この夏話題の観光列車として音威子府~稚内及び旭川~音威子府で運転された『風っこそうや』ですが、その運転スケジュールも9月8日を以て無事終了しました。

前回、前々回と音威子府~稚内で運転された風っこそうや1・2号に乗車した時の事を紹介しましたが、今回は旭川発の3号に乗車した時の事を紹介します。本来なら運転期間中にこのブログを発表するつもりでしたが、休日といえば乗り鉄に出掛けてしまう私の性分で、ブログ執筆するのをサボっていました(汗)。どうか御赦しを…。

 

乗車したのは、運転開始2日目の8月18日です。本当は別の日程で音威子府発の4号のみえきねっとで指定券を確保して乗りに行く予定でしたが、17日にえきねっとサイトを見ていたら翌18日の旭川発3号に空席(しかも窓側)があるのを発見、思わず予約購入してしまいました。帰りの4号についても、同様に空席が発生したため購入、当初乗りに行く予定だった列車は他の列車に変更してキャンセルさせて頂きました。

 

こうして往復乗車が決まりましたが、旭川発の3号は7:18発なので札幌からJRでの日帰りプランは不可能(始発の3001Mライラック1号の旭川着が8:00)なため、前泊もしくは早朝にマイカー移動する必要があります。

私は事情があって前泊できなかったため、不本意ながら後者のマイカー移動を選択せざるを得ませんでした。

 

その8月18日、私は早朝5時に自宅を出発し、道央道をブッ飛ばして旭川へ向かい、駅近くのコインパーキングにクルマを駐めて旭川駅へ。

残念ながらこの日は朝からどんよりとした空模様で、クルマで通ってきた道央道の深川~旭川鷹栖の山間部では小雨がパラついていました。

 

 

 

まずは使用する『きっぷ』を指定席券売機で購入します。

えきねっと予約していた風っこそうやの往復分指定券を発券し、今回使用する乗車券として『道北一日散歩きっぷ』(¥2260)を購入しました。旭川エリアからフリーエリアの範囲で普通列車1日乗り放題で、宗谷本線なら天塩中川までの区間が対象なので今回乗車する音威子府への往復乗車もコレ1枚(+指定券)で乗れます。ちなみに旭川~音威子府の普通片道乗車券は¥2810なので、かなりお買いドクです。

ところで、前回の風っこそうや乗車時に使用した青春18きっぷですが、残りの分は他の乗り鉄で使わせて頂きました。

 

 

6:50位に改札をくぐり、駅北側の7番線ホームに上がると既に風っこそうや3号の車両は入線済みでした。なんと、発車の1時間前という段階で既に入線しているそうです。

 

 

今回指定券を確保し、乗車したのはトイレ付の2号車、キハ48 547。稚内発の2号の時にもお世話になりました。

 

 

 

私の指定席は進行方向右側の窓側席で、残念ながら天塩川の見えるほうではありませんが、その眺めは帰りの車内で楽しむ事にします。

同じBOXの向かい側の席には、関西在住の『ママ鉄』の方とその子供さんが座り、地元に帰省中の処、前日に指定券が取れたという事で急遽乗りに来られたそうです。

 

 

 

先述した通り、風っこそうや3号の旭川発車は7:18。

札幌から風っこそうやでの日帰り往復が可能なように8:00到着のライラック1号に接続してくれれば…と思うのですが、そうなるとダイヤ設定が困難になったりとかでいろいろと難しい問題が出てくるんでしょうね。

駅長さんらが横断幕を掲げて見送る中、音威子府に向けて約5時間の旅に出発しました。

 

 

旭川を出発して左へ急カーブした後、本来なら車窓右側には遠くに大雪山系の山々を眺める事ができるのですが、この日は雲が多くて見る事ができませんでした。

 

北旭川(貨物)駅に隣接する旭川運転所の横を通過します。

富良野・美瑛ノロッコ号の車両の奥には、その救済列車であるふらの・びえい号(8月12日で運行終了)に使われていたキハ183系が留置されていました。

実は7月に再びふらの・びえいフリーきっぷを使って富良野エリアを乗り鉄し、その際にふらの・びえい号にも乗ってきたのですが、その時のブログは機会があれば紹介するという事で…。

 

 

運転所の北側には、ズラリと並んだラッセルヘッドと共にSLニセコ号などで使われていた旧型客車がシートを被せられたまま留置中。

この客車も、そのまま『昭和の汽車旅を再現する』的なコンセプトの観光列車として活用できないものか…?

