合っていました。

規制のために笛は吹かれていましたが、駅員さんや関係スタッフの方々が声を張ることもなく、お客同士が声を荒らげることもなく。



ただ、DE10が連結のために入線する瞬間だけは、ちょっと緊迫感がありましたが、穏やかで楽しい時間を過ごせました。

さて、第1回ではノスタルジックな思い出を文にしたので、最終回では"急行阿蘇"の略歴を紹介して終ります。

"急行阿蘇"は1947(昭和22)年に全国各線で急行列車・準急列車が新設・増発され、その1つとして東京~熊本間に、31・32列車として誕生しました。



1950(昭和25)年10月から順次、これまで特急列車に限られていた列車愛称が、急行列車にも付けられるようになり、31・32列車は11月より"阿蘇"と名付けられました。

1952年(昭和27年)11月に、東京~都城間へ"急行たかちほ"(当時は高千穂ではない)がデビューし、1954(昭和29)年10月まで東京~門司間で"急行阿蘇"と併結運転。

1961(昭和36)年10月から運転区間を名古屋~熊本間とし、東海道新幹線が開業した1964(昭和39)年10月より、食堂車が廃止されました。



1975(昭和50)年3月10日に、山陽新幹線が全通すると、運転区間は新大阪~熊本間となると同時に、全国初となる急行列車への14系客車が投入されました。

1978(昭和53)10月からは新大阪から大分行きの"急行くにさき"門司まで併結運転となります。

そして1980(昭和55)年10月1日 このダイヤ改正で、山陽本線で運行されていた定期急行"阿蘇・くにさき"と"雲仙"・"西海"が全廃となります。



2019(令和1)年9月28~29日、たった1往復で、運転区間も広島~熊本間でしたが、39年ぶりの"急行阿蘇"の復活でした。

さて、1980(昭和55)年、廃止直前の"急行阿蘇"ですが、他にも九州内で"特急おおよど"の廃止などもあって、友人と3人で黒崎駅まで乗りました。

黒崎で降りたのは、他に寝台車を連結した普通列車"ながさき"も廃止となることから、オハネ10の写真を撮るためでした。



そして後続の"急行雲仙"に乗って博多駅まで行き、お目当ての"特急おおよど"を撮影。

高校1年生のお小遣いで行ったので、結局博多までで終わった旅だったんですけどね。

ちなみに"急行阿蘇"の最終列車ですが、下り列車は1日早く運行停止で、上り列車は"急行くにさき"を併結せず、PF + 12系6両使用で岡山行きでした。

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はっはぁ~・・・・レモンサワー限定ですかい?

嫌いじゃないけど、どっちかと言うとグレープフルーツの方が好き。

で、サワーって一般的には焼酎だけど、広島では清涼飲料水だったりする訳ですよ。

もちろん、焼酎のサワーも普通に通じますよ。

小学生の頃ね、好きなジュースの1つだったんですよ。

今でも見かけたら、絶対に買ってしまいます。

味はメロン・オレンジ・ピーチの3つだった気がするんですが、今見かけるのはメロンばっかり。

限定でレモンもありましたよ、昔。

今でも種類たくさんあるのかな?

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