民鉄の覇者 東京急行電鉄 11、自殺をするか・・・ | 犬と楽器と鉄道模型

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東急東横線と言えば、常に「住んでみたい沿線No、1」に選ばれる路線である。
渋谷を出ると、代官山・自由が丘・田園調布。
神奈川へ入ると日吉・綱島・大倉山と御洒落な街や高級住宅街が連ねている。

平成16年2月には「みなとみらい線」が開通し、渋谷から横浜の元町・中華街まで直通で結ばれた。

平成20年6月には田園調布〜日吉迄、複々線となり目黒線が延長。
三田線経由では日比谷、神保町、後楽園、高島平まで。
南北線経由では、麻布十番、市ヶ谷王子、更に埼玉高速鉄道にて、浦和美園まで乗り換えなしで結ばれた。
 
平成25年3月には渋谷から副都心線を介し、和光市、志木、川越、森林公園までが東武東上線。
練馬、石神井公園、所沢、小手指、飯能までが、西武池袋線で乗り換えなしで結ばれ、非常に便利になった。
 

 

今でこそ軒を連ねる東横線沿線だが、元々は敷設免許が先で起点と終点以外は計画性がなかった路線。
人が居ない丘や一面畑の中を長閑に走り客席は人も殆ど居ない。
余りの暇さに閑古鳥さえ居ない始末であったのである。
 
横浜まで伸ばしたものの、当時の横浜は今みたいな摩天楼なビルも乱立していなく、開発して大都会となるのは戦後の事である。
街の規模や活気があった桜木町とは比ぶべくもなかった。
 
更に官民共々、神奈川→高島町→横浜と起点を3つも変えていたから駅の外には砂利置き場以外は大したものも無かった。
 
元々、会社が赤字続きの上に、1927(昭和2)年春に起こった金融恐慌の影響を受けて経営は非常に苦しくなった。
目黒蒲田電鉄の方でも、金融恐慌は手痛い打撃であった。
東京横浜電鉄を飲み込む体力は無く、今一緒になれば共倒れになってしまう。
 
社員の事、会社の事、そして債権者の事を考えると眠れない日々が続いた。
後年の五島からは考えられないが、度々自殺を考える様になった。
 
 
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「私はしばしば自殺を考えるに至るほどの苦しさを経験した。
時には社員の給与にも困窮し、10万円の借金をするのに保険会社に軒並み頭を下げて廻り、皆断られて小雨の降る日比谷公園を渋沢秀雄君とションボリ歩いた事もあった。
松の枝が皆首つり用に見えて仕方がなかった」
と、『私の履歴書』に書いている。
 
 
 
 
(次回は「なあに、これくらい」です)
 
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この記事は2014-02-26
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