 

 

そして国鉄色のDE10と、前年まで富良野・美瑛ノロッコ号で使われていた牽引機がペアで留置されていましたが、この機関車達の去就が気になります。ちなみにノロッコ号の牽引機だったDE15 1534は本来の牽引機が故障のため9月15・16日の両日にノロッコ号に再登板されたとの事です。

 

 

 

上川総合振興局の最寄駅である永山で電子閉塞区間に入るため、運転停車します。

旭川運転所に入るための電化区間を当駅まで1駅延長して、室蘭本線の東室蘭~室蘭のように特急電車の一部を普通列車として延長運転すればJRの輸送シェアも伸びると思うのですが。旭川は、同規模の都市と比較してJRが都市圏輸送にあまり活用されていない感があります。

 

 

 

北永山~南比布で北海道一の大河・石狩川を渡ります。

 

 

風っこそうやの乗客には乗車証明書と沿線ガイドのマップ、そして宗谷本線を駆けた車両のフォトカードが配られるのですが、今回のフォトカードはキハ183系の特急サロベツでした。

 

 

 

7:45に最初の停車駅・比布に到着。キハ40単行の名寄発323Dと交換します。

8分停車しますが、その間特におもてなしの演出とかは行われません。

 

 

比布駅といえば、あのピップエレキバンのTVCFで一躍有名になりましたが、樹木希林さんとピップの会長のお二人はこの駅名板の横に立って撮影されたのでしょうか…?

 

 

 

比布を出て次の蘭留を通過すると、宗谷本線最大の難所である塩狩峠越えに挑みます。

 

 

 

そして8:11、塩狩駅に到着。

停車時間はわずか2分しかなく、当駅こそ停車時間を取ってもらいたいな…というのが正直な処。

発車すると塩狩峠の標柱と、三浦綾子の小説『塩狩峠』の題材となった客車暴走事故で犠牲になったクリスチャンの鉄道員を悼む『長野政雄殉職之地』の顕彰碑が見えます。

 

 

 

塩狩峠を下り、8:25に和寒駅到着。なんと45分の長時間停車で(ここまできたらまさに『バカ停』)、到着するや音威子府発3320D快速なよろ2号と交換します。その後、旭川を30分以上も遅くに出発した普通(各停)323Dに追い越されてしまうのです。そんなに停まるんだったら、旭川の発車時刻を繰り下げてライラック1号に接続させる余裕もありそうですが、なかなかそうもいかないんでしょうね。

私の向かい側に乗っていたママ鉄の方は迎えのダンナ様が待つコチラで降りていきました。私が車内で風っこそうやのグッズの話をしたのに触発され、購入を思い立ったので音威子府までクルマで向かう事にしたそうです。

 

 

今年で開業120周年を迎える和寒駅ですが、それを記念して駅舎内には展示コーナーが設けられていました。

 

 

停車中に、風っこそうやの乗客のためのイベントが開催されているとの事で駅に隣接する交流施設『ひだまり』に立ち寄りました。

この和寒町は競技玉入れの公式ルールを制定したマチで、『全日本玉入れ選手権』が毎年開催されています。屋外では乗客らが実際に玉入れを体験できるように競技用のコートが置かれていました。

 

 

『ひだまり』内に掲げられていた塩狩峠に絡んだ臨時列車のヘッドマーク。

JR北海道の一連のトラブル以降、イベント列車の運行には消極的になってしまいましたが、風っこそうやの運転を機に再びこのようなイベント列車をどんどん企画して、沿線活性化の起爆剤にして頂きたいものです。

 

 

『ひだまり』内ではマチの特産品の販売が行われていました。和寒町はカボチャの作付け面積が日本一との事で、そのカボチャを原材料に使用した焼き菓子を買いました。町内の菓子店『フタバ屋』謹製です。

 

 

今回乗車した風っこそうや3号にはTVH(テレ東系)の取材クルーも同乗しており、乗客にインタビューしていましたが、生ワイド情報番組がない同局なので、結局どの番組で流れるというのがわかりませんでしたが、乗車1ケ月余り後の9月28日(土)に放送された『けいナビ~応援!どさんこ経済~』という番組でこの取材の模様が放送されました。実は私も「ちょっとだけ」映っています…(汗)。

