さて、GWに引き続いて、今年のお盆も和歌山にある実家へ帰省してきたよっちゃんです

京都から和歌山に移動する場合、いくつか選択肢が考えられますが、新大阪から「くろしお」号を利用するのが一般的かつメジャーな方法かと思われます

 

また、「くろしお」号を利用するのではなく、京都から松阪まで近鉄特急を利用し、同駅でJRに乗り換え「南紀」号を利用するという手もあります

そして、かなりマイナーではありますが、第三のルートとして京都から京都から東海道本線,草津線,関西本線,紀勢本線を経由する方法もあります

 

つまり、かつての準急「勝浦」号(※)が辿っていたルートなわけですが、「くろしお」号を利用する場合と比べて、所要時間も余計にかかりますし、距離的にも遠回りになるような気もしますがさに非ず

京都市内から実家の最寄り駅である太地までの乗車券は、和歌山・白浜経由が5400円なのに対して、草津・柘植・亀山経由だと4750円と、650円も安くなります

 

最寄りのJR駅へきっぷを買い求めに行くと、1台しかないみどりの券売機が使われていたので、止むを得ずみどりの窓口へ向かいました

この経路で乗車券を購入しようとすると、マイナーであるが故に、スムーズに発券できた試しがこれまで1度もありません

それならみどりの券売機を使い、自分で経由駅を入力して発券した方が駅員氏に迷惑もかからずスムーズだと判断したわけです

 

一度、紀伊勝浦駅で紀伊勝浦→京都市内の乗車券を草津線廻りで購入しようとした時に、紀伊勝浦→多気→伊勢鉄道経由→四日市→名古屋→米原→京都市内という乗車券が発券され、まさかの事態に面食らったことがありました

 

駅員氏に伊勢鉄道経由ではなく、亀山廻りである旨を伝えると、今度は紀伊勝浦→多気→亀山→四日市→名古屋→米原→京都市内という何とも摩訶不思議な経路の乗車券が発券されて戸惑いを感じた苦い思い出があります

 

いや、こんな経路で京都と和歌山を往来している自分の方がよっぽど摩訶不思議な存在なのかもしれませんが、草津線経由で京都から津や四日市を行き来する人は18きっぱーを除けば皆無に等しいらしく、同線の存在意義が鉄道会社の人間からでさえ忘れ去られているような気がしてなりません

 

しかも、亀山以東はJR東海の管轄であることから、路線図を把握していないJR西日本の駅員氏も多いようで、今回も時刻表をめくりながら、「伊勢鉄道を利用しますか?」と聞かれたので、亀山から紀勢本線を経由する旨を強調して伝えて、やっとこさ乗車券を購入することができました

 

さて、京都からは毎度お馴染み223系に揺られ、草津で草津線へと乗り換えます

徐々に221系が増えつつあるイメージのある草津線ですが、運のいいことに私の乗る列車は113系で、草津から柘植までMT54型主電動機の音を楽しみながら移動できます

 

古い車両を大切に末永く使うことで定評のあるJR西日本とはいえ、ここ最近では国鉄型からJR型への置き換えが一気に進み、関西地区でも国鉄型の特急用車両は姿を消しました

そうした中、国鉄の薫り漂う113系は貴重な存在です

 

草津線に乗車するのは、同じ経路で昨年のGWに帰省した時以来1年3ヶ月ぶりのことになります

18きっぷのシーズンに入っているせいか、車内はかなり混雑しており、やっとこさ通路側の座席を確保することができました

 

ところが、車窓を楽しみたい私のような人間にとって、通路側の座席というのは思う存分景色が見れず、なかなかにフラストレーションが溜まるものです

夏の日差しが車内へ照り付けるなか、ブラインドを降ろす人を心の中で責めるわけにもいかず、ドア横で車窓を眺めたり、空席に移動したりと、おおよそ落ち着きのない動きをしながら車内をウロウロとしていました

 

 

 

窓から車外へ目をやると、澄み切った夏の青空と田んぼの深々とした緑が見事なコントラストを見せています

この車窓から望む日本の原風景とも言える光景が、草津線の醍醐味だと思います

 

 

車内の吊り下げ広告を眺めながら、今度は船の旅にも挑戦してみようかと思っていると、程なくして列車は終点の柘植に到着しました

それにしても、3日間で約10万円からとは、にっぽん丸もなかなかいいお値段がしますね

 

