播但線のC57臨時急行
国鉄の蒸気機関車終焉時期にあっても、新製のディーゼル機関車を臨時列車に割り当てる両数的な余裕はなく、蒸機走行線区では波動輸送時に蒸機が牽く優等列車が度々運転されていました。
昭和47年夏の時刻表を見ると未だC57が走る播但線に海水浴臨「但馬ビーチ2号」が設定されています。
列車番号から見ても客車列車であるのは確かで、この「但馬ビーチ2号」はC57が牽引する可能性が高いです。
市販の時刻表以外に情報を持たない私の、こうした推測が情報の全てでした。
弘済出版社ダイヤエース1972年8月号⑰ページ[海水浴列車]より
この頃、臨時列車には新製の12系客車が使われることが多く、蒸気機関車と12系客車のブルーの車体は見た目にも不釣り合いで、せっかくの蒸機列車であっても12系編成だと魅力は半減で落胆したものです。
但馬ビーチ2号」も過去からの実績から見て12系である可能性が高く、客車が隠れるようにと、わざわざ草むらに入って但馬ビーチ号を待ちました。
案の定「但馬ビーチ2号」は12系
但馬ビーチ2号」の後を追うように来るC57貨物列車683レは
雑草などが画面に入らないよう河原からスッキリと撮りました。
当時は未だ弘済出版からSLダイヤ情報なるものは発売されておらず
なんと読売新聞社から別冊 週刊読売↓として
全国の蒸気機関車の運転時刻表を掲載したものが出版されていたのです。
昭和47年3月のダイヤ改正以降
播但線のC57列車で撮影可能なのは683レと1690レの一往復のみ
今もダイヤ情報として連綿と続く弘済出版のSLダイヤ情報が創刊されたのは
昭和47年11月で、播但線が無煙化された後のことでした。
「但馬ビーチ2号」の12系客車が目立たないよう
モノクロフイルムを使って正面寄りで撮りました。
30分ほど後に来る683レC57貨物はカラー写真で
「但馬ビーチ2号」撮影の当日は、但馬ビーチ号が来る直前にC57貨物1690レが来たはずなのですが写真を撮っていません。時刻表から見ると1690レが長谷駅を通過するのが10:14で、下り「但馬ビーチ2号」が寺前駅を出発するのが10:17と辻褄が合わず、たぶん貨物列車のほうにも臨時ダイヤが組まれていたものと思われます。
淵のカーブを通過するC57128牽引の683レ
播但線C57の白眉的存在の636レも無煙化され、DD54が充当されていました。
生野駅ではキハ20やキハ35などの混成659Dと離合します。
40数年前の夏の思い出話に最後までお付き合い戴いてありがとうございました。
(Yahoo!ブログから順次引っ越ししています。)