 

 

追い抜きの普通列車323Dが到着。

 

 

 

和寒を発車後、日本一の作付け面積を誇るカボチャ畑が見えます。

なお、和寒といえば、雪の下で寝かせて甘みを増す越冬キャベツもお忘れなく。ホント、葉物野菜の常識を覆す程甘いですよ。

 

 

 

和寒の次は剣淵(9:25着)に停車。コチラでは上下特急列車の追い抜きと交換があるため21分停車します。

なお、当駅に停車するのは下り3号だけで、上り4号は通過となります。

 

 

剣淵町は『絵本の里』でマチおこしを行っており、町内には4万冊以上の蔵書数を誇る絵本図書館『絵本の館』があります。風っこそうや停車中にはキャラバンカーが出張して絵本の読み聞かせイベントが行われました。

 

 

ホームでは剣淵町の『キャンペーンガール』であるアルパカのキャラクター『ぶっちーな』と、絵本の館オリジナルの絵本に登場するウサギのキャラクター『ムーニャ』が愛嬌をふりまいていました。

 

 

ホームに降りた乗客には、剣淵町の観光パンフレットと『絵本クッキー』が配られました。

 

 

停車中の間に、追い抜きである51D特急宗谷が通過。

 

 

その後、行き違い交換となる62D特急サロベツ2号が高速で通過します。コチラは旭川方に2両増結された6連で、ハイシーズンでもなかなか増結されるのをお目に掛かる機会がなくなっただけに、非常にレアなケースといえます。

 

 

サロベツ2号通過後の9:46に、風っこそうや3号は剣淵駅を発車します。

 

 

剣淵を出ると、車窓左側には『深川林地』と呼ばれるドイツトウヒの鉄道防雪林が広がり、車掌の観光ガイドが流れます。深川林地についての詳細はコチラを参照。

 

 

 

10:00に士別に到着。コチラでは26分停車します。

 

 

士別でお出迎えのご当地ゆるキャラは『ジャンプん』。天塩川上流に位置する士別市朝日町のキャラクターで、同地区にはスキージャンプの競技場があり、それに因んだスキージャンプの妖精です。

 

 

士別市は『羊のまち』として知られており、サフォーク種という顔の黒い羊を飼育する牧場があります。

風っこそうや3号の到着に合わせて、羊肉のジンギスカンの試食会が行われておりました。

そういえば、私が初めて宗谷本線と天北線に乗車した時の帰りに当駅に立ち寄ったのですが、当時この画像の場所でホンモノの羊が飼われていた事があり、次の列車を待つ間にその羊と戯れた思い出があります。

 

 

その羊肉のジンギスカンなのですが、とても柔らかいお肉で思わず「ウンメェ~」と叫びたくなる程の美味しさ!ついお代わりまで頂いてしまいました。

 

 

風っこそうやのパンフレットには掲載されていませんでしたが、この日は道内唯一、全国でも4台が残るのみとなったモノコックボディの路線バスである士別軌道の『日野RC301P』(1982年式)が特別展示され、整備士の方が手動式方向幕の回転の実演を行ったりしていました。実は私、バスファン(古い車種限定ですが…)でもあり、昨年10月に特別運行中だったこのクルマに乗りに行きました。

 

 

士別軌道の旧塗装は東京のイースタン観光(廃業)と同様のカラーリング(おそらく、昭和30年代のカタログ掲載のカラーをそのまま頂戴したと思われる)。やはり、モノコックボディにはこの塗装が良く似合います。

 

 

風っこそうやの乗客には、士別市の観光パンフレットが配られました。

画像に写っているお菓子は、特産品販売で買った市内の菓子店・もり屋謹製の『森のともだち』というお菓子。アーモンドやカボチャの種など、ナッツがふんだんに使われていて食べ応えがあり、私好みでした。

 

 

 

10:25、交換列車である3322D快速なよろ4号が到着、発車していきました。

旭川~名寄では珍しいキハ54による運用ですが、名寄~稚内の間で運用される同車を旭川運転所へ戻すための送り込みを兼ねているようです。

 

 

そして、10:26に風っこそうや3号も士別駅を発車します。

 

