民鉄の覇者 東京急行電鉄 12、なあに、これくらい | 犬と楽器と鉄道模型

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この非常に苦しい時期に、五島は一つの言葉を思い出す。
師範学校時代に嘉納治五郎と言う学校の校長でもあり、柔道の先生が講義してくれた言葉だった。
 
その先生は「なあに、こんなこと」、「なあにくそ」、そういう言葉しか数えなかった。
 
どんな時でも、「なあに」という精神を養う事。
「『なあに』と言う精神が一番必要だ。

どんな事にもぶつかっても、『なあに、このくらいのこと』と言う様に始終考えろ。
全て物事を大きく考えたならば必ず怖気を生じて震えてしまって成功しない。
どんな事でも物事を小さく考えて、『なあに』という精神だけ養え」

と・・・
 
「忘れていたな。
俺は・・・苦しい時には・・・いつもこの言葉で、乗り切って来たのではなかったか?」
 
五島はもう一度、自分に言い聞かせた。

「なあに、これくらい・・・」
もう後戻りは出来ない。
五島は考え付いたものには全てに手を出していった。
 
先ずは、綱島に東京横浜電鉄直営の温泉宿を建て、電車利用客には割引制度を適用し乗客の誘致を図った。
 
大倉山には白梅500本を植え、大倉山梅林をスタートさせる。
花見見物客を見込み、東横線の乗客を少しでも増やそうと務めた。
 
イメージ 1

多摩川には花火大会を開催する。
これも花火見物客を見込み、東横線の乗客を少しでも増やそうと催したものだった。
(今では有名になり、恒例の多摩川花火大会となって受け継がれている)
 
又、渋谷~神奈川間だけでは無く、初期には目黒~神奈川間の相互乗り入れも考案し、直通列車を設定した。

更にはガラ空き電車である事をアピールしつつ、
目黒~神奈川間直行列車運転中。
夏に涼しいガラ空き電車。
ガラ空き電車を御利用下さい。
 
東横電車
目蒲電車
と言う自らを揶揄した広告を打つ等、書いている私自身が思わず泣けてしまう程、当時の東京横浜電鉄は正に土壇場、どん底の状態であったのである。
 
資金繰りも大変辛い状態で自転車操業等と言う生易しい物では無い。
借りた金を返す為に又、莫大な借金を重ね、負債は雪だるま式に増えていった。
 
何とか沿線を活気にさせる為に更に新たな事業を起こしたりと、涙ぐましい努力を続けていたのであるが状況は一向に好転しなかった。
 
しかし、この時・・・五島は気付いてはいなかったが、女神の微笑みは東京横浜電鉄の方に顔を向け始めていたのである。
 
 
 
(次回は「学校誘致」です)
 
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この記事は2014-03-05
yahooブログにて掲載していました。