1975(昭和50)・1976(昭和51)年
総持寺踏切 跨線橋・生麦踏切・錦糸町駅 高崎駅撮影分からです
■クモニ83形 荷物専用車両 総持寺踏切 跨線橋
1966(昭和41)年~1975(昭和50)年。51両製造。(0/800番台)
種車はクモハ73形・モハ73形。
足回りを流用して 車体は新製だった。
この写真では2両編成だが、
東海道線15両の西側先頭車として連結され
16両編成で走っている事もあった。
なので現在の横浜駅東海道線ホームは16両編成分の長さがあります。
■クモニ83形 郵便・荷物専用車両 生麦踏切
「生麦踏切」は 私が勝手に呼んでいた名称です。
花月園前踏切の西側にかつて存在した踏切。今は無いです。
まだ、羽沢方面へのトンネルが無かった時代です。
◇クモニ84形 郵便・荷物専用車両 総持寺踏切 跨線橋
■クモユニ74形 高崎駅 *この写真のみ1976(昭和51)年
1962(昭和37)年~1965(昭和40)年。 38両製造。
種車はモハ72形。
東海道線が80系から111系に置き換えられ、それに伴い
クモユニ81形の代替えとして製造。
この写真は高崎駅での70系電車との併結。
高崎線・東北線向けの200番台かと思われます。
ホームに山積みされた小口荷物がちょっと懐かしい光景です。
宅配便が無かったこの時代。
母方の田舎から「荷物送ったよ~」と電話があると
鶴見駅の「小口荷物窓口」に引き取りに行ってた。
たしか日本通運の窓口だったかな。
コンニャクの入った一斗缶は重かった(・_・;)
そんな荷物も運んでいたんですかね。
■クモハユ74形 旅客・郵便合造車 錦糸町駅
1969(昭和44)年~1981(昭和56)年。
内房線(当時は 房総西線) 木更津~千倉間電化に伴い3両製造。
種車はモハ72形。
この“房総の珍車”は 他の郵便・荷物専用車両とは違う。
車体の載せ換えなどはせずに、
両端に運転席を作り車内の半分を郵便室に改造。
なので、形式名・クモハユの通り、半分は客室。
だが、実際に乗客を乗せる運用は無かったようです。
国鉄貨車編へ続きます(^_-)-☆