1974年7月 神崎川橋梁にて
18時30分発の長崎行き「雲仙2号」を皮切りに、大阪駅を5分から20分間隔で、次から次へとと言う感じで、九州への夜行列車群が大阪駅を出発して行きます。
九州夜行列車群の先頭を切って
先ず現れるのが「雲仙2号」
牽引機は狭窓のEF58114[広]
大阪18時36分発の20系「あかつき1号」
牽引機は広窓のEF5864[広]
大阪18時40分発の「彗星1号」が、大阪駅を同時発車して来た姫路行113系快速列車とデッドヒートを繰り広げ神崎川橋梁に現れました。
上り線を播州赤穂発・草津行の快速842Mがすれ違って行きます。上下の113系快速列車は未だ冷房装置を装着していないようで、両列車とも窓が少し開けられています。
当時の感材では19時前の「彗星1号」までが撮影の限界でした。この後、大阪駅を18時51分発「あかつき2号」・18時57分発「日南1号」・19時06分発「明星1号」・19時10分発「あかつき3号」・19時15分発「西海1号」と23時06分の「彗星5号」まで、本当に次から次へと九州に向け夜行列車が出発して行くのでした。
そして「音戸1号」・「鷲羽2号」・「つくし2号」・「音戸2号」と山陽夜行急行群が大阪駅を発車したあと、今度は東京からの「さくら」が23時54分に大阪駅に到着して以降、「はやぶさ」や「富士」・「あさかぜ」などの名立たる特急列車群が翌日の未明まで大阪を通過して西下する今では考えられない夢のような光景が毎日くり広げられていました。
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。