 

士別を出ると、この後名寄以北の車窓を彩る事になる天塩川を渡ります。

画像は、上流方向を見たもの。

 

 

 

名寄駅の手前で車窓右側にちょうど30年前に廃線となってしまった名寄本線の廃線跡が寄ってきて、SLと除雪車で構成される『キマロキ編成』の保存車を見る事ができます。

風っこそうやが通過するタイミングで、特別にそのSLから汽笛が鳴り響きます。

 

 

そして10:58、名寄駅に到着。

 

 

ホームに降り立った乗客にはポストカードサイズの『名寄市訪問記念証』が配られました。

 

 

宗谷本線の中枢ともいえる名寄駅ですが、たった2分の停車時間であっさりと発車してしまいます。

 

 

日進駅を通過すると、サンピラーパークの大きなひまわり畑が車窓右側に見る事ができます。

北竜町と並んで名寄市もひまわり畑で有名なのであります。

 

 

いよいよ、天塩川が車窓左側に見えてきます。宗谷本線は時々離れながらも、雄信内あたりまでの約100㎞の区間天塩川に沿って走り、車窓の友となりますが、音威子府までの区間は木々に阻まれて川の流れを間近に見られる区間は少ないです。

 

 

『毛織の北紡』の大きなホーロー看板が待合室の小屋に掲げられている北星駅を通過。

おそらく、小屋を建てる際にそのスポンサーとして看板を設置したのでしょうか?

 

 

風っこそうやの車窓ではもう一つ大きなひまわり畑が見られるスポットがあり、今度は車窓左側に広がります。

 

 

 

名寄からは次に停車する美深町の特産品を売り歩く車内販売が乗り込んでいたのですが、私は小腹を満たすために美深産のカボチャと小麦を原材料に使用したお菓子『ピウカボッチャ』を買って食べました。

 

 

11:32に最後の途中停車駅・美深駅に到着。8分停車します。

列車到着時に駅舎のてっぺんにある『美幸の鐘』が鳴り響きます。通常は1日2回しか鳴らない事になっていますが、風っこそうや停車中は特別に鳴動されていました。

 

 

美深町のご当地ゆるキャラ・『美深くん&美深ちゃん』(いずれも特産品のカボチャがモチーフ)もお出迎え。

動画を撮っていたら、その美深ちゃんがカメラに思いっきり近付いて愛嬌をふりまいてくれました。

 

 

ホームでは懐かしいホーロー製の縦型駅名板がズラリと展示。

 

 

美深といえば、当駅から仁宇布を結んでいた『日本一の赤字線』美幸線が分岐していた駅。当時の町長自ら銀座や大阪の街角に立って『仁宇布から美深ゆき』の乗車券を売り歩くなどユニークな存続活動で知られていました。しかしそれもむなしく、1985年にわずか21年の歴史に幕を下ろす事となり、その運行最終日に運転されたさよなら列車のヘッドマークなどが特別にホームに展示されていました。

 

 

 

美深を発車し、いよいよ旅の終盤という処なのですが、てるてる坊主への願掛けもむなしく残念ながら雨が降り出してしまいました。

風っこ車両には雨除けのビニール製電動カーテンが備え付けられているのですが、小雨だった事もあって何とか使わずに済みましたが…。

 

 

 

風っこそうや3号は、12:26に終着の音威子府駅に到着しました。

ダイヤ設定上の事情もあるのでしょうが、観光列車といえども約130㎞の距離に5時間の所要時間はやはり長過ぎといえ、音威子府~稚内の区間よりは車窓風景に大きな見どころがないため少々退屈を覚える道中でもありました。全区間ではなく部分的な乗車が少なくなかったのもその一因でしょうか。今後の課題といえます。

 

 

駅そば常盤軒は相変わらずの大盛況!

風っこそうや3号からの乗客が大勢押し寄せ、駅舎内は大行列ができていましたが、私は諦めてそれに並ぶ事はしませんでした。

というのも、帰路に乗る折返しの風っこそうや4号の指定券が通路側だったため、控え車のキハ40『北海道の恵み』車両に乗る事にしたので席を確保すべく改札口で並ぶ事を優先したからです。

 

 

次回は、風っこそうや4号に乗車した帰路の行程を紹介します。

つづく。