 

 

草津から約45分の旅を終え、私の乗った列車は県境を越えて柘植に到着しました

京都から柘植までは車窓も変化に富んでいて飽きることもないのですが、ここから加太越えと呼ばれる山越えの区間になることから、やや車窓が単調になることは否めません

その分、上り勾配にエンジン全開で挑むキハ120形の走行音を堪能することができます

 

 

柘植から25分ほどで、関西本線と紀勢本線の分岐駅である亀山に到着しました

柘植から亀山までわずか30分に満たない乗車ですが、駅間距離が長いこともあって体感時間はかなり長めに感じられます

 

亀山からは、キハ25形が充当されている紀勢本線の普通・鳥羽行きに乗り換えます

意外なことに、こちらの列車に乗り込む人は少なめで、どうやら東海道本線の混雑を避けて草津線・関西本線経由で関西方面から名古屋方面へ抜ける人も多いようです

 

 

津に到着すると、21000系アーバンライナーplusが充当されている鳥羽行きの特急が停車していました

名伊特急の運用に同系が充当されている姿は、なかなかに珍しい光景ではないでしょうか?

 

 

津駅のホームで、「南紀」の到着を待っている間に撮影したカットですが、空があまりにも青くて吸い込まれそうですね

 

 

津からは定石通り「南紀」5号紀伊勝浦行きに乗り込み、終点まで向かいます

「くろしお」号と比べて、「南紀」号は空いていることが多いのですが、さすがにお盆休みの初日とあって車内はかなり混雑しており、車掌放送によると指定席は満席とのことでした

 

自由席についても、辛うじて津からは空席を見つけることができましたが、次の停車駅である松阪でかなりの乗車があり、通路まで一杯になりました

ここ最近、三重県内で高速道路が徐々に南進してきていることもあって、「南紀」号の自由席でこれほどの混雑を見せることはありませんでした

 

確かに、8月10日というタイミングを考えれば、この時期に混んでいないと商売あがったりなのかもしれません

結局、この混雑は紀伊長島を発車するまで続き、尾鷲を過ぎたあたりでようやく車内の雰囲気も落ち着いてきました

 

キハ85系の心地よい座席でうとうとしていると、列車は熊野川を渡り、和歌山県へ入りました

新宮で担当乗務員がJR東海からJR西日本へと交代し、津を発ってから2時間42分で列車は紀伊勝浦へ到着しました

 

 

ここ最近、最繁忙期であっても「南紀」号は5両での運行が多かったのですが、今年のお盆は例年よりも集客が見込めると判断したのか、6両で運行されていました

 

 

 

その車両の中で、5号車には2次車であるキハ84形200番台車のトップナンバー車が連結されていました

元を辿れば、「南紀」用として生を受けた車両ですが、2001年の改正で2次車が「ひだ」運用にコンバートされたことから、いまでは「南紀」の運用に入ることは滅多にありません

 

 

このキハ84形200番台車ですが、かつて「南紀」の運用に就いていた頃は、キロ85形の次位、つまり2号車に連結されていました

車内へ入ると、デッキには車販準備室と販売カウンターが設けられており、各部の意匠は後に登場する383系とよく似ています

 

グリーン車の次位に車販準備室と販売カウンターを設ける構成も共通しており、つまりはキハ85系2次車におけるキロ85形とキハ84形200番台の関係は、383系におけるクロ383形とモハ383形の関係に等しいといえます

 

ただ、こうした設備を見ると、「ひだ」用としてならともかく、「南紀」用としてはオーバースペックに思えてなりません

車内販売でさえ姿を消してしまったいまとなっては、固く閉じられた販売カウンターの存在が虚しく感じられてしまいます

 

さて、一しきりキハ85系の観察を終え、折り返し列車となる「南紀」8号を見送った後、普通・紀伊田辺行きに乗り込み、太地で下車しました

 

 

京都を出発してからおよそ6時間で太地に到着しました

「くろしお」号を利用する場合と比べて、1時間も余計にかかりますが、普段はあまり乗車する機会のないキハ120形やキハ25形などに乗ることができるので、乗り鉄としては退屈しない旅路を過ごすことができました

 

 

※:京都~紀伊勝浦間を草津線廻りで結ぶ準急列車として1961年3